第255話 四つ辻の赤い薔薇 その後 2

文字数 2,003文字

「それは……」

あんなの、テレビの中だけで充分ですよね、と言う古町さんの言葉に頷いた。うん……見たくないよなぁ……たとえば、それが自分の親兄弟ならよけいに。俺は脳裏に過る鮮やかすぎる血の幻影を振り払った。──もう、終わったことだ。

亡くなった人のお姉さんという人も、辛い思いをしただろうな……。

「一番気味が悪いのは、ここからなんです」

寒いように肩を縮こまらせながら、古町さんは続ける。

「薔薇の花。死後、四日は経ってたはずなのに、今切ってきたばかりみたいに瑞々しかったんだそうです。だから警察では、訪ねてきた姉が死体の上にばら撒いたのではと疑ったらしいんですが……何故そんなことをしないといけないの分からない、と本人は怒って否定するし、大家も、自分は管理人室にいて姉がエントランス・ホールに入ってきたとき挨拶したが、そのとき姉は薔薇の花束なんか持っていなかったと証言したし、防犯カメラの映像はそれを裏付けるばかりで……」

遺体の下にも薔薇は落ちていて、潰れてはいたが未だ鮮やかだったのだという。

「──薔薇の花とかぬいぐるみとか、何なんでしょうね。可愛いものが好きな人だったんでしょうか」

男でそういう趣味だと、恥ずかしがって隠そうとする人も多いよな。甘いもの好きな男性が、喫茶店でパフェを頼むのを我慢するみたいな。

「これ、近所の噂なんですがね」

古町さんはいっそう声を潜める。

「その人、何かまじないをやってたらしいんですよ」

「……」

「四辻の厄落とし、って知ってますか……?」

思わず、息を呑んだ。

「いえ……」

このあいだ吉井さんに聞いたけど、あんまり思い出したくないからそう答えた。

「十字路にわざと五百円玉を落として、拾った誰かに自分の厄を移すっていう嫌な厄落としのまじないを広めた占い師がいるけど、それらしいんですよ」

「……厄落としなら、御祓いでも受ければいいのにね」

本当にそうですよ、と古町さんは頷いた。

「話によると、最初はそこの十字路にお金を落としてたみたいなんですが──」

古町さんは銀杏の生えているこの道と、少し向こうの、車がよく通る道が交差するところを指さした。左に曲がると駅への道に通じる。

「出勤の途中、わざわざ小銭を落とす姿を色んな人が見てるんです。意味が分からないし、気味が悪いから、誰も拾おうとしなかったそうですが。でね、ある日、うちの隣の大藪さんちの孫が、目の前を歩いてるその人が五百円玉を落としたのを見て、拾って、落し物ですよと渡そうとしたらしいんです」

まだ小学生だし、まさか、わざとお金を落として行く人がいるなんて思わなかったんでしょうと古町さんは言う。そりゃそうだよなぁ。

「そうしたら、落ちたのを拾ったのはお前なんだから、それはもうお前のものだ、俺に返すな! とかきつく叱るように言われたらしくて。相手はそのまま行ってしまうし、孫は訳が分からないし、五百円玉を握ったまま、多分ぼんやり歩いてたんでしょう、グループ登校の集合場所まで行く途中、側溝の蓋の隙間に足を取られて転んで、挫いてしまったんですよ」

通りかかった通勤途中の女の人が助けてくれたらしいんですけどね、と続ける。

「その人、孫くんをおんぶして、大藪さんちまで送ってくれたんだそうですよ。自分の鞄とランドセルを腕に引っ掛けて、足元なんかハイヒールなのに。ってまあ、それはともかく。その人が言うには、孫くんはわざわざ吸い込まれるように、側溝の蓋と蓋の間の隙間に足を踏み入れたように見えたと。それを聞いた母親に、ちゃんと前を見て歩きなさいと叱られた孫くんが、こんなことがあったと五百円玉を拾った話をして、それが見当たらないと。転んだ時、まだ手に握っていたんだそうです。ポケットに入れていいのかどうか迷ったんでしょう」

「落とし主が分かってる落し物だし、子供なりに、釈然としなかったんでしょうね」

古町さんは頷いた。落し物を拾ったら交番に届けなさいと、大藪さんは普段から孫にそう言っていたらしい。

「その、確かに握ってたはずの五百円玉が無い。転んだ拍子に落としたんじゃないかと母親が言ったんだそうですが、助けてくれた女の人が言うには、この子は確かにずっと片手を握りしめていたと。だから転ぶときも上手く手を着けず、足を痛めることになったんだろう、と言うんです」

「あー……」

そういえば、遠い昔の小学生の頃は先生がよく「ポケットに手を入れて歩いてはいけません」って言ってたな。それはこういうことなんだよなぁ。子供は転びやすいから、両手は自由にしておかないと。俺も娘のののかにはそう言い聞かせてた。

「で、五百円玉を落としたくせに、拾ってもらって礼を言わないばかりか、叱りつけて去って行った男の話を聞いて、女の人はそれは厄落としのまじないだったんじゃないかと。テレビに出てた占い師が、そんなようなことをどっかに書いてたのを、読んだ覚えがあると言うんです」

「……」
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