第116話 ある双子の兄弟 芙蓉と葵 後編

文字数 2,148文字

「パパ」

その時、芙蓉の腕の中の夏樹君が彼の父親の顔をのぞきこんだ。

「葵ちゃん、パパのこと、だいすきだっていってたよ」

「そう……?」

力なく微笑む父親に、うん、と天使のような男の子は頷く。その背中で、はんぺん、こと、白い犬のぬいぐるみが揺れる。まるで、はんぺんも一緒になってうんうんと頷いているみたいだ。

「いま葵ちゃんが、ばいとのかけもち? してるの、しゃかいけんがく? なんだって」

「社会見学?」

「色んなせかいをみておくんだって、葵ちゃん、いってたよ」

「それは、何のためだって葵は言ってた?」

ここで、夏樹君は黙り込んだ。

「……ないしょ」

「内緒って、夏樹」

さらに言葉を続けようとする芙蓉を、夏樹君は遮った。

「パパにはないしょだもん。おとことおとこのやくそくだもん。」

ぷくり、とふくれる、ピンクのほっぺ。
可愛いなぁ。この子の小さな頭の中には、一体何が詰まってるんだろう。

「まあまあ、いいじゃないか」

俺は芙蓉を宥めた。

「君が心配するようなことは、きっと何もないんだよ。話を聞いてたら、葵君、すごく前向きっぽい感じじゃないか。兄貴として、どーんと構えていろよ。きっとそのうち、彼の方から君に話してくれるさ」

「そうかな……」

芙蓉は気弱に目を伏せた。

全く。他人には滅法強いのに。肉親のこととなると、こんなにも臆病になるんだから。しおしおと萎れる姿は、まさに夕方の芙蓉の花だな。

「君自身が弟を信じてやらなきゃダメだ。ね、夏樹君?」

同意を求めると、子供は生真面目に頷いた。

「うん。パパ、葵ちゃんのこと、おこったりしないよね? そんなことしたら、葵ちゃんかわいそうだもん」

「そうか……そうだよね……」

芙蓉は夏樹君をぎゅっと抱きしめると、地面に降ろした。

「じゃ、公園に行こうか夏樹」

「あ、あの公園に行くのか。俺がよく犬の散歩でいくとこ」

「そう。夏樹が気に入ってるんだ。今日なんか八月とも思えないほど涼しいから、新学期が始まる前に連れていってやろうと思って。サンドイッチを作ってきたんだ。ピクニックっぽくて、いいでしょ?」

そう言って、芙蓉はようやく笑みを見せる。少し元気を取り戻したようだった。

そっか。新学期かぁ……ののかも新学期だな。
夏休み後半は、妻の仕事の関係で海外に行くって言ってたっけ。まあ、半分バカンスなんだろうけど。

「じゃあ。俺は仕事に行くよ。夏樹君、またおじさんと遊ぼうね」

「うん!」

しっかりと父親と手を繋いだ夏樹くんは、うれしそうに笑った。

「あ」

仲睦まじい親子の後姿を見送っていた俺は、ふといい事を思いついた。
ふふふ……。

「夏樹く~ん! ちょっと待って!」

声を掛け、俺は数歩二人を追いかけた。

「おじさん、なぁに?」

返事しながら、ちょこちょこと戻ってきてくれる。可愛いなぁ。

「葵君との男と男の約束、パパには内緒だけど、おじさんには内緒じゃないよね?」

そう言って、その場に立ったままの芙蓉に、にやり、と笑いかけてやる。

「えーと、えーと……」

訝しげな父親の顔と、にこにこ笑いかけるおじさんの顔を交互に見比べる夏樹君。

「葵君、おじさんに話しちゃいけないって言わなかっただろう? だから、葵君の<社会見学>の理由、教えてくれないかな? おじさん、彼を励ましてあげたいんだ。パパには絶対言わないよ。内緒にする。だって、男と男の約束だもんね」

悩む子供。畳み掛ける悪い大人。

「ね?」

子供の目線にしゃがみこみ、内緒話を教えてよ、とばかりに耳の後ろに手を当ててみせる。

「えーとね……」

悪い大人の手管に引っかかり、夏樹君は俺の耳元でこしょこしょと話してくれた。くすぐったい。

「……なんだって。葵ちゃん、そういってたんだよ」

「そうか……偉いなぁ」

俺は今聞いたばかりの葵の決意に感心していた。彼も、やっぱり兄思いなんだな……。

「ちょっと!」

怒った声に顔を上げると、芙蓉が仁王立ちしていた。しゃがんでいた俺と夏樹君を見下ろす彼の背後から、「ゴ、ゴ、ゴ……」とかいう効果音が聞こえてきそうだ。

「分かったよ、夏樹君。葵君に、がんばって、って言っておいてね」

大魔神と化しつつある芙蓉に気づかないふりをして、俺は無垢な天使のような子供の頭を撫でた。

「うん!」

「じゃ、パパと一緒に公園へ、行ってらっしゃい!」

「うん! ぼく、すべり台すべるの。ひとりですべれるようになったんだよ」

「すごいなぁ。パパに手を振ってあげてね」

「うん! 行こ、パパ!」

にこにことそう言って、夏樹君は父親の手を取り、走り出す。

「あんまり急いだら転ぶよ~?」

俺は笑顔で手を振った。

……今の芙蓉の顔。すっごく悔しそうだったな。ふふ、ふふふふふ。いつも俺をいじって楽しみやがって。たまには俺にも楽しませろ!

心の中で快哉を叫んでいたら、幼い息子の走るのに歩調を合わせていた芙蓉が、きっ、とこちらを振り返った。

覚えてろよ。

彼の唇がそう動いたような気がして、俺はぞっと寒気がした。

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