第132話 はんぺんの冒険 3

文字数 2,914文字

「そっか、夏樹くんはがんばったんだね」

俺ははんぺんを大事そうに抱えている夏樹の頭を撫でた。黒い絹糸のような髪が、太陽の光にきらきらと輝く。子供の髪は柔らかいなぁ。

「でもね、一人でお外を歩いていたのはちょっとよくなかったかな」
「ぼく、わるい子?」

うるうるした瞳で俺を見上げる。うう。負けてはダメだ。俺が子供だった頃と今は時代が違うんだから。

「お外に出る前に、パパか葵くんか──そうだな、せめておじさんに携帯で知らせてくれれば、悪い子じゃないよ」
「ぼく……」

夏樹は下を向いてしまった。

「今日、夏樹くんは意地悪なお兄ちゃんにはんぺんを連れて行かれて、とっても悲しくて心配しただろう?」
「うん。むねがぎゅっとしてね、つぶれるかと思った」

大きな白い犬のぬいぐるみを、ぎゅっと抱きしめる夏樹。

「夏樹くんが黙っていなくなったら、パパも葵くんもおじさんも、みんな心配で胸がつぶれるような気持ちになっちゃうよ。だって、みんな夏樹くんのことが大好きだし、大切だから」

「だいすきでたいせつだから、むねがぎゅっとなるの?」
「そうだよ。夏樹くんも、はんぺんのことが大好きで大切だろう?」

子供はこっくりと頷いた。
分かってくれたか。良かった。頭ごなしに叱っても逆効果だからなぁ。

ほっと息をつきかけた時、俺はびくりと身体を強張らせた。

空気を裂く鋭い音。な、何だ? 俺は思わず夏樹の身体を抱きしめ、音の出所を見た。サカバヤシだ。

「い、今のは何かな?」

「……上から落ちてきたので、つい」

彼のごつい掌の中に、名残の桜の花びらがひとつ。

サカバヤシは恥じるように下を向いた。……夏樹と違って、そんな仕草をしたって可愛くない。

「つまり、その。動くものに反応してしまったというわけですか?」

サカバヤシは無言で頷く。

「目の端にちらりと見えたと思ったら、無意識に……」

「考えるより先に身体が動いてしまったんですね……」

これが脊髄反射というやつだろうか。それにしても、どうしてそんな状態になってるんだろう。今が一番ピークだそうだが……。

「あの、どうしてそんなに過敏なのか、お聞きしても?」

「……」

サカバヤシは黙っている。なんだかその無言の存在感が、コワイ。とはいうものの、誰かを害するようなものではないのは言動からも分かる。

「俺、SPなんだ」

目をうろうろとさ迷わせながら、サカバヤシは唐突に話し出した。

「SPというと、あれですか、シークレット・ポリス? 政治家とかを暴漢や狙撃から守るという任務の?」

サカバヤシは頷く。

「今日は午後から非番になったんだが、ここ数週間ずっと対象の護衛をしていたものだから、ギリギリの緊張感が残ってる。張り詰めた神経が落ち着くまで、まだもう少しかかる……」

だから、人の気配が辛いのだとサカバヤシは言った。護衛対象の身の安全を守るため、SP任務中は常に気を張っている。それこそ、「寄らば、切る!」というくらい神経を研ぎ澄ませているそうだ。

「つまり、クールダウンするまで、急激な動きや音に過敏になってしまうんですね」

今はまだ、全身が臨戦態勢というわけか。

「クールダウン……」

サカバヤシはまたがっくりと項垂れる。

「俺、そのクールダウンが下手で……なかなかコントロール出来ない。熟練した人は呼吸ひとつでオンとオフを切り替えることが出来るけど、俺は……」

同期曰く、最終兵器彼氏。先輩曰く、高感度パッシブセンサー付き爆発物。
職場では、そんなふうに揶揄われているらしい。そしてその至らなさを上司に叱られるそうだ。

「そんなんだから俺は、本当に気をつけないと、肩がぶつかっただけで相手を投げ飛ばしてしまうかもしれない、いや、投げ飛ばすだろう」

「でも、そうやって自分のことはちゃんと自覚しているわけでしょう?」

俺は身体を縮こめたままのサカバヤシに言った。

「なら、いいんじゃありませんか? 特に、今回はあなたのその過敏な反応のお陰でこの子が助かっただから、そんなに悲観しなくてもいいと思います」

「そ、そうかな……」

「そうですよ」

答えながら、俺は膝の上の夏樹の顔をのぞきこんだ。

「ねえ、夏樹くんはサカバヤシさんのこと、きらいかな?」
「ううん。すき! だって、はんぺんのこと助けてくれたもん。サカバヤシのおじちゃん、ありがとう!」

ぴかぴか光るような子供の笑顔。サカバヤシのおじちゃんは、やっぱりぼでぃがーどだったんだね、かっこいいね、と喜んでいる。いや、SPとボディガードはちょっと違う、とサカバヤシは何やら呟いていたが、説明は諦めたようだ。まあ、子供にその違いは分からないだろう。俺もいまいちよく分からない。

「ねえ、サカバヤシのおじちゃん」
「な、なんだい、な、夏樹、くん?」
「はんぺんをかしてあげる」

唐突な子供のセリフに、サカバヤシは呆気に取られたような顔をした。

「どうしてサカバヤシのおじちゃんにはんぺんを貸してあげるんだい、夏樹くん?」

俺も思わず訊ねていた。

「だって、はんぺんはいい子だもん。はんぺんをだっこしてると、ぼくはとってもあんしんするの。だから、はい!」

俺の膝に乗ったまま、夏樹はサカバヤシにはんぺんを差し出した。サカバヤシはどうしたらいいのか分からないんだろう。俺に目で助けを求めてくる。

んー、でも、これって彼のクールダウンに役立つかも。なんといっても、はんぺんはぬいぐるみだからいきなり動くようなことはないし。もし動いたら、ホラーだ。

「この子のせっかくの好意だし、ちょっと借りてみたらどうでしょう。ぬいぐるみの癒し効果で、あなたのピリピリも少しは楽になるかもしれませんよ?」

「癒し効果……?」

サカバヤシはくたりとしたはんぺんをじっと見つめている。

「もこもこした肌触りのいいぬいぐるみって、大人でも好きな人は多いですよ。一度試してみては?」

俺の言葉に背中を押されたように、サカバヤシはそうっと、本当にそうっと夏樹からはんぺんを受け取った。

「じゃ、夏樹くん、サカバヤシのおじちゃんにはんぺんを貸してあげてるあいだ、おじちゃんと遊ぼうか? ギッコンバッタンはどうかな?」

「おじちゃん、それってしーそーっていうんだよ。葵ちゃんが言ってた」
「そ、そうか」

俺の子供の頃の言い方じゃダメだったか……。

「ね、ぼく、さきにぶらんこに乗りたい。おじちゃん、ぶらんここいでくれる?」
「ああ、いいよ」

本当はこの場から飛び去った九官鳥のカンちゃんを探さないといけないんだが……今日はもうしょうがないや。

子供の手を引いてブランコに向かう途中、ふと振り返ってみると、サカバヤシが恐る恐る、という言葉がぴったりの仕草ではんぺんを膝の上に乗せているとこだった。

クマのような大男に、かわいい犬のぬいぐるみ。うーん、素晴らしいコラボレーションだ。なんちゃって。

しばらくあの人の良いSPをひとりにしておいてやろう。
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