第269話 将棋とホラー映画と猫
文字数 1,340文字
・2月5日 将棋と猫
ふぎゃあおう
パチリ。
ふぉんぎゃー
パチリ。
「……また負けてしまったなぁ」
おうーうーおー
「え?」
あーおあーお
「何でも屋さん、また分かってないんだねぇ。ほら、あんたがこう打ったから──」
ふおあーおーあおー
「……あ、王手だ」
「やれやれ、いつもながら負け甲斐の無い人だなぁ」
「す、すみません」
今日は午後から、お得意様の桂木の爺さんと将棋の対戦。何だか分からないうちに、また勝ってしまったらしい。どうしてこうなった。
ふぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃんぎゃーあああおおおうう
「いや、その、外の声が気になって」
「ああ……この季節はねぇ。猫の春だから仕方ないよ」
──恋猫の 命燃やして鳴く声に こころ取られて王手飛車角
一句詠んで、爺さんは溜息をついた。
な、なんかすいません……!
・2月10日 ホラー映画と猫
朝の犬散歩の帰り道。最近この辺に越してきた赤萩さんに会った。
「おはようございます。この時間に出勤ですか?」
そう声を掛けたのは、何だか彼の足取りが覚束ないように見えたせいだ。
「あ……何でも屋さん……」
俺の挨拶に応じてこちらを向いた赤萩さんの目は、どこか虚ろだった。
「何でも屋さーん!」
「ど、どうしたんです、何かあったんですか?」
「俺、俺、呪われたのかもしれない……!」
駅に向かう道を一緒に歩きながら聞いてみると──。
この間の休み、赤萩さんはホラーDVDを立て続けに見た。
『ローズマリーの赤ちゃん』
『オーメン』
『悪魔の赤ちゃん』
の三本。得体の知れない赤ちゃんの出てくるホラーばかりだったのは偶然らしいが──。
「それ以来、夜になると赤ん坊の声が聞こえてくるんです……! 気のせいだと思いたいのに、昨夜は一晩中聞こえてた。俺、俺は……!」
顔面蒼白な赤萩さん、今にも倒れそう。いや、でもそれはさ。
「それ、赤ちゃんの泣き声じゃないですよ」
俺の言葉に、赤萩さんは自己処理し切れない恐怖感情のあまりか激昂した。
「幻聴だって言いたいんですか!」
「いや、幻聴じゃなくて」
ちょうどその時、赤ちゃんの声に似た声が聞こえてきた。立ち止まり、硬直する赤萩さん。「もうダメだ……俺、取り殺されてしまうんだ……」そんなふうに呟いている。すっかり信じ込んでいるところ悪いけど──。
「あれ、猫の鳴き声ですよ?」
「え? 猫ってにゃーって鳴くんじゃないですか?」
「猫は春になると、っていっても猫の春、つまり発情期のことですけど、その時期の泣き声は人間の赤ちゃんにとても似てるんです」
「あれ、猫の鳴き声……?」
「そうです。ああいうの、今まで聞いたことなかったんですか?」
無かったらしい。真実を知った赤萩さんは呆けたように黙り込んだ。口の中で何かもごもごいうと、彼は足早に駅に向かって去って行った。
真実を知らずにいつまでも怖がっているか、それとも受け入れて安心するか──。すごく複雑そうだったけど、一時恥ずかしい思いをしても<怖い>というストレスを感じなくて済むほうが、ずっと身体にいいと思うよ、赤萩さん。
※赤ちゃんの出てくるホラー映画を三つ挙げましたが、小説ならば断然レイ・ブラッドベリの短編、『小さな殺人者』を挙げます。『十月はたそがれの国』収録。このお話は怖いです。妊婦さんには絶対読ませたくありませんね。
ふぎゃあおう
パチリ。
ふぉんぎゃー
パチリ。
「……また負けてしまったなぁ」
おうーうーおー
「え?」
あーおあーお
「何でも屋さん、また分かってないんだねぇ。ほら、あんたがこう打ったから──」
ふおあーおーあおー
「……あ、王手だ」
「やれやれ、いつもながら負け甲斐の無い人だなぁ」
「す、すみません」
今日は午後から、お得意様の桂木の爺さんと将棋の対戦。何だか分からないうちに、また勝ってしまったらしい。どうしてこうなった。
ふぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃんぎゃーあああおおおうう
「いや、その、外の声が気になって」
「ああ……この季節はねぇ。猫の春だから仕方ないよ」
──恋猫の 命燃やして鳴く声に こころ取られて王手飛車角
一句詠んで、爺さんは溜息をついた。
な、なんかすいません……!
・2月10日 ホラー映画と猫
朝の犬散歩の帰り道。最近この辺に越してきた赤萩さんに会った。
「おはようございます。この時間に出勤ですか?」
そう声を掛けたのは、何だか彼の足取りが覚束ないように見えたせいだ。
「あ……何でも屋さん……」
俺の挨拶に応じてこちらを向いた赤萩さんの目は、どこか虚ろだった。
「何でも屋さーん!」
「ど、どうしたんです、何かあったんですか?」
「俺、俺、呪われたのかもしれない……!」
駅に向かう道を一緒に歩きながら聞いてみると──。
この間の休み、赤萩さんはホラーDVDを立て続けに見た。
『ローズマリーの赤ちゃん』
『オーメン』
『悪魔の赤ちゃん』
の三本。得体の知れない赤ちゃんの出てくるホラーばかりだったのは偶然らしいが──。
「それ以来、夜になると赤ん坊の声が聞こえてくるんです……! 気のせいだと思いたいのに、昨夜は一晩中聞こえてた。俺、俺は……!」
顔面蒼白な赤萩さん、今にも倒れそう。いや、でもそれはさ。
「それ、赤ちゃんの泣き声じゃないですよ」
俺の言葉に、赤萩さんは自己処理し切れない恐怖感情のあまりか激昂した。
「幻聴だって言いたいんですか!」
「いや、幻聴じゃなくて」
ちょうどその時、赤ちゃんの声に似た声が聞こえてきた。立ち止まり、硬直する赤萩さん。「もうダメだ……俺、取り殺されてしまうんだ……」そんなふうに呟いている。すっかり信じ込んでいるところ悪いけど──。
「あれ、猫の鳴き声ですよ?」
「え? 猫ってにゃーって鳴くんじゃないですか?」
「猫は春になると、っていっても猫の春、つまり発情期のことですけど、その時期の泣き声は人間の赤ちゃんにとても似てるんです」
「あれ、猫の鳴き声……?」
「そうです。ああいうの、今まで聞いたことなかったんですか?」
無かったらしい。真実を知った赤萩さんは呆けたように黙り込んだ。口の中で何かもごもごいうと、彼は足早に駅に向かって去って行った。
真実を知らずにいつまでも怖がっているか、それとも受け入れて安心するか──。すごく複雑そうだったけど、一時恥ずかしい思いをしても<怖い>というストレスを感じなくて済むほうが、ずっと身体にいいと思うよ、赤萩さん。
※赤ちゃんの出てくるホラー映画を三つ挙げましたが、小説ならば断然レイ・ブラッドベリの短編、『小さな殺人者』を挙げます。『十月はたそがれの国』収録。このお話は怖いです。妊婦さんには絶対読ませたくありませんね。