第89話 翌年の<俺>の七夕 前編

文字数 4,161文字

「何でも屋のおじちゃん!」

白い毛皮がゴージャスな、チンチラペルシャ・福ちゃんの飼い主、黒田さんの孫の健太くんが俺に駆け寄ってきた。

「ん? なんだい?」

「えーとね、このお歌。ささのは さらさら のきばにゆれる おほしさま きらきら、の続き、教えて」

微笑ましいなぁ、と思いながら、「金銀 砂子」だよ、と教えると、健太くんは言った。

「これって、ゴールドラッシュの歌なんだよね?」

「へ?」

俺は素で驚いた。

「だ、誰がそんなこと言ったの?」

「お兄ちゃん」

健太くんは、今俺たちがいるお寺の縁側に座って足をぶらぶらさせ、一心に紙細工を作っている小学校高学年くらいの男の子を指差した。

「健太くん、お兄ちゃんいたの?」

「おとなりの洋一兄ちゃんだよ。福ちゃんがよく遊びにいっちゃうんだ」

「福ちゃん……お隣に行くくらいはいいけど、また家出しないといいねぇ」

俺はつい遠い目になってしまった。福ちゃんは、“猫の春”が来ると必ずガールハントに出かけてしまうプレイボーイ(?)だ。ナンパ道中で交通事故に遭ったら大変と、黒田さんに頼まれて探して捕獲すること三回。引っ掻かれるわ、咬まれるわ……。頼むよ、福ちゃん。早く枯れてくれ。

シーズンでさえなければ、福ちゃんは自宅を中心にせいぜいワンブロックのテリトリーから出ないんだがな。恋の季節は嵐のよーに、彼の本能を駆り立ててやまないようだ。

ま、人間のように万年発情期でないだけまだマシか。

俺はふっと息をつき、ちょい厚めの色上質紙を細長く切って短冊にし、端に紐通し用の穴を開ける作業に戻った。うーん、やっぱり穴あけパンチで一度に五枚は無理だな。不精しないでせめて一度に三枚にしておこう──。

ペット探しからどぶ浚い、電球取替えから草むしりまで何でも請け負う「何でも屋」の俺の本日の仕事は、七夕祭の用意と後片付けだ。依頼主はこの町の町内会。祭といっても大掛かりなものではなくて、手作り感覚のゆったりしたものだ。

町内有志が綿菓子製造機と業務用たこ焼き器をレンタルし、参加者に無料で配るらしい。子供は思い思いに書いた短冊を笹の葉につるし、後は大人に見守られながら花火をしたり、ゲームや肝試しをしたりと、普段は許されないような、ちょっとした夜の外遊びを楽しめる。

あまりにもおとなしい、こじんまりしたお祭だが、けっこう楽しみにしている人も多いようだ。毎年、幻燈や影絵遊びを披露して、この日ばかりは子供たちの人気者、というご老人もいるらしい。

織姫と彦星に思いを馳せつつ、のんびりゆったり夕涼み。

それなりに広い境内には、街中に珍しく樹齢何百年というような木々が繁っており、夜ともなればさらに涼しく、プチ森林浴気分が楽しめる。それに、人ごみと熱気に揉まれて埃まみれにならずに済むから、乳幼児も余裕で連れてこれる。

毎年各地で行われる大花火大会を巨大テーマパークとすれば、この町内会主催の七夕祭は気軽なこどもゆうえんち。大掛かりな絶叫マシンはないけれど、パンダとうさぎとぞうさんの、びょんこびょんこした乗り物はある。そんな感じ。

こんなふうにこぢんまりして居心地の良い雰囲気を気に入って、わざわざ隣町から子供連れで参加する人もいるらしい。大人も子供も力を抜いて参加できるってのがいいよな。

寺は毎年無料で境内を提供してくれているそうだ。そのため、町内の人間はもちろん、よそから来る人たちは特に、律儀に多めの賽銭を入れていくという。「町内会費を払っていないよそ者にも、快く祭に参加させてくれてありがとう」ということらしい。もちろんちゃっかり無料で楽しんでいく人間もいるが、ほとんどの人たちは誰に言われなくてもちゃんと賽銭を用意している。

中には諭吉を一度に五人ばかり入れていくような奇特な人もいるそうで、そういった浄財はまた来年の七夕祭の費用に回されるということだ。

普通なら町内会の人間だけで手が足りるはずなのに、今回俺みたいな何でも屋に声が掛かったのは、ここ数日のあいだに葬式が続いて突然人手が足らなくなったかららしい。実は、昨夜もひとりお亡くなりになったとか……。

葬式は、続く時は何故か続いてしまう。だから「友引」に葬式をやると顰蹙を買うんだが……。今年は七月になってもやたらに涼しい。が、油断しているといきなり暑くなったりする。お年寄りの身体には、それがちょいきつかったようだ。

そんなわけで、昨夜いきなり祭の手伝いの依頼を受けた俺は、早朝から走り回っているというわけだ。町内会が以前から話をつけてあった竹林の持ち主立会いの元、適当な大きさの笹竹を切り出して会場に運び、所定の場所に設置する。

クリスマスツリーとまではいかないが、結構な大きさの笹竹なので、倒れないようセッティングするのが大変だった。

それから、飾りつけと短冊作り。なかなか楽しいが、鶴くらいならともかく、切り紙細工は難しい。それは得意な子供がやってくれることになって助かった。今日が学校休みの土曜日で良かったよ。お陰で俺は単純作業の短冊作りに没頭出来る。

パチン、パチンと色とりどりの短冊に穴を開け、細い紙の紐を通していく。あー、あとどれくらい用意すればいいかな。ちょっと飽きてきたが、これは仕事だ。手抜きは出来ない。頑張れ、俺。

それにしても──。

「ゴールドラッシュの歌、かぁ……」

つい、呟いていた。まあ、そう取ろうとすれば取れなくもないけど、風情がない、風情が。

「ねえ、おじちゃん」

また健太くんが話しかけてくる。

「ゴールドラッシュって、なぁに?」

えーと。何て説明すればいいのかな、この場合。七夕の歌とゴールドラッシュは何の関係もないと言うのは簡単だけど、そうすると「洋一兄ちゃん」の立場がなぁ……。

おじちゃん、答えるの難しいよ、健太くん。

「ゴールドラッシュっていうのはねぇ……」

あー、困った。どうしよう。大人の欲望にまみれた山師たちの話なんてしたくないしなぁ。連れられていった犬たちも酷い目に遭ったし……。

悩んでいると、後ろからまだ声変わりしていない男の子の声が答えた。

「アラスカで金の鉱脈が発見されて、みんなそこに殺到したんだよね。一攫千金を夢見て」

「あ、洋一兄ちゃん」

ありゃりゃ。

「それで、掘り出した金の鉱石混じりの土を川の水で篩いにかけて、金だけを取り出したんだよね。だから、金銀砂子なんでしょう? おじさん。あの歌は、労働者の歌なんだよね?」

労働歌というと、ソーラン節とか酒造りの杜氏の歌とか……っていうか、日本の歌であるささのはさらさらが、あの時代の金鉱掘りの男たちの歌のはずが無いだろう。だいたい、アラスカに笹の葉ってあるのか?

そんなことを知るはずもないだろう洋一くんは、にこにこしている。俺は言葉に詰まった。そっちへ行ったか、という感じだ。

実は俺は、彼がもっと皮肉で現実的で生々しいことを言うんじゃないかと思って焦っていたんだ。例えば、ささのはさらさらは、本当は拝金主義の歌なんだぜ、しょせんこの世は金だ! みたいな斜に構えたようなことを言うのかと。……俺の方が皮肉で現実的か。ああ、大人って汚れてる。

改めて洋一くんを見てみると、年のわりには落ち着いていて、大人びた感じだ。だからつい、ニヒルに世を拗ねた小学生なのかと警戒したんだが、何だよ、とても純真そうじゃないか。誰だ、こんないい子に変な解釈を教えたのは。

さらに純真な小学校低学年の健太くんは、えー、金って土の中にあるの? すごぉい! やっぱり洋一兄ちゃんは物知り博士だぁ、などときらきらした尊敬の眼差しで見つめている。あちゃー。どうするよ、俺。

頭ごなしに訂正するのは簡単だけど、子供を傷つけたくはない。とりあえず、探りを入れよう。うん。

「……へえ。詳しいね、洋一くん。本で読んだの?」

「ううん。ステイツにいた時、親戚の叔父さんが教えてくれたんだよ」

「アメリカにいたの?」

洋一くんは頷いた。

「父さんの仕事の関係で、小学校に上がる前まであっちにいたよ。でね、七月四日はアメリカの独立記念日でみんな大騒ぎして、七月七日には日本のお祭をやって向こうの友だちを招待したんだ。その時に母さんに教わって七夕の歌を歌ったんだけど、僕、意味が分からなくて。そしたら、遊びに来てた叔父さんが教えてくれたんだ」

誇らしげに語る笑顔が、眩しすぎる……!

俺は、顔も見たことのない洋一くんの叔父さんを恨んだ。小学校前の無垢な子供に、面白半分で嘘っこを教えるんじゃねえ!

いやいや、冷静にならなくては。この子が悪いんじゃないし。

「織姫と彦星の話は知ってる?」

さりげなく、俺は訊ねてみた。

「えっと、ふたりがあんまりラブラブすぎて仕事しないから神さまに怒られて、一年に一度しかあわせてもらえなくなったんだよね?」

簡潔すぎるが、まあ、そういうことだ。俺は内心苦笑した。

「そうだね。洋一くんの言うとおり、神様に怒られた織姫と彦星は天の川の向こうとこちらに引き離されて、年に一度、七夕の夜だけ逢うことを許されることになったんだ。天の川は夜空でぼんやりと光っててきれいだろう? だからそれを金や銀の星の砂で出来ていていると考えて、歌では『金銀砂子』となってるんだよ」

俺はうろ覚えの知識を披露した。

「……叔父さん、僕に嘘を教えたのかな?」

ぽつりと呟く洋一くん。あああ、その通りなんだけど、そうだと答えたらこの子が傷ついてしまう。あー、もう、困った。

「いや、ゴールドラッシュでアラスカに行った人たちの見つけた金は、天に帰って天の川の砂になったんだよ、きっと。細かい金は、砂金、つまり、金の砂と言われているからね。アメリカではそうなんだよ、うん」

く、我ながら苦しい言い訳だ。

「アメリカでは、天の川のことはミルキーウェイって言うんだよ。あれは女神様のこぼしたミルクなんだって。砂じゃないよ」

洋一くんは上目遣いで責めて来る。うう、何でこの子の叔父さんの尻拭いを俺が……!
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