第72話 ポーカーフェースはカブフェース
文字数 3,189文字
く、くくくくく。
背後から笑いの二重奏が聞こえてきた。見ると、芙蓉と葵が下を向いて口元を押さえている。苦しそうだ……。笑っちゃいけないと思って我慢していたようだが、どうやら堪え切れなくなったらしい。
「と、智晴さん」
「着メロに寅さんは無いと思うわ」
「似合わない」
「似合わなさ過ぎる」
マナカナのようにさえずりながら、双子はついに大爆笑。夏樹は、というときょとんとしている。うんうん、純真な子供は<風見鶏>なんかのいぢわるに気づかなくていいんだよ。
「二人とも……義兄さんの言うところの<風見鶏>の仕業って、分かってるくせに……」
「分かってる」
「分かってるけど」
「ダメ」
「止まらない」
智晴の反応が、彼らの笑いのツボにはまりまくってしまったようだ。
ま、許してやれよ、智晴。こいつらまだ二十一歳なんだよ。
「二人はまだ若いんだ。箸が転がってもおかしい年頃なんだよ」
俺のとりなしに、智晴は憮然と答えた。
「……女子高生というには、トウが立ちすぎてると思いますが?」
恨みがましい智晴の目に、俺も吹き出しそうになる。いつも冷静で隙のない男だけに、こんなふうに感情を露わにするのが珍しいやら可愛いやら。だけど、俺は笑いを堪えるぞ。何故って……。
絶対後から真綿で首を絞めるようにじわじわといびられるから。
「ま、いいじゃないか! ところで、さっきの寅さんはメールだったんだろ? <風見鶏>は何て言ってきたんだ?」
あ、あれ? 真面目な声で聞いたつもりなのに、智晴の目が、何か冷たい?
「義兄さん、我慢出来ないなら笑ってもいいんですよ?」
静かに怒っている。でもヤバイ。俺しゃっくり出そう。ダメだ、ここで笑っちゃ!
止まらなくなってしまう。
「いや、我慢なんてしてないから!」
「義兄さんにポーカー・フェイスなんか、誰も期待してません」
「いやいや。ポーカーなんかやったことないし。あ、カブならやったことある。お前のやってる株じゃなくて、花札使うやつ。トランプでだったけど」
学生時代、チロルチョコを賭けて。ちなみに、キットカット個包装一個はチロルチョコ十個分とした。……山のようなチョコ菓子を買ってきたのは、例の<ひまわり荘の変人>だ。それで是非カブをやってみたいというから付き合ったんだが、金持ちの考えることは分からん。
「じゃあ、あなたのそれはポーカー・フェイスじゃなくてカブ・フェイスなわけですね。さぞ弱かったことでしょうね」
ぐさっ。俺は胸を押さえた。
『あ~、考える時間が長い。今、手元は六だね?』
『もう一枚コールが早いね。二か三かな?』
『次いらない? じゃあ八だな』
(参考文献:『じゃりン子チエ』はるき悦巳著)
……ことごとく読まれまくった俺。あいつは、……あいつはとても楽しそうだった……。
しおしおのぱぁにしょぼくれた俺に、智晴は深い溜息をついた。分かりやすいなぁ、とか小さく呟いている。放っとけ!
「『迎えの人間は信用出来る。何なら今年の全収入を賭けてもいい』、だそうです。……あんなタヌキ、信用したくありませんが。一体幾ら稼いでいるのやら」
「……だから、大丈夫なんだって。多分、<風見鶏>はお前にメールを出すことによって恩を売ってる」
あいつに。
<風見鶏>は、智晴がどれだけ俺を頼りないと思っているかを知っている。つまり、これもある意味『将を射んとすればまず馬を射よ』なんだろうか? ん? じゃあ俺が将で智晴が馬か?
ああ、ややこしい。
「お前と<風見鶏>のつきあいがどんな風なのか俺は知らないけど、少なくとも、<風見鶏>からの情報で俺たちを助けに来る程度には彼を信頼してるんだろう? だからさ、口添えをしたつもりなんだと思うぞ」
俺の<ガーディアン>たちの元締めのために。
そう言って、俺はあいつの差し向けた男たちを智晴に示してみせた。
車椅子は、ほとんど音を立てずに進んでいく。快適なクッション、角度調整の出来る足置き、幅の広い肘置き。まるで動く安楽椅子。
電動でもあるようだが、背後の男がずっと押してくれている。あいつ──俺の大学時代の年上の同級生であり、いま間借りしているぼろビルのオーナーであり、そして、俺は知らなかったが死んだ弟のシークレット・パートナーだったらしい男の寄越した、俺の護衛だ。
智晴たちとは、あのホテルで別れた。
やはりというか、智晴は最後までいい顔をしなかったが、最終的には俺にくっついてくることを断念してくれた。心からホッとした。
だってさ、あいつとの会談(?)では、智晴に聞かせたくないようなことがいっぱい出て来そうな気がするんだよ……。智晴よ、心配してくれてるのに、ゴメン。だけど、俺だってお前のことが色々心配だしさ。
それでも、地下駐車場まではついてきたけどな。せめて見送るくらいはしないと、とても安心できない、とかブツブツ言いながら。待機していたらしい高級車に乗り込むときは、いらないというのにまたおんぶされてしまったよ……。
シートに収まって、エアコンの効いた車内から、不満を隠そうともしない智晴に苦笑しつつ手を振ると、<風見鶏>の車椅子を置き去りに、ゆるゆると車は走り出した。そうして幾つかのスロープを上り、外の世界に躍り出る──夏の日差しが眩しかった。
どこへ向かうのか問うと、さっきのとはまた別系列の大型ホテルだという。それきり護衛の男も運転手も無言で、普通ならば気まずさを感じただろうが、今日は朝から色んな意味で刺激的で神経が疲れていたこともあり、俺はうっかり居眠りをしてしまっていた。……何て緊張感の無い! と智晴に叱られそうだが。
到着したと起こされたときには、地下の人工的な明りの中で車は既に停まっており、いま乗っているこの豪華皮張り車椅子が俺を待っていたというわけなんだ。護衛の男の手を借りて、何とか自力で車のシートからこちらに乗り換えた。足の裏以外は何とも無いわけだから、ドアと椅子さえ動かないよう支えてもらえれば、十分自分の力で乗り移ることが出来るのだ。俺はうれしかった。
ビバ! 車椅子! 女装のまま智晴におんぶされてしまった昨日の記憶は、削除だ、デリートだ。
まあ、そんなんは些細なことなんだけどさ。「些細なことならいつまでも拘らないでください」って智晴の声が聞こえそうだが、これはオトコのプライドの問題だ。脛毛剃られて、パンティ・ストッキングなんか穿かされたんだぞ? 思い出したくない。これは黒歴史として封印しよう──。
そんなことを考えている間にも、車椅子は滑るように進んでいく。地下からここまで直通エレベータで昇ってきたけれど、もしかしたら人払いでもしてあるんだろうか、大ぶりのフラワーアレンジメントの飾られたフロントカウンターは、無人だ。
「到着しました。こちらです」
護衛の男──名前は教えてくれなかった──は、車椅子を一番奥のドアの前で止め、脇にあるインターフォンらしきものを鳴らした。た。安楽椅子の安楽さにうっかりぼーっとしかけていた俺は、はっとして座り直す。
と、スピーカーからあいつの間延びした声が聞こえた。
「どうぞ。開いてるから勝手に入ってきて」
護衛の男は一応ノックしてからドアを開き、車椅子ごと俺を室内に押し入れてくれた。
「久しぶり~」
「ちょっと前に会ったばかりじゃないか」
ゆる~く言ってふにゃりと笑うあいつに、脱力しながら俺は答える。家賃はいつも現金手渡しだから、月に一度は必ずこいつと会っている。
俺は、こいつに何て言えばいいんだろう。ややこしいことは一切何も知らせることなく、影に日向に俺を守ってくれていた友人に。
背後から笑いの二重奏が聞こえてきた。見ると、芙蓉と葵が下を向いて口元を押さえている。苦しそうだ……。笑っちゃいけないと思って我慢していたようだが、どうやら堪え切れなくなったらしい。
「と、智晴さん」
「着メロに寅さんは無いと思うわ」
「似合わない」
「似合わなさ過ぎる」
マナカナのようにさえずりながら、双子はついに大爆笑。夏樹は、というときょとんとしている。うんうん、純真な子供は<風見鶏>なんかのいぢわるに気づかなくていいんだよ。
「二人とも……義兄さんの言うところの<風見鶏>の仕業って、分かってるくせに……」
「分かってる」
「分かってるけど」
「ダメ」
「止まらない」
智晴の反応が、彼らの笑いのツボにはまりまくってしまったようだ。
ま、許してやれよ、智晴。こいつらまだ二十一歳なんだよ。
「二人はまだ若いんだ。箸が転がってもおかしい年頃なんだよ」
俺のとりなしに、智晴は憮然と答えた。
「……女子高生というには、トウが立ちすぎてると思いますが?」
恨みがましい智晴の目に、俺も吹き出しそうになる。いつも冷静で隙のない男だけに、こんなふうに感情を露わにするのが珍しいやら可愛いやら。だけど、俺は笑いを堪えるぞ。何故って……。
絶対後から真綿で首を絞めるようにじわじわといびられるから。
「ま、いいじゃないか! ところで、さっきの寅さんはメールだったんだろ? <風見鶏>は何て言ってきたんだ?」
あ、あれ? 真面目な声で聞いたつもりなのに、智晴の目が、何か冷たい?
「義兄さん、我慢出来ないなら笑ってもいいんですよ?」
静かに怒っている。でもヤバイ。俺しゃっくり出そう。ダメだ、ここで笑っちゃ!
止まらなくなってしまう。
「いや、我慢なんてしてないから!」
「義兄さんにポーカー・フェイスなんか、誰も期待してません」
「いやいや。ポーカーなんかやったことないし。あ、カブならやったことある。お前のやってる株じゃなくて、花札使うやつ。トランプでだったけど」
学生時代、チロルチョコを賭けて。ちなみに、キットカット個包装一個はチロルチョコ十個分とした。……山のようなチョコ菓子を買ってきたのは、例の<ひまわり荘の変人>だ。それで是非カブをやってみたいというから付き合ったんだが、金持ちの考えることは分からん。
「じゃあ、あなたのそれはポーカー・フェイスじゃなくてカブ・フェイスなわけですね。さぞ弱かったことでしょうね」
ぐさっ。俺は胸を押さえた。
『あ~、考える時間が長い。今、手元は六だね?』
『もう一枚コールが早いね。二か三かな?』
『次いらない? じゃあ八だな』
(参考文献:『じゃりン子チエ』はるき悦巳著)
……ことごとく読まれまくった俺。あいつは、……あいつはとても楽しそうだった……。
しおしおのぱぁにしょぼくれた俺に、智晴は深い溜息をついた。分かりやすいなぁ、とか小さく呟いている。放っとけ!
「『迎えの人間は信用出来る。何なら今年の全収入を賭けてもいい』、だそうです。……あんなタヌキ、信用したくありませんが。一体幾ら稼いでいるのやら」
「……だから、大丈夫なんだって。多分、<風見鶏>はお前にメールを出すことによって恩を売ってる」
あいつに。
<風見鶏>は、智晴がどれだけ俺を頼りないと思っているかを知っている。つまり、これもある意味『将を射んとすればまず馬を射よ』なんだろうか? ん? じゃあ俺が将で智晴が馬か?
ああ、ややこしい。
「お前と<風見鶏>のつきあいがどんな風なのか俺は知らないけど、少なくとも、<風見鶏>からの情報で俺たちを助けに来る程度には彼を信頼してるんだろう? だからさ、口添えをしたつもりなんだと思うぞ」
俺の<ガーディアン>たちの元締めのために。
そう言って、俺はあいつの差し向けた男たちを智晴に示してみせた。
車椅子は、ほとんど音を立てずに進んでいく。快適なクッション、角度調整の出来る足置き、幅の広い肘置き。まるで動く安楽椅子。
電動でもあるようだが、背後の男がずっと押してくれている。あいつ──俺の大学時代の年上の同級生であり、いま間借りしているぼろビルのオーナーであり、そして、俺は知らなかったが死んだ弟のシークレット・パートナーだったらしい男の寄越した、俺の護衛だ。
智晴たちとは、あのホテルで別れた。
やはりというか、智晴は最後までいい顔をしなかったが、最終的には俺にくっついてくることを断念してくれた。心からホッとした。
だってさ、あいつとの会談(?)では、智晴に聞かせたくないようなことがいっぱい出て来そうな気がするんだよ……。智晴よ、心配してくれてるのに、ゴメン。だけど、俺だってお前のことが色々心配だしさ。
それでも、地下駐車場まではついてきたけどな。せめて見送るくらいはしないと、とても安心できない、とかブツブツ言いながら。待機していたらしい高級車に乗り込むときは、いらないというのにまたおんぶされてしまったよ……。
シートに収まって、エアコンの効いた車内から、不満を隠そうともしない智晴に苦笑しつつ手を振ると、<風見鶏>の車椅子を置き去りに、ゆるゆると車は走り出した。そうして幾つかのスロープを上り、外の世界に躍り出る──夏の日差しが眩しかった。
どこへ向かうのか問うと、さっきのとはまた別系列の大型ホテルだという。それきり護衛の男も運転手も無言で、普通ならば気まずさを感じただろうが、今日は朝から色んな意味で刺激的で神経が疲れていたこともあり、俺はうっかり居眠りをしてしまっていた。……何て緊張感の無い! と智晴に叱られそうだが。
到着したと起こされたときには、地下の人工的な明りの中で車は既に停まっており、いま乗っているこの豪華皮張り車椅子が俺を待っていたというわけなんだ。護衛の男の手を借りて、何とか自力で車のシートからこちらに乗り換えた。足の裏以外は何とも無いわけだから、ドアと椅子さえ動かないよう支えてもらえれば、十分自分の力で乗り移ることが出来るのだ。俺はうれしかった。
ビバ! 車椅子! 女装のまま智晴におんぶされてしまった昨日の記憶は、削除だ、デリートだ。
まあ、そんなんは些細なことなんだけどさ。「些細なことならいつまでも拘らないでください」って智晴の声が聞こえそうだが、これはオトコのプライドの問題だ。脛毛剃られて、パンティ・ストッキングなんか穿かされたんだぞ? 思い出したくない。これは黒歴史として封印しよう──。
そんなことを考えている間にも、車椅子は滑るように進んでいく。地下からここまで直通エレベータで昇ってきたけれど、もしかしたら人払いでもしてあるんだろうか、大ぶりのフラワーアレンジメントの飾られたフロントカウンターは、無人だ。
「到着しました。こちらです」
護衛の男──名前は教えてくれなかった──は、車椅子を一番奥のドアの前で止め、脇にあるインターフォンらしきものを鳴らした。た。安楽椅子の安楽さにうっかりぼーっとしかけていた俺は、はっとして座り直す。
と、スピーカーからあいつの間延びした声が聞こえた。
「どうぞ。開いてるから勝手に入ってきて」
護衛の男は一応ノックしてからドアを開き、車椅子ごと俺を室内に押し入れてくれた。
「久しぶり~」
「ちょっと前に会ったばかりじゃないか」
ゆる~く言ってふにゃりと笑うあいつに、脱力しながら俺は答える。家賃はいつも現金手渡しだから、月に一度は必ずこいつと会っている。
俺は、こいつに何て言えばいいんだろう。ややこしいことは一切何も知らせることなく、影に日向に俺を守ってくれていた友人に。