第349話 昏きより 1
文字数 2,054文字
今日もよく晴れている。寒いけど、気持ちの良い天気だ。
冬にしては空も青いし。
でもさぁ、だからって家出しなくてもいいと思うんだ、御堂さんちの柴犬、虎豆くん。今年生まれの若犬だから、落ち着きないのはしょうがないけど、ちょっと飼い主さんが宅配便受け取るために玄関開けてたからって、なにも飛び出さなくてもさぁ。
通りかかった野良猫を、追いかけて行ったらしいんだけど……。
御堂さんちはつい昨日引っ越してきたばかり。御堂さんご夫妻はもちろん、虎豆くんにも土地勘は無い。でも犬だから、そのうち自分で帰ってくるかと待ちながら、近くを探してみてもいないし、どうしよう、と焦っていたところで、「家出ペット探し名人の何でも屋さんがいるから、その人に頼んでみたら?」と隣の大貫さんにアドバイスされたらしい。
大貫さんちには茶トラ猫のポコちゃんがいる。前にポコちゃんの姿が見えなくなったとき、俺がわりとすぐ探し当てたことがあるんだ。野良猫の集会に混じってただけだから、簡単に見つけられたんだけどね。わかりやすい首輪してたし。それ以来、大貫さんは道で会ったらにこやかに声を掛けてくれる。
名人ってことはないけど、信頼してもらえるのはありがたい。それに応えるためにも、頑張って虎豆くんを見つけなきゃ。最悪の事態は避けたい、御堂さんのためにも、虎豆くんのためにも。
それにしても……、今日は夕方からまた子供を塾に送って行かないといけないから、早めに見つけたいなぁ。昼と午後からは予定が開いてたから良かったけど、このままだと塾の送り迎えやら、いつもの犬の散歩やらの合間を縫って探さないといけないかもしれない。
保険所には早々に連絡入れてあるけど、そっちからも虎豆くんらしき犬の情報はまだ無いらしい。
初対面わんこのために、馴染みの匂いをまとおうと、御堂さんから借りた赤紫にオレンジの柄の入った部屋着を羽織り、ご本犬愛用のクッションを片手にあっちの庭先、こっちの路地を歩く俺は、正しく不審者。でも大丈夫、このあたりのお宅ではよく草刈りとか樋掃除を頼まれるから、ぎょっとこっちを見ても、「あ、何でも屋さんか」って顔で会釈してくれる。こっちも何でもないようににっこり笑って「こんにちは」。
ついでに、一匹だけで歩いてる柴犬見ませんでした? と情報収集。お? 二人めで目撃証言ゲット。え? 猫を追いかけて向こうへ走っていった? どんな柄の猫ですかと聞いてみると、全身白だけど足と尻尾と両耳先の黒い猫だって。
そんな柄の猫なら、見たことがある、というか、なかなかインパクトのある柄だから忘れようもない。よくお寺の前の小さい神社? 祠? のところにいる野良猫だ。よし、そっちに行ってみよう! ナイスな情報ありがとう、うちの顧客様の一人、神埼の爺さん。
頑張れよ、と声を掛けてもらって、走る。ここからは歩いても十分ほどだ。
お寺の塀が見えてきた。年末平日の金曜日、駐車場には車は一台も止まっていない。目的の祠は門を通り越してその向こう、もう少し行かないと。でもスピードダウン。走って近づいてくる知らない人間なんて、犬にしてみれば怖いに違いないからね。祠にいてくれるといいんだけど、と思いながら足早に歩く。
「虎豆くん、とらまめ~」
名前を呼びながら、そっと近づいていく。祠を囲むのは主に馬酔木。早ければ一月末から花が見られるけど、年末の今はただの緑色。
「とらまめ~、虎豆くん」
チチチチ、と舌を鳴らしてみる。この辺の野良猫はわりとこれで来てくれるんだけどな、犬はいろいろなんだよなぁ。
「とらまめ、とらまめ~、おーい、御堂さんが心配してるぞ~」
ガサッ
あ、いた! 祠の後ろから顔を出してこちらをうかがってる。だから俺はそこで立ち止まり、ゆっくりとしゃがんで、持っていた虎豆くんのクッションをそっと差し出して名前を呼んでみた。
「虎豆くーん、とらまめ~」
こっちおいで~、と声を掛ける。羽織っていた御堂さんの部屋着を脱いで、もう片方の手で軽く振ってみる。
こっちをじーっと見ていた虎豆くん、だんだん寄ってきて、自分のクッションやご主人様の服の匂いを嗅ぎ始めた。
「よーしよーし、虎豆くんはいい子だなぁ」
友好モード全開でゆったりと声を掛け続ける。虎丸くんはようやく俺に近寄ると、周りを回ってふんふん匂いを嗅ぐ。手の甲でそっと顎先を撫でたら、ぺろりと舐めてくれた。ホッ。
「よーし、いい子だなぁ。さあ、御堂さんが心配してる。帰ろうな?」
そう言って、借りてきた虎豆くんのいつもの散歩用リードを見せてから、脅かさないようにゆっくり取り付けようとしたとたん。
「わん!」
ひと声吠えて、虎豆くん、祠の後ろに隠れてしまった。
「え?」
まさか、怖がられた? この段階まで来て嫌われたことないのに。軽くショックを受けてたら、またひょいと現れる頭。あー、良かった、戻ってきてくれた、って。
「え?」
祠の後ろから、虎豆くん、何かをくわえてやってきた。それは。
「仔猫……?」
にぁ~み~、と泣きながらじたばたもがいてる。ちっちゃい。
冬にしては空も青いし。
でもさぁ、だからって家出しなくてもいいと思うんだ、御堂さんちの柴犬、虎豆くん。今年生まれの若犬だから、落ち着きないのはしょうがないけど、ちょっと飼い主さんが宅配便受け取るために玄関開けてたからって、なにも飛び出さなくてもさぁ。
通りかかった野良猫を、追いかけて行ったらしいんだけど……。
御堂さんちはつい昨日引っ越してきたばかり。御堂さんご夫妻はもちろん、虎豆くんにも土地勘は無い。でも犬だから、そのうち自分で帰ってくるかと待ちながら、近くを探してみてもいないし、どうしよう、と焦っていたところで、「家出ペット探し名人の何でも屋さんがいるから、その人に頼んでみたら?」と隣の大貫さんにアドバイスされたらしい。
大貫さんちには茶トラ猫のポコちゃんがいる。前にポコちゃんの姿が見えなくなったとき、俺がわりとすぐ探し当てたことがあるんだ。野良猫の集会に混じってただけだから、簡単に見つけられたんだけどね。わかりやすい首輪してたし。それ以来、大貫さんは道で会ったらにこやかに声を掛けてくれる。
名人ってことはないけど、信頼してもらえるのはありがたい。それに応えるためにも、頑張って虎豆くんを見つけなきゃ。最悪の事態は避けたい、御堂さんのためにも、虎豆くんのためにも。
それにしても……、今日は夕方からまた子供を塾に送って行かないといけないから、早めに見つけたいなぁ。昼と午後からは予定が開いてたから良かったけど、このままだと塾の送り迎えやら、いつもの犬の散歩やらの合間を縫って探さないといけないかもしれない。
保険所には早々に連絡入れてあるけど、そっちからも虎豆くんらしき犬の情報はまだ無いらしい。
初対面わんこのために、馴染みの匂いをまとおうと、御堂さんから借りた赤紫にオレンジの柄の入った部屋着を羽織り、ご本犬愛用のクッションを片手にあっちの庭先、こっちの路地を歩く俺は、正しく不審者。でも大丈夫、このあたりのお宅ではよく草刈りとか樋掃除を頼まれるから、ぎょっとこっちを見ても、「あ、何でも屋さんか」って顔で会釈してくれる。こっちも何でもないようににっこり笑って「こんにちは」。
ついでに、一匹だけで歩いてる柴犬見ませんでした? と情報収集。お? 二人めで目撃証言ゲット。え? 猫を追いかけて向こうへ走っていった? どんな柄の猫ですかと聞いてみると、全身白だけど足と尻尾と両耳先の黒い猫だって。
そんな柄の猫なら、見たことがある、というか、なかなかインパクトのある柄だから忘れようもない。よくお寺の前の小さい神社? 祠? のところにいる野良猫だ。よし、そっちに行ってみよう! ナイスな情報ありがとう、うちの顧客様の一人、神埼の爺さん。
頑張れよ、と声を掛けてもらって、走る。ここからは歩いても十分ほどだ。
お寺の塀が見えてきた。年末平日の金曜日、駐車場には車は一台も止まっていない。目的の祠は門を通り越してその向こう、もう少し行かないと。でもスピードダウン。走って近づいてくる知らない人間なんて、犬にしてみれば怖いに違いないからね。祠にいてくれるといいんだけど、と思いながら足早に歩く。
「虎豆くん、とらまめ~」
名前を呼びながら、そっと近づいていく。祠を囲むのは主に馬酔木。早ければ一月末から花が見られるけど、年末の今はただの緑色。
「とらまめ~、虎豆くん」
チチチチ、と舌を鳴らしてみる。この辺の野良猫はわりとこれで来てくれるんだけどな、犬はいろいろなんだよなぁ。
「とらまめ、とらまめ~、おーい、御堂さんが心配してるぞ~」
ガサッ
あ、いた! 祠の後ろから顔を出してこちらをうかがってる。だから俺はそこで立ち止まり、ゆっくりとしゃがんで、持っていた虎豆くんのクッションをそっと差し出して名前を呼んでみた。
「虎豆くーん、とらまめ~」
こっちおいで~、と声を掛ける。羽織っていた御堂さんの部屋着を脱いで、もう片方の手で軽く振ってみる。
こっちをじーっと見ていた虎豆くん、だんだん寄ってきて、自分のクッションやご主人様の服の匂いを嗅ぎ始めた。
「よーしよーし、虎豆くんはいい子だなぁ」
友好モード全開でゆったりと声を掛け続ける。虎丸くんはようやく俺に近寄ると、周りを回ってふんふん匂いを嗅ぐ。手の甲でそっと顎先を撫でたら、ぺろりと舐めてくれた。ホッ。
「よーし、いい子だなぁ。さあ、御堂さんが心配してる。帰ろうな?」
そう言って、借りてきた虎豆くんのいつもの散歩用リードを見せてから、脅かさないようにゆっくり取り付けようとしたとたん。
「わん!」
ひと声吠えて、虎豆くん、祠の後ろに隠れてしまった。
「え?」
まさか、怖がられた? この段階まで来て嫌われたことないのに。軽くショックを受けてたら、またひょいと現れる頭。あー、良かった、戻ってきてくれた、って。
「え?」
祠の後ろから、虎豆くん、何かをくわえてやってきた。それは。
「仔猫……?」
にぁ~み~、と泣きながらじたばたもがいてる。ちっちゃい。