第119話 携帯電話の恐怖 3

文字数 3,158文字

夏休みで帰省する前までの彼は、長めのゴールドの髪にブルーのメッシュ、耳にはシルバーのピアスをじゃらじゃら、黒のインナーに同色の細身のパンツ、シルバーのウォレットチェーンを飾った腰には、鋲打ちのベルト、というようなパンク? か、びじゅある系? な格好で自己を表現しつつ、バンド活動に勤しんでいたようだったが。

今の彼は、元の色に戻した髪はさっぱりとした短髪、ピアスは無し、今日は外出の予定はないのか、ヨレたTシャツにジャージー姿だ。会社訪問や説明会に赴く際には、黒のリクルートスーツを着用するという。まるで別人。

が、彼が真面目であるということは間違いない。大学にも真面目に通っていたようだし、帰省前までのハデな格好だって、真面目にバンド活動をやるためのものだった。

そして今、彼なりの転機を迎え、性格もそのままに、真面目に就職活動を行っている。

いい青年じゃないか。

どこのどいつだ、将来ある若者に不気味な電話を掛けてくるやつは!

「野本君、それ、履歴残してるかい?」

「いえ……気持ち悪いんで、つい削除しちゃいました」

野本君はまた雑草の根っこを弄りだした。
この部分だけ、雑草の根は根絶したな。また近くから伸びてくるだろうけど。

「あー、うーん、気持ちは分かる。電話ってさ、メールと違って何ていうか、ダイレクトだもんなぁ」

「そうなんですよ! 得体の知れない相手と回線が繋がってて、その時はリアルタイムで会話をしてるわけで、つまり、同じ時間を共有してるわけですよ。もう、気持ち悪くて不気味で気味悪くて……!」

「そうだよなぁ。そんなんとの繋がり、残しておきたくないよな」

「そうですよ! 一番最近の電話では、『その携帯、どこでいつ頃買いましたか?』とか聞かれたんですよ!」

「うわ、それは……」

不気味だ。

「まさか、そんな質問に答えたりは……」

恐る恐る訊ねる俺に、しかし、野本君は即座に否定した。

「しません! 見ず知らずの人間に、そんなこと答える義務は無い! って言って即切りました」

「だよね。それが正解だよ」

俺はほっとした。


──相手の知らない情報を、わざわざ教えてやるは愚の骨頂。相手が知らない、ということを自分は知っているわけだから、それを利用して撹乱せよ──


……これは、インターネットに溢れる情報の奔流の真っ只中に有りながら、それでも己を見失わず、必要なものとそうでないものを取捨選択しつつ、ただひたすら冷静にその膨大な情報の監視を続けるという<ウォッチャー>のひとり、<風見鶏>の言葉だ。

ちなみに、<風見鶏>とは、俺専用の識別ネームで、他の人間、例えば、俺の元義弟である智晴にはまた別の識別名を名乗っているらしい。

それはともかく。

「でもさぁ、野本君……」

「はい」

「それって、本当に間違い電話、なのかなぁ……」

「え?」

息を呑む野本君。見開いた目に、怯えが滲む。あああ、怖がらせてしまった。そんなつもりじゃないんだけど、でもなぁ。うーん。

「そんなに頻繁なのって、明らかに変だよね。だからそいつら、つまり、電話を掛けて来るやつらは、分かってやってるんじゃないかな、ってふと思ったんだよ」

「分かって、って……?」

「君が<オダ>とかいう人間じゃないってこと知ってるのに、知らないふりして、わざと掛けて来てるってこと。──失礼なこと聞くけど、誰かの恨みを買ってるとか、そういう心当たりはないか?」

「恨み……」

野本君はしばし考え込んだが、黙って首を振った。

「嫌がらせってことですよね? 思い当たらないなぁ……そりゃまあ、俺を嫌いな人間もいるんだろうけど、あんな電話を掛けてきて、何の利益があるんです?」

「精神的に追い詰めて、ノイローゼにするとか……?」

「俺がノイローゼになったとしても、誰も得しないと思います」

だから、あなたの説は成り立たないと思いますよ。
そう野本君が言った。

盛大な溜息が聞こえる……。

ごめん、野本君。しょーもない思いつきは、オヤジギャグと一緒で、胸の中に秘めておくのが一番だよな。

はぁ。

「これは、俺たち二人で話してても埒が明かないんじゃないかな……」

俺の呟きに、野本君はがくりと膝をついた。

「やっぱり、解約しかないのかなぁ……」

今の携帯の解約料と、新しい携帯の購入・契約費用。
苦学生、とまではいかないにしても、そう余裕のある方じゃない野本君には手痛い出費だろう。

だいたい、就職活動はお金の掛かるものなのだ。スーツや靴や鞄を揃えるのにも苦労しただろうし、面接や説明会に行くにしても、交通費が必要だ。これが案外バカにならないことを俺は知っている。かつて通って来た道だからな。

「うーん……それが無難なのかなぁ」

そう答えつつも、釈然としない思いがこみ上げる。

「悔しいです。俺には何の落ち度も無いはずなのに……」

項垂れる野本君。

「理不尽だよな。何とかならないかな」

携帯会社はあてにならないらしいし、こういう場合、どこに相談したらいいんだろう。

「あ」

ぐるぐる考えてた俺は、思わず声を漏らしていた。そうだ、彼に相談してみよう。それがいい。

「どうしたんですか?」 

ひとり頷く俺に、野本君が心配そうに訊ねてくる。

「えっと……」

俺は、<ウォッチャー>、つまり、ネットの番人ともいえる<風見鶏>に野本君のケースを相談してみようと思いついたんだが、その<風見鶏>の都合によっては相手にしてもらえないかもしれない。

期待をさせておいて、もしダメだった場合、野本君はもっと落ち込むだろう。だから結果が出るまでは彼には黙っておくことにした。

「いや。この後の仕事の段取りについてちょっとね。ところで、野本君。ちゃんと飯食ってるかい? 夏の終わり頃より痩せたんじゃない?」

「え? うーん……そうなのかな。この間久しぶりに会ったバンド仲間にもそう言われました。俺、昔から心配事があると食べられなくなっちゃうタイプだから……」

情けないですよねぇ、と野本君は苦笑いする。

「よし! 草むしり手伝ってくれたし、お礼に昼飯奢るよ。牛丼だけど。手、洗ったら、一緒に駅前の吉牛行こうぜ。食べないと、腹に力が入らないし、気持ちも後ろ向きになっちゃうからな」

味噌汁もつけてあげるよ、と言うと、野本君は少しだけ笑顔を見せてくれた。






吉牛では大盛りを勧めたのに、野本君は並みで良いといい、しかも、少し残した。まだ二十歳過ぎのいい若者が、あんなんで身体がもつんだろうか。

オヤジな心配をしつつ、俺はノートパソコンを起動させた。

今は夜。深夜と言っていい時間。野本君と別れた後も細切れに入っていた依頼を忙しくこなし、帰って晩飯食って風呂に入って一息入れたところだ。

真っ黒な画面に、謎の白い文字が流れていく。ブートな画面だ。けど、ブートって何だ? 以前、元義弟の智晴にこのパソコンの設定をやってもらった時に聞いたはずだけど、名称以外、何も覚えていない。

つらつらそんなことを考えているのは、起動が遅いせいだ。ま、古い機種なんだからしょうがない。

さて、と。今週のパスワードは何だっけ。

そう。俺は<風見鶏>と連絡を取ろうとしているのだった。ややこしいんだよな、彼に繋ぎを取るのは。パスワードは毎週変わるし、それに、毎回違うパスワードを入れなきゃならない。

えーと。最初のは、<64564JOCHUGI9>だったっけ。
……「虫殺し除虫菊」ってどういうセンスだよ、<風見鶏>。しかも、微妙に季節がズレてるし。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み