第355話 昏きより 7

文字数 2,235文字

土地神様の言葉が終わると同時に、叩き付けるような不安が男の心にどっと押し寄せた。

生温かい心地良い場所から突如追い立てられ、行く先もわからぬ流れに、あてどない旅に放り出されたような感覚がした。今まで見知った景色が後に後に流れて、ぐるぐると目が回る。頭を、中身ごとめちゃめちゃに振りたくられているみたいだった。

──川の激流に押し流され、ばしゃばしゃと藻掻きながら浮き沈みする人の頭を見て、笑ったことがある。これはあれに似ている……。

ああ、ああ、元の場所に戻りたい。おれはあそこを離れたくない。どこへ行くんだ、どこへ俺を連れて行くんだ。戻してくれ、戻してくれ、あの居心地の良い場所に、戻してくれ!

  お前のいう居心地の良い場所は、
  お前が不幸にした者たちの嘆きと涙で出来た場所

混乱し、赤子のように泣き叫ぶ男の耳に、土地神様の声が聞こえた。

  お前はこれから水に動かされ、風に動かされ、流れに流される

嫌だ。嫌だ。俺は動きたくない。ぬくぬくした場所でじっと身体を丸めていたい。

  千の嘆きがあってもお前が変わらぬから
  留まることなく 常に動き移り変わっていくものに乗せてやった

戻せ、戻せ、あそこ……俺の居場所──!

  そんなものは元から無かった

何故だ!

  誰もが自分で居場所を作る
  周りと自分と少しずつ変わり変えられながら居場所を作る
  お前はそれをしてこなかった
  だからお前の居る場所などない

そんな!

  今までお前がそこにいることが出来たのは
  お前がただの石だったからだ
  
  人の邪魔しかしなかった石も
  終に取り除かれる時が来た
  それだけのこと

嫌だ! 嫌だ! 石でもいい、元の場所に!

  許さぬ
  もう動かぬ石であることは許さぬ
  転がれ 動け 流れてゆけ
  水とともに風とともに
  時とともに
  季節とともに
  
  けして留まることの出来ぬものとともに

元の場所でなくてもいい! 移り変わる景色が、知らない景色が怖い……。動き続けて、続けて、いつまでも馴れることが出来ないのは怖い!
  
  変わることが怖いか

怖い! 

  ならそれが罰

許して、赦してください! 謝ります、俺が悪かった!

  口先だけよの

違う……!

  ならば変わってみよ

怖い……。

  そうよの、お前には無理だ
  どうあっても どうやっても お前は変わるまい 変われまい

……。

  流れてゆけ 永劫の時を
  さすればお前でも変われる時が来るかもしれぬ

ずっと、ずっと流れ続けねばならないのですか……?

  そうだ
  時が終わっても
  時が終わるまで

御慈悲を……!

  慈悲か
  お前にくれてやるような慈悲は無い
  だが……そうだな
  お前はただ一度だけ良いことをしたことがある
  五つばかりの童子に握り飯をやったことがあろう
  たまさかの気まぐれでしたことであろうが
  その童子、その時飯を喰わねば死ぬところであった
 
  縁あって寺に入った童子は立派な僧になり
  無縁の仏の菩提を弔っているという
  その功徳により
  お前に希望をやろう

希望……?
 
  あてどなく流れさ迷うのは恐ろしいであろう?

怖い! ただ流れ流れて、どこへも留まれないのは怖い!

  だからお前に少しの手掛かり、いや、目標(しるべ)をやろう
  あてのないよりいいだろう

どんな? 知らない場所ばかり巡るのは嫌だ……!

  光を集めよ

ひかり……?

  お前のために地の底に沈んだ千人のために
  陽の光を玉にして、光の玉を千とひとつ集めよ
  さすれば千人の魂は救われる

俺は……?
  
  お前の集めた陽の玉光の玉で
  千人が救われたなら
  次はようやくお前の番だ

俺は救われないのか?

  ……まず自分のことか

他人のために働けというのか?
 
  順番がある
  千人のほうが先だ

嫌だ! 俺だけ損をするのは嫌だ!

  ほう
  ほんの少しの罪滅ぼしもしたくはないと言うか

何故だ! どうして俺だけが……!

  まだわからないか

わからない! どうして俺だけ損をするんだ!

  損得の話ではない 罪滅ぼしは
  お前に与える希望なのに
  ……
  ……
  それすらわからず 
  罪滅ぼしの機会も与えられたくないというなら
  流れ流れて磨り減って消滅するまで
  永遠にあてどなく流れさ迷うがいい  

それは嫌だ……集める、集めるから、陽の光を

  集めるが良い
  暗い、陽の差さぬ心を持つお前よ
  闇よりも昏い心を持つお前よ
  
  昏い水の中で 暗い風の中で
  
  見つけられるものなら見つけるがよい
  陽の光を
  そして集めて玉にしてみるがよい
  光の玉に

見つける、必ずみつけて……。

  だが、楽はさせぬ
  長く強まっていく光にはそれだけで力がある故に
  
  お前が陽の光を集めて良いのは
  
  日の一番長い夏至から
  日の一番短い冬至までと定めよう
  
  常に短く弱まっていく光を追いかけるがよい
 
そんな……。  

  早くゆけ 集めにゆけ
  千とひとつのうち、たったひとつ足りなくても
  光は散るぞ

  さすればまた集め直し
  初めから作り直し

  冬至から夏至までのあいだを
  ただ無為に流れ流れながら
  流転の波に呑まれ 風に巻かれて飛ばされて
  
  水とともに 風とともに
  けして留まらぬ季節とともに
  
ああ、ああ、ああー!

  ゆけ!

ああ、報われないことは、あああ、したくない、ああああああ!

  留まることは許されぬ
  流れ流れて磨り減って消え去るのが嫌なら
  
  今、ゆけ!

あああ!
ああ
あ……






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