第261話 年末、かつてのお正月を惜しむ 前編

文字数 1,520文字

※2017年の話です。

右膝の前に碁盤。左膝の前に将棋盤。

パチリ、と右に碁石。
パチリ、と左に将棋の駒。

碁盤の前に大仏(おさらぎ)のご隠居が座ってて、将棋盤の前では神埼の爺さんが胡坐かいてる。──打ったり指したり、しかも同時に二人を相手に、俺、何でこんなすごい名人みたいなことしてるんだろう……。ちょっと遠い目になってしまう。

「昭和がまた遠くなったねぇ、神崎さん」

元気のない声で、ご隠居。

「正月が目出度くなくなって、既に久しかったけどなぁ、大仏さん」

力のない声で、爺さん。

二人そろって溜息を吐く。その合間に、駒をパチリ、石をパチリ。

ここは大仏のご隠居のお宅。その八畳の和室で、午後からずっとこんな調子だ。外は寒いけど、部屋の中はエアコン入って暖かい。何でも屋お仕事メニューのひとつ、“話し相手”依頼が重なって、ご隠居も爺さんも、相手がアイツなら一緒でもいいだろう、ということでこんなことになってる。

俺を通して茶飲み友達になったご老人二人、よく口争いしてるけど仲はいい。

静かな部屋に、しばらくは石と駒を置く音だけが響く。俺は両方の次の手を考えるのに精一杯、時々ルールがこんがらかる。ちなみに、俺はどっちもちょぼちょぼのヘボです。言うまでもなく弱いです。辛うじてそれぞれのお相手を努められるかな、という程度。

「……」
「……」

またそろって溜息を吐きながら、パチリパチリとそれぞれで俺を追い詰めるご老人方。勝っているのにちっともうれしそうじゃない。いつもなら、二人ともこのあたりで得意になるところなのに、これほど元気がないのには理由があるんだ。

「お染ブラザーズも、今頃はまたあの世で出会って、神さんの前で目出度い芸をやってるのかねぇ……」

と、大仏のご隠居。

「兄の染太郎が先に行って、蓮の(うてな)の上で待ってただろうからなぁ。染之助のほうが自分より老けてて、びっくりしてるんじゃないか」

と、神埼の爺さん。

「さっそくネタにしてるんじゃないかな」

パチリ。

「『兄より長生きしたので、弟と思えないくらい老けてます。年も多めに回しております!』とか?」

パチリ。

「そこで二人一気に若返ったら、神さんも仏さんも大ウケだよ」

パチリ

「ドッカーン! と来るだろうなぁ。あの世で新しい芸に開眼か」

そうだったら目出度いねぇ、目出度いなぁ、とパチリ、パチリ。

……
……

先ごろ、太神楽の海老一染之助さんが亡くなった。少し前まではお正月には欠かせない存在だった「お染ブラザーズ」こと、海老一染之助・染太郎コンビ。弟の染之助が素晴らしい芸を見せ、兄の染太郎が素晴らし話術で舞台を盛り上げるという、とにかく出て来ただけで目出度かった二人だった。

兄が先に亡くなり、この年の瀬についに弟も逝ってしまった。大仏のご隠居も、神埼の爺さんも、今年の暦もあとわずかとなり、そろそろ新しいカレンダーを用意しようとして、もうわかってはいたことだけれども、次の正月もさらに次の正月も、本当にもう二度と彼ら懐かしくも目出度い太神楽兄弟コンビを見ることはないのだと、その至高の芸を惜しみ、遠くなったかつてのお正月を思い出して、寂しくてたまらなくなったらしい。

「本当にあの頃の正月は目出度かったねぇ」

パチリ

「目出度かったなぁ」

パチリ

「昭和が遠く」

パチリ

「なったなぁ」

パチリ
パチリ、パチリパチ……

「参りました」

俺は負けた。囲碁も将棋も。弱いのにこんな異種多面指しみたいなことして、両方とも勝負になんてなるわけない。

「はぁ……」

と大仏のご隠居。

「ふぅ……」

と神埼の爺さん。

二人顔を見合わせて。

「何でも屋さんに勝ってもうれしくないなんて、わしら重症だなぁ……」

「そうだなぁ……」

──ご老人のメランコリー。うーん、どうやって盛り上げようか。
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