第125話 携帯電話の恐怖 9

文字数 2,194文字









あの日、面接に出かける野本君を見送ってから、約ひと月半。

昨日が立冬で、今日は暦の上ではもう冬ということになる。九月の末頃は、朝夕少しぐらい肌寒くてもまだシャツ一枚で過ごせていたが、十一月も半ばになってくると、セーターやジャケットがなければ風邪を引きそうだ。

木枯らし一番も吹いたそうだし、これからだんだん寒くなってくるんだろうな。朝の辛い季節到来だ。かといって、暖房入れるのももったいないし……。この夏、家主が入れてくれた新しいエアコンは、タイマー予約もバッチリだったりするんだけど。

夏の暑さはしょうがない(熱中症で、ちょっと死にかけたしな)。でも。冬は今までどおり湯たんぽでがんばるぞ。電気代がもったいない。

密かな決意(?)を胸に、めっきり早くなった夕暮れの住宅街を歩いていると、駅の方から野本君がやってくるのが見えた。今日もリクルートスーツだ。きっと面接の帰りなんだろう。

「やあ。ネクタイ、結ぶの上手になったね」

俺が声を掛けると、パッと野本君が顔を上げ、にこにこしながらこちらに向かって歩いてきた。

「久しぶりです。練習したんですよ、鏡見ながら」

誇らしげにきれいに作られたノットをつついてみせる。
うーん、やっぱり彼は真面目だ。

「で、どう? 就職活動の方は」

「いや、なかなか……ほら、アメリカのアレのせいで」

アメリカのアレ、といえば、サブプライムのアレか。
この間、テレビのニュースバラエティ番組で経済学者の人が分かりやすく説明してるのを見たけど、よくもまあ、あんな実体のないものに投資したもんだな。

「……ハイリスク・ハイリターンとかいうけどさ、世の中、そうそう旨い話は転がってないってことだよな。地道に行こうぜ。それが一番」

俺が言うと、野本君はしっかり頷いた。

「名前が通ってなくても、給料が高くなくても、足元のしっかりした会社に入りたいです」

「それがいい。給料が良くても、見かけだけ派手なハリボテみたいなとこに入っても、倒産したらオシマイだし」

「もしどこにも就職出来なかったら、あなたのところで雇ってくださいよ」

ね、しゃちょうさん。
そう言う野本君の顔は笑ってる。

「シャチョーさんはよせよ。なんか安物のバーとかスナックみたいじゃないか」

「だけど、実際事業主さんでしょ?」

「社長兼従業員兼事務員だ。全部一人で回してる。自営業は大変なんだぞ」

知ってますよ、と野本君は頷く。

「俺の実家も自営業なんです。米穀店。米の販売も自由化になってから、散々で。だから両親も俺には勤め人になって欲しいらしくて」

「そっか。だから就活頑張ってるんだな」

「明日も会社説明会行ってきます。内定もらえないからって、へこたれてる場合じゃないもんね」

ぐっ、と拳を握る野本君。

「そうだそうだ。ああ、ここにリポ○タンDがあれば……」

「ふぁいとぉ! いっぱぁつ!、ですか」

俺のボケに乗ってくれる彼は、とても良い青年だと思う。うん。

「あ。そういえば」

俺は大切なことを思い出した。

「君の携帯、どう? 変な電話はまだ掛かってきたりするのかい?」

ああ、と野本君は両手を打った。

「それが……あなたに相談した次の日くらいから、変な電話はぱったりかかってこなくなりました」

「本当に?」

野本君は大きく頷く。

「本当です。お陰で、携帯会社を変える必要はなくなった、と思います」

「良かったなぁ」

うれしそうな野本君の顔を見ていると、無意識に笑みがもれる。

<風見鶏>からは何も言ってこなかったけど、多分、あれから速攻で何らかの対策を講じてくれたんだ。

俺が心の中で<風見鶏>に感謝していると、野本君がしみじみと言葉を続けた。

「うん……本当に良かった。だって、いつも誰かに見られてるみたいな、監視されてるような、そんな気がして、ノイローゼになりそうだったから……」

ふう、と大きく息を吐き出す。

「でも、あれだけ頻繁だったのが急に無くなったのは、それはそれでちょっと不気味かな」

始まった理由も、終わった理由も、自分には全く分からないから。

野本君はそう言って苦笑いした。

「うーん、気持ちは分かるけど、考えすぎだよ」

始まった理由は俺にも分からないけど、終わった理由は多分知ってるから、俺は彼を安心させることにした。

「きっと、どっちにも理由はないんだ」

「……理由がない?」

「そう。だってさ、突き詰めてみれば、単に変なリストに君の携帯番号が載せられてたってだけの話じゃないか。それだって、多分前の持ち主のせいだし。それに、変な電話がかかってきても、君は取り合わなかっただろう? 諦めたんだよ、きっと」

君の粘り勝ちだよ。

You Win! 親指を突き出し、真面目な顔で宣言してやると、ようやく野本君は吹っ切れた笑顔を見せてくれた。








 風    礼を言うよ、風見鶏。
      今日、野本君に聞いた。変な電話が全くなくなった
      って。俺が相談してから、すぐに手を打ってくれた
      んだな。



俺、こと<風>と<風見鶏>専用チャット画面。
今回も面倒なパスワードを三度入れ、俺は<風見鶏>との接触に成功していた。
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