第38話  <風見鶏>からの電話

文字数 2,976文字


俺がそう言うと、芙蓉と葵は顔を見合わせた。

「警察はダメだと思うよ」

「そうね。もし仮に彼を殺した犯人を見つけても、うやむやにされそうだわ」

俺はがっくりとうな垂れた。

「やっぱり二人ともそう思うか……」

偽ヘカテの件で警察が頼りになるのなら、弟は殺されたりしなかった──。つまりはそういうことなのだ。警察内の誰がこの犯罪組織に関わっているのか分からない状態では、下手に助けを求めることも出来ない。

疑心暗鬼に陥る。
最悪だ。警察がそんなんじゃ、俺たち善良な市民はどうすればいいんだよ。

一般市民の安全のため、必死に頑張ってる警察官もいっぱいいるだろうにさ、弟のように。なのに、一部の不心得者のせいで全体が悪いように思われる。

こんなんじゃ、弟が浮かばれない。俺は天井を見上げて息を吐いた。

ごめんな。死んだ後まで心配させる兄貴でさ。こんな俺なんかじゃ、とても「巨悪に立ち向かう」なんて出来ないよなぁ……。

「あなたはまず、自分の身を守らないといけないと思うわ。あなたに何かあったら、一番悲しむのは亡くなった弟さんよ」

「うん。拉致されないようにしないとね。何も預かってない、何も知らないと言っても多分信用されないだろうし、そうなるとまず開放はしてもらえないだろうし」

芙蓉に続いて葵まで言う。まず足元を見ろってことだな。
それにしても、と俺は思う。

「……弟の死後、俺を守ってくれていた人間は今後どうするつもりなんだろう。君たちの話によると、現在進行形でガードしてくれてるみたいだけど、接触してくることはないのかな」

「どうかしら……」
「どうなんだろう……」

三人で頭を悩ませる。
芙蓉からいろいろ話は聞いたけど、まだまだ分からないことが多すぎる。

と、いきなり「犬のおまわりさん」のメロディがかわいく響いた。なんだ? 俺のガラケー携帯か? こんな曲を着信音にした覚えはないのに……。

ああ、早く出ないと夏樹くんが起きてしまう。それにしても、「犬のおまわりさん」はないだろう。特に今は、鳴るならもっとシリアスな曲が鳴ってほしかった……。

慌てて携帯を取り出す。あまり大きな音にしてなくて良かった。眠ってる子供を起こしたらかわいそうだ。

誰からだよ? と携帯の小窓を見ても、番号が表示されていない。登録済みなら名前が出るし、していないものは番号で出る。そのどちらも表示されないとはどういうことだ。気味悪く思いながら、俺は通話ボタンを押した。

「はい?」

『自力で探し当てたようだな。というより、見つけさせてもらったのかな?』

「え?」

誰だよ、このベルベットヴォイス。親しげに話しかけてくるけど、ここまで美声の知り合いはいない。

耳に押し付けた携帯から、くすりと笑う気配が伝わってきた。

『私が誰か分からないのか、“風”?』

“風”って、え? じゃあこれは“風見鶏”からの電話? <ウォッチャー>の?

「……いつもメールだから声だけじゃ分からないよ。あんたが彼である証明は?」

妙なやり取りに、芙蓉と葵が心配そうに見つめてくる。大丈夫だ、と俺は二人に目配せをしてテーブルを離れ、部屋の隅に立った。相手のハンドルネームを口に出さないのは用心のためだ。

どんな小さなことでも相手を特定する情報に成り得るのだから、例のチャットルーム以外では“風”と“風見鶏”の名を出してはいけないと、彼──“風見鶏”からきつく言われているのだ。情報の専門家の言うことなので、彼に関することだけは気をつけている。……だって、コワイ。なんとなく。

ふっと笑う声が耳に聞こえた。

『私の言いつけをちゃんと守ってるんだね。私は“風見鶏”。今の二つ目のパスワードは<3dabird15>。「サンダーバード1号」なんだけど、気づいてくれたかな?』

「やっぱりそうだったのか? まさかと思ったんだけど、あんたのセンスって謎」

『これは君向けのパターン。分かりやすくていいだろう?』

どういう意味だ、それは。本当はもっと複雑なパスワード作成パターンもあるけど、俺には口に出したら笑っちゃうようなのがふさわしいってか。……<sirokuma30551>も「白熊さんは551」だったんだな、やっぱり。

俺はハッとした。

「もしかして、俺が設定した覚えの無い今の着信音も、あんたの仕業なのか?」

『そう。君に似合うと思って』

そう言って、くくくっと笑っている。

なんで『犬のおまわりさん』が俺に似合うんだ。ってか、どうやって……。“風見鶏”、あんた、俺で遊んでないか──?

「初めて電話をくれたのは、まあ、うれしいってことにしておくけど、また、どうして? 確かに、もう“彼ら”の居所は分かったけど……」

俺はちらっと二人に視線を流した。夏樹をだっこした葵と芙蓉が、一緒にこちらの方をじっと見つめている。

「夜、俺があんたに連絡を入れることになってたよね」

『そう。日付が変わった頃にね。でも、そうも言っていられなくなった』

「どういうこと?」

『今そこにいる全員、今すぐ部屋を出て。一階だけ降りて、別の部屋に入るんだ。階段を使うんだよ』

「え、な、なん……?」

『ほら。慌ててる暇はない。だから電話にしたんだ。何も持たず、今すぐだ。さあ!』

そう言うと、“風見鶏”は通話を切ってしまった。俺は一瞬呆けたが、用心深い彼がこんなやり方をしなければならないほど、切羽詰ってヤバイことがこれから起こるんだと考え至り、慌てて芙蓉と葵に声を掛けた。

「二人とも! 夏樹くんも連れて、すぐこの部屋を出るんだ!」

「どうして?」

二人がハモる。俺はスイートルームの廊下側ドアに向かいながら彼らを急き立てた。

「考えてるヒマは無い。とにかく早く! 俺についてくるんだ。あ、階段のドアは部屋を出てどっちだ?」

「左だよ」

夏樹を抱えた葵が大股で俺を追って来、芙蓉もそれに続いた。ドアを開けた俺は言われた通り廊下の左に突進し、階段に続く重いドアを開けた。

「こっちだ。二人とも、早く!」

ドアを押さえ、彼らが潜り抜けるのを待つ。俺もすぐに内側に滑り込んだ。ドアが閉まると同時くらいに、この階にエレベーターの止まる音が聞こえた。誰かこのフロアに来た?

もう一つのスイートルームの客か、ホテルスタッフだと思いたかったが、俺の直感が違うと告げていた。唇を引き結び、無言で二人を促して一階分だけ階段を下りる。そしてそのフロアに通じるドアを開けた。

こちらのフロアにはセミスイートが五室あるようだ。通話を切る寸前に“風見鶏”の告げた部屋番号を探す。すぐに見つかった部屋のドアノブに「起こさないでください」の札が下がっていた。

「多分、この裏に……」

俺は札を裏返した。案の定、カードキーがそこに挟んである。すぐにキーを取り出してドアを開けた。夏樹を抱いた葵を一番に中にいれ、芙蓉と俺が続く。キーを所定の場所に挿すと柔らかな明かりがついた。カーテンは閉まったままで外の光は入らない。

慌てたのと、階段を走り降りたのとで、息が切れてしまった。心臓がばくばくいっている。緊張のあまりか冷や汗まで浮かんでいる。
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