第109話 お盆の出来事 4
文字数 2,587文字
「あれ、そういえば……」
ふと呟いて、ヨリコ・パパが周囲を見回した。何かを探しているようだ。
「どうかしましたか?」
「お連れの方は?」
「連れ?」
俺は相当変な顔をしていたんだろう。ヨリコ・パパは何だか申しわけなさそうにぼそぼそと続けた。
「だって、あなたと伝ちゃんと、三人、じゃなかった。二人と一匹で歩いてたじゃないですか。頼子が伝ちゃんに抱きついているのを、その人もにこにこしながら見てましたよ」
「え?」
二人と一匹って。俺はずっと伝さんと歩いてたけど、他に連れなんていないぞ。
どういうことだ?
何をどう考えていいのやら放心している俺に、ヨリコ・パパは追い討ちをかけた。
「あなたとよく似た、というか、そっくりな顔で……もしかして、双子のご兄弟ですか?」
「……え?」
俺は勢いよくヨリコ・パパを振り返った。そんな俺の反応に、彼はびっくりしているようだ。
「あれ、違うのかな? 双子でなくてもそっくりな兄弟もいますよね。もしかして、親戚の人とか? 僕の親戚にも、見た目良く似た従兄弟がいますよ」
「……」
俺はどう答えていいのか分からなかった。我ながらうろうろと定まらない視点が、ふとヨリコちゃんを捉える。
「……ヨリコちゃんも見たの?」
「みたって、なに?」
小鳥のように、幼女が首をかしげる。
「おじさんとそっくりの、もうひとりのおじさん」
俺の言葉に、彼女は首を振った。
「しらないの。よりちゃん、でんちゃんしかみてないもん」
何故か自慢げに答えるヨリコちゃん。あー、そうだろうな。俺なんか、彼女からしたらオマケみたいなもんだ。俺は思わず苦笑していた。
「あれ、頼子。そのおじちゃん、頼子の頭を撫でてくれてたのに。どうして知らないの?」
ヨリコ・パパは納得出来ないようだ。
が、親の心子知らず(?)。しらないったらしらないもん。ヨリコちゃんはそう言って、また伝さんにしがみついている。
「おかしいな。その人が伝ちゃんのリードを外したんですよ。何でこんな道のど真ん中で超大型犬を放すのか分からなくて、それでよけいに僕、怖かったんですが」
その人が伝ちゃんを解き放ってくれたお陰で、僕、伝ちゃんに助けられたんです。ヨリコ・パパはそう言った。
「──その人は、そんなに俺に似ていましたか?」
俺は、静かに訊ねていた。
「ええ。背格好もそっくりでしたよ」
ヨリコ・パパは答える。
俺は大きく息をついた。ふと気づくと、伝さんがつぶらな瞳でじっと俺の顔を見つめている。
俺はそんな彼の、発達した筋肉に覆われたしなやかな背中をゆるゆると撫でながら、ぼんやりと呟いていた。
「それ、多分、俺の弟だと思います」
「あ、やっぱり?」
ヨリコ・パパはうれしそうに微笑んだが、次の言葉を聞いた瞬間、その笑顔は凍りついた。
「俺の弟、もうこの世にいませんけどね」
『じゃあぼく、幽霊に助けられたんですね』
ヨリコ・パパの言葉を思い出し、俺は複雑な気分になった。
幽霊、か。
『その人は、ずっとにこにこして頼子の頭を撫でたり、伝ちゃんを撫でたりしてましたよ。そう、リードを外す時も楽しそうに伝ちゃんに何か話しかけてる様子で、……僕を助けに走るように命令してくれたのかなぁ。うん、僕はそう思います』
はあ。俺は溜息をついた。と、伝さんが気遣うように立ち止まり、俺の顔をのぞき込んでくる。
「くぅん」
心配そうに鼻を鳴らす。大丈夫だ、というように、俺は伝さんの背中をぽんと叩き、先を促した。
あれからすぐ、近くの交番から警官が駆けつけてくれた。若い警官はそこだけ震度7くらいの地震に見舞われたかのような光景に驚いていたが、塀が崩れた時の様子を俺たちから詳しく聞いた後、「危険・立ち入り禁止」のテープを張り、同僚に連絡して持ってこさせたコーンを配置した。その家の主人にも連絡を入れてくれるらしい。
先日の長雨で基礎が緩んだんじゃないか、というのが我々全員の見解だ。ま、原因の究明は専門家の仕事だな。
ヨリコ・パパはすっかり伝さんに懐いたようだ。娘と一緒に別れを惜しんでいた彼の姿を思い出すと、ついおかしくて俺はくすりと笑ってしまった。
「おん?」
伝さんが首を傾げる。俺は何でもないよと彼の耳の後ろをぐりぐりと掻いてやった。
「なあ、伝さん」
俺は次第に明るさを失っていく夕空を眺めながら呟いた。
「伝さんには見えたのか? あいつの姿」
「くぅん?」
つぶらな瞳で俺を見つめる伝さん。でっかいけど可愛い。ぴん、と立った耳が凛々しい。でも、可愛い。
「もしかして、今も一緒に歩いてたりするのか?」
伝さんはただ暑そうにハッハッと舌を出しているだけだ。犬は口でしか息出来ないもんな。それ以前にしゃべれないし。それを分かってて訊ねる俺も、莫迦というかバカだ。──俺は独り苦笑いした。
俺がドクター・ドリトルだったら、伝さんに聞けるのかな。死んだ弟は今、本当に俺の近くに居るのかって。
まあ、いいや。いくら考えたって栓の無いことだ。
気を取り直し、俺は伝さんの頭をぽんぽんと軽くたたいた。
「さ、帰ろっか。今日はご褒美に念入りにブラッシングしてやろうな」
「おんっ!」
「よし、久しぶりに家まで走るぞ、伝さん!」
リードを持ち直し、軽く走り出す。伝さんもうれしそうだ。犬だもん、やっぱり走りたいよな。だけど、全速力で走られたら……。
「俺のペースに合わせてくれよ?」
「おんっ!」
もちろんだぜ、というように伝さんは一声吠える。
俺は走りながらつい笑っていた。きっちり訓練された伝さんが、人間を引っ張って走るなんてことあるはずがない。飼い主の吉井さんから愛情をたっぷり注がれている伝さんは、情緒も安定しているし、本当に人懐こい。
けれど、悪意をもって近づいてくる人間に対しては、容赦なく威嚇する。そういう時の伝さんは、別犬(?)のように獰猛に見えるから物凄くコワイ。
一度だけ、吉井さんちが留守だと思ったか、空き巣に入ろうとした外国人(後から、そうだったと聞いた)を撃退する伝さんを見たことがあるが、あれぞ、まさしく<地獄の番犬>だった……。
ふと呟いて、ヨリコ・パパが周囲を見回した。何かを探しているようだ。
「どうかしましたか?」
「お連れの方は?」
「連れ?」
俺は相当変な顔をしていたんだろう。ヨリコ・パパは何だか申しわけなさそうにぼそぼそと続けた。
「だって、あなたと伝ちゃんと、三人、じゃなかった。二人と一匹で歩いてたじゃないですか。頼子が伝ちゃんに抱きついているのを、その人もにこにこしながら見てましたよ」
「え?」
二人と一匹って。俺はずっと伝さんと歩いてたけど、他に連れなんていないぞ。
どういうことだ?
何をどう考えていいのやら放心している俺に、ヨリコ・パパは追い討ちをかけた。
「あなたとよく似た、というか、そっくりな顔で……もしかして、双子のご兄弟ですか?」
「……え?」
俺は勢いよくヨリコ・パパを振り返った。そんな俺の反応に、彼はびっくりしているようだ。
「あれ、違うのかな? 双子でなくてもそっくりな兄弟もいますよね。もしかして、親戚の人とか? 僕の親戚にも、見た目良く似た従兄弟がいますよ」
「……」
俺はどう答えていいのか分からなかった。我ながらうろうろと定まらない視点が、ふとヨリコちゃんを捉える。
「……ヨリコちゃんも見たの?」
「みたって、なに?」
小鳥のように、幼女が首をかしげる。
「おじさんとそっくりの、もうひとりのおじさん」
俺の言葉に、彼女は首を振った。
「しらないの。よりちゃん、でんちゃんしかみてないもん」
何故か自慢げに答えるヨリコちゃん。あー、そうだろうな。俺なんか、彼女からしたらオマケみたいなもんだ。俺は思わず苦笑していた。
「あれ、頼子。そのおじちゃん、頼子の頭を撫でてくれてたのに。どうして知らないの?」
ヨリコ・パパは納得出来ないようだ。
が、親の心子知らず(?)。しらないったらしらないもん。ヨリコちゃんはそう言って、また伝さんにしがみついている。
「おかしいな。その人が伝ちゃんのリードを外したんですよ。何でこんな道のど真ん中で超大型犬を放すのか分からなくて、それでよけいに僕、怖かったんですが」
その人が伝ちゃんを解き放ってくれたお陰で、僕、伝ちゃんに助けられたんです。ヨリコ・パパはそう言った。
「──その人は、そんなに俺に似ていましたか?」
俺は、静かに訊ねていた。
「ええ。背格好もそっくりでしたよ」
ヨリコ・パパは答える。
俺は大きく息をついた。ふと気づくと、伝さんがつぶらな瞳でじっと俺の顔を見つめている。
俺はそんな彼の、発達した筋肉に覆われたしなやかな背中をゆるゆると撫でながら、ぼんやりと呟いていた。
「それ、多分、俺の弟だと思います」
「あ、やっぱり?」
ヨリコ・パパはうれしそうに微笑んだが、次の言葉を聞いた瞬間、その笑顔は凍りついた。
「俺の弟、もうこの世にいませんけどね」
『じゃあぼく、幽霊に助けられたんですね』
ヨリコ・パパの言葉を思い出し、俺は複雑な気分になった。
幽霊、か。
『その人は、ずっとにこにこして頼子の頭を撫でたり、伝ちゃんを撫でたりしてましたよ。そう、リードを外す時も楽しそうに伝ちゃんに何か話しかけてる様子で、……僕を助けに走るように命令してくれたのかなぁ。うん、僕はそう思います』
はあ。俺は溜息をついた。と、伝さんが気遣うように立ち止まり、俺の顔をのぞき込んでくる。
「くぅん」
心配そうに鼻を鳴らす。大丈夫だ、というように、俺は伝さんの背中をぽんと叩き、先を促した。
あれからすぐ、近くの交番から警官が駆けつけてくれた。若い警官はそこだけ震度7くらいの地震に見舞われたかのような光景に驚いていたが、塀が崩れた時の様子を俺たちから詳しく聞いた後、「危険・立ち入り禁止」のテープを張り、同僚に連絡して持ってこさせたコーンを配置した。その家の主人にも連絡を入れてくれるらしい。
先日の長雨で基礎が緩んだんじゃないか、というのが我々全員の見解だ。ま、原因の究明は専門家の仕事だな。
ヨリコ・パパはすっかり伝さんに懐いたようだ。娘と一緒に別れを惜しんでいた彼の姿を思い出すと、ついおかしくて俺はくすりと笑ってしまった。
「おん?」
伝さんが首を傾げる。俺は何でもないよと彼の耳の後ろをぐりぐりと掻いてやった。
「なあ、伝さん」
俺は次第に明るさを失っていく夕空を眺めながら呟いた。
「伝さんには見えたのか? あいつの姿」
「くぅん?」
つぶらな瞳で俺を見つめる伝さん。でっかいけど可愛い。ぴん、と立った耳が凛々しい。でも、可愛い。
「もしかして、今も一緒に歩いてたりするのか?」
伝さんはただ暑そうにハッハッと舌を出しているだけだ。犬は口でしか息出来ないもんな。それ以前にしゃべれないし。それを分かってて訊ねる俺も、莫迦というかバカだ。──俺は独り苦笑いした。
俺がドクター・ドリトルだったら、伝さんに聞けるのかな。死んだ弟は今、本当に俺の近くに居るのかって。
まあ、いいや。いくら考えたって栓の無いことだ。
気を取り直し、俺は伝さんの頭をぽんぽんと軽くたたいた。
「さ、帰ろっか。今日はご褒美に念入りにブラッシングしてやろうな」
「おんっ!」
「よし、久しぶりに家まで走るぞ、伝さん!」
リードを持ち直し、軽く走り出す。伝さんもうれしそうだ。犬だもん、やっぱり走りたいよな。だけど、全速力で走られたら……。
「俺のペースに合わせてくれよ?」
「おんっ!」
もちろんだぜ、というように伝さんは一声吠える。
俺は走りながらつい笑っていた。きっちり訓練された伝さんが、人間を引っ張って走るなんてことあるはずがない。飼い主の吉井さんから愛情をたっぷり注がれている伝さんは、情緒も安定しているし、本当に人懐こい。
けれど、悪意をもって近づいてくる人間に対しては、容赦なく威嚇する。そういう時の伝さんは、別犬(?)のように獰猛に見えるから物凄くコワイ。
一度だけ、吉井さんちが留守だと思ったか、空き巣に入ろうとした外国人(後から、そうだったと聞いた)を撃退する伝さんを見たことがあるが、あれぞ、まさしく<地獄の番犬>だった……。