第90話 翌年の<俺>の七夕 後編

文字数 4,912文字

「──蟹。女の人の横顔。うさぎの餅つき」

苦し紛れに、俺は言った。
脈絡の無さそうな言葉。

「何? それ」

不審そうに、洋一くん。

「カニとかお餅とか、おじさん、お腹がすいたの?」

不思議そうに、健太くん。

それには答えず、俺は続けた。

「吠えるライオン、ロバ、ワニ、本を読むおばあさん」

「あれー、それってなぞなぞ?」

健太くんは目を輝かせる。

「ねーねー、ヒントは?」

訊ねられ、俺はそれを洋一くんに振った。

「何だと思う?」

はぐらかされたと思ったのか、洋一くんはちょっと不機嫌だ。

「わかんない。どうせデタラメ言ってるんでしょ?」

そっぽを向いてしまった洋一くんに、内心で苦笑する。

「ヒント、教えてあげるよ。それは──」

「お月さまだよね!」

元気な声が答えた。ふと見ると、近くの欅の木の下に浴衣姿の男の子が立っていた。健太くんと同じくらいだろうか? 薄い草色の地に、赤い金魚の柄が可愛い。まだ明るいけれどそろそろ夕方だから、誰か大人に連れて来られたんだろう。

「そうだよ。よく知ってるね?」

俺はその子に微笑みかけた。男の子もにっこり笑う。

「月ではうさぎさんがお餅をついているっていうだろう? 満月の時、お月さまを見ると影がそんなふうに見えるよね。でも、よその国に行くとあの影がカニに見えたり、ライオンに見えたりするんだよ」

ね? と男の子に同意を求めると、可愛く頷いてくれた。

「それがどうかしたの?」

ああ、洋一くんはまだご機嫌斜めだ。唇を尖らせ、どこかへ走って行きそうな勢いだ。もうちょっと待て。俺の話を聞いてくれ。

「つまり、だ。国によって人によって、同じものでも違うように見えるってことだよ。月の影がうさぎだったりワニだったり本を読んでるおばあさんだったりしても、それは全然間違いじゃないんだ。天の川をミルキーウェイと呼ぼうと、また別の名前で呼ぼうと、夜空にぼんやり光って見えるあれが、変わるわけじゃないんだ」

「……」

洋一くんは考え込んでいる。

「なあ、洋一くん。アメリカで、天の川を<天の川>って言っても通じないだろう?」

「うん……たぶん、通じないと思う。milky way って言わないと」

下を向いたまま答える洋一くん。おおう、さすが帰国子女。発音がチガウ。

「だからさ、君の叔父さんは、日本の七夕の歌をアメリカ風にアレンジしたんだと思うよ」

「アレンジ?」

「そう。ゴールドを金銀砂子にかけてさ。砂金が出るのは確かだし」

「……叔父さん、僕に嘘ついたんじゃないの?」

「嘘じゃないよ。叔父さんのアレンジだ。で、今日、君はオリジナルの意味を知ったというわけだ」

ヒヤヒヤしながら言葉を重ねる俺。
何か、詐欺師にでもなったような気分。

「洋一くんはこのお祭に来るの、今年が初めて?」

頷く彼に、俺はにっこり笑ってみせた。あー、我ながら胡散臭い笑顔。油断すると口元がひくひくしそう。

「じゃあさ、短冊に願い事を書いて、一番乗りで笹の葉につるしておいで」

出来立てほやほやだよ、と俺は薄いブルーの短冊を差し出した。おそるおそる受け取る洋一くん。健太くんには薄いクリーム色の短冊を渡し、お願い調子で言ってみる。

「健太くん、今日は洋一兄ちゃんに一番をゆずってあげてくれるかな? 兄ちゃんにとっては、記念すべきオリジナル七夕だから」

うん、いいよ! と元気の良い返事が返ってくる。

「いい子だね。じゃ、おじさんが抱き上げてあげるから、高いところにつるそうね。ほら、君も」

俺は先ほど助け舟(?)を出してくれた男の子にも短冊を渡した。着ている浴衣の色に合わせて、薄いグリーンを選ぶ。

「三人とも、そこのテーブルで願い事を書いて。色んな色のペンがあるから、すきなのを選んでいいよ」

子供たちはうれしそうに、楽しそうに、願い事を書きにいった。いざ書く段になるとちょっと恥ずかしそうになるのが微笑ましい。ああ、俺もついでに書いておくか。

──今年も、毎月ののかと会えますように。

ののかは俺の一人娘だ。離婚後、親権は元妻にあるから、俺は月に一度の面会日にしか彼女に会えない。元妻は約束を守って毎月きちんとののかに会わせてくれるけど、たまに何かの都合で会えないことがある。そういう時はがっくり来るんだ。贅沢は望まない。ただ、娘には会いたい。

ああ、俺って何ていじらしい父親なんだろう……。

なんてこと言ってると、元妻の弟の智晴にバカにされそうだけど。いいんだ。父親ってのは、娘には弱いものなんだよ。ふん。

「みんな、願い事は書いたかな?」

俺は子供たちに声をかけた。

「書いたよ。このヒモで結びつければいいの?」

洋一くんが訊ねてくる。俺が答える前に、健太くんが説明してくれた。

「そうだよ。先に輪っかをつくって、枝に引っかけるのでもいいよ。葉っぱがすとっぱーになるから、落っこちたりしないんだ」

「そっかぁ。笹の葉をくぐらせれば大丈夫なんだね」

洋一くんは感心している。浴衣の男の子もにこにこしている。七夕祭常連らしい健太くんはちょっと得意そうだ。

うーん、いいねぇ、子供の笑顔。

ののかも連れてきてやりたかったな。でも、今日はこれ仕事だし、今月の面会日は来週だし。今頃は元妻の実家で笹飾りをつけたりしてるんだろうか。いいんだ、ののかが楽しんでいるのであれば。

「よし。じゃあ、みんな、そこの飾りの中から好きなのを取って。短冊と一緒に笹につけよう」

俺はびょーんと伸びる紙細工やら、折り紙で作った月や星や船、花やロボットや小さなくす玉なんかの入った箱を差し出した。

笹竹の飾りつけは、短冊をつけた人がひとつだけ好きなのを選んでつけられるようになっているのだ。材質は、全て紙。祭の後で笹竹を燃やしても有毒ガスが出ないように。ここの七夕祭はそこまでのことを考えている。

ほとんどの飾りはすでに町内会側によって用意されていた。洋一くんや他の子たちが手伝ってくれていたのはあと少し足りない分と、あと、子供ながら行事に参加しているという自覚を持たせたいという、町内会側の考えがあってのことのようだ。

洋一くんは、自分がつくっていた紙細工を持った。どこに付けようか迷っているらしい。笹竹には未だ何の飾りもなしだ。そりゃ迷いもするだろうなぁ。よし。

「おんぶしてあげるから、上のほうに付けてみる? せっかくの一番乗りだし」

俺の申し出に、洋一くんはうれしそうに笑った。

次に健太くんを抱き上げてやり、浴衣の男の子も抱き上げて、その子が花の飾りをつけるのを手伝ってやった。

それから三々五々人が集まり始め、境内も賑わいはじめる。人の願いごとを託される笹竹も、いつの間にか満艦飾だ。何か用事を頼まれればまたそちらに行くが、今のところ俺の仕事は一段落。

次に忙しくなるのは片付けの時だ。少し休憩しがてら、遊ぶ子供たちを見守ろうか。

俺はたこ焼きをもらって大木の根元に座り、花火に興じる子供たちをぼんやりと眺めていた。ロケット花火のような派手なものは禁じられているが、手に持つ小型花火でも、みんなそれなりに楽しそうだ。

それにしても、最近の花火は小さいのでも凝ってるなぁ。次の面会日は、屋上に作ったささやかな菜園のそばで、ののかと花火でもするか。締めは当然線香花火だ。何でだろうな、あれって一番地味なのに。花火の終わりは、必ず線香花火、という人は多い。

「ねえねえ、おじさん!」

洋一くんが走ってきた。少し遅れて健太くんもやってくる。

「どうしたんだい? 肝試し、行ってきたんだろう?」

この子たちも、さっきまで走り回っていたな。子供は元気だ。

「うん。ぜんぜん怖くなかったよ」

洋一くんが答える。

「それよりさ、なあ、健太」

「うん」

ふたり、顔を見合わせる。
何だろう? 実は肝試しのお化けが怖かったとか?

「ぼくたちといっしょにいた、浴衣の男の子、おじさん知らない?」

「え?」

「肝試し、三人でいっしょに行ったのに、いつの間にかいなくなっちゃったんだ」

迷子になったのか? そりゃ大変だ。いなくなったのなら、保護者も心配しているだろう。

「どこでいなくなったの?」

「肝試しに行って、こっちへ戻ってくるまではいっしょだったよ」

洋一くんが答える。そんな迷うようなところじゃないのにね、と心配そうだ。

「あの子、誰とここに来たんだろうね。聞いてない?」

「ひとりで来たっていってたよ」

健太くんが言う。

「ひとりで?」

よほど近所の子なのかな? もしそうなら、保護者はちょっと無用心だぞ。もっと大きな子ならともかく。

「えっと、最後にあの子の姿を見たのはどこ?」

俺の問いに、洋一くんが本殿の縁側を指さした。昼間彼が紙細工をつくっていた場所だ。俺はふたりの子供を引き連れて、その辺りを探しにいった。もしかしたら、床下にもぐりこんだりしてるのかもしれないし。

「いないなぁ」

「帰っちゃったのかなぁ?」

子供ふたり、落胆したように肩を落としている。と、俺は薄暗い縁側の隅に不思議なものを見つけた。

それは、笹竹の笹でつくったらしい二葉の笹舟だった。そっと拾ってみると、中に何か入っている。遠くの明かりにかざしてみると、それは砂だった。石英でも混じっているのか、きらきらして見える。

俺はそれをそっと洋一くんと健太くんの手に乗せてやった。

「おじさん、これって……」

何か思い当たったように、洋一くんは笹舟の中の砂を見つめている。健太くんも真剣に掌の上の小さな舟を眺めていた。

「金銀砂子、だよ」

気がついたら、俺はそんなふうに呟いていた。ああ、あの子はきっと──

「あの子から、君たちへのプレゼントなんだろう。きっと先に帰らなくちゃならなくなって、それだけ置いていったんだろうね」

「きれいな砂だな」

ぽつん、と洋一くんが言った。

本物の金と銀みたい。溜息のように、彼は呟いた。








あの子のことを町内会長に報告すると、彼は微笑んだ。

「そうですか。今年も来てくれたんですね」

「あの……、会長はご存じなんですか?」

俺に冷たい生姜湯をすすめてくれながら、彼は語ってくれた。

「この祭に携わる者ならみんな知っているよ、あの子のことは。どこの誰なのかは分からない。ただ、この七夕の夜にだけ現れて、子供たちと遊んでくれる。誰にでも見えるわけではないんだがね」

それって、幽霊ってことか? だけど──

「何だか、座敷童子みたいな子ですね」

「そうだなぁ」

町内会長は頷く。

「どうもね、心のどこかに寂しさを持っている子にはよく見えるらしいんだよ。今回は、黒田さんちの隣の洋一くんのために、姿を現してくれたのかもしれないねぇ」

洋一くんの七夕カルチャーショック(?)については、既に彼に説明してあった。感慨深そうに語る彼の言葉に、俺も深く頷いた。

「まあ、祭には不思議なことがつきものだ。われわれとしては、あるがままを受け止めるだけだよ」

そう言って笑う町内会長の顔は、お寺の本尊の仏像にとても似てみえた。

ああ、そうだな。
俺は思った。

こういうことには、説明はいらないんだ。

今年の七夕祭り。洋一くんがいて、健太くんがいて。あのやさしい男の子のプレゼントしてくれた笹舟を、彼らはきっと大人になっても忘れはしないだろう。金銀砂子を抱いた、小さな笹舟を。 

不思議は、ふしぎのままで。

この七夕の夜の闇が、とてもやさしいものに見える。きっと今もあの子はここにいて、祭に集う人々を見守ってくれているのだろう。

来年はののかを連れてきたいな。俺は思った。
あの男の子の守るこのやさしい七夕の夜を、彼女にも感じさせてやりたい。

しみじみとそんなふうに考えた、今年の七月七日。
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