第296話 真夏の花吹雪

文字数 1,726文字

・7月11日 花火の夜

ヒュー……ドォン!
ヒュルルルー……ドン ドン!

あれ、花火?
そう思って転寝から覚めた。

風呂上りにビール飲んで、ふう、とぼろソファに身を沈めたら、急に眠気が押し寄せてきた。ちょっとだけ、と思って横になってしまったけど、いかんいかん、エアコン入れてるから、風邪引いてしまう。

今日も暑かったよなぁ。芝刈りとか雑草引きとか屋外での仕事が続いてるから、よけいに疲れてるのかもしれない。もうベッドに入るか。いや、その前に花火。窓から見えるかも。

カーテンを開こうとして、あれ? と思った。
この辺りで、花火が上がるようなイベントがあったっけ?

開いてみると、カーテンの向こうはただの夜空。そんなに遠くはない駅前繁華街のネオンが、やけに明るく見える。静かだ。いや、どっかの車のクラクションとか、電車の音とかはかすかに聞こえてくるんだけどさ。

でも、さっきのは確かに花火の上がる音だと思ったんだけどなぁ。

夢でも見たのかなぁ、と思いながらカーテンを閉め、ビールの缶を片付けてからもう寝ようと室内に向き直ったとき、それが見えた。

七月のカレンダー。今月の写真は、夜空を背景に、ほんのひと時だけ光の花を咲かせる、花火。

「……今、上がったとこ?」

まさかね。俺は独り首を振った。我ながら、何メルヘンなこと言ってるんだか。
はぁ、思ったより疲れてるらしい。片付けは明日にして、今夜は寝よう。


その日の夢は、花火三昧だったような気がする。
不思議に、音はしなかった。

ま、夢だし。





・8月24日 真夏の花吹雪

低気圧と高気圧がつかみ合いでもしてるのか、今日は風が強い。凪いだかと思えば、次の瞬間、突風が襲い掛かってくる。

そんなわけで俺は今、色とりどりの花吹雪の中にいる。
濃紅、淡紅、白、紫紅、薄紅。

何でも屋の仕事の延長で、庭木の剪定の真似事なんかもするようになってから気づいたけど、夏の花吹雪といえば百日紅だ。花弁が風に舞い散らされるのは、春の桜だけじゃないんだよなぁ。

特に、この佐藤さんちの庭は圧巻だ。先代が家を建てたときに植えたという百日紅の木が、十本近くある。それがまた、全部花の色が違ったりするわけだ。

百日紅の花は当年の枝によく咲くから、葉っぱが落ちた冬には剪定されて丸裸になる。その姿に因んだものか、実は、佐藤さんちは「坊主屋敷」と呼ばれることがある。……確かに、あの白いつるっとした木の姿は何となく坊主を連想させる。

密かに、山○塾の踊りの人みたいだな、と思っているのは内緒だ。

それにしても、今日は天気が変わりやすい。これから頼まれものの買い物に行くから、雨が降ったらいやだなぁ……。





・8月24日 真夏の花吹雪 おまけ

「あらあら、まあまあ」

榊原のおばあさんに呆れられた。

「何でも屋さんたら、髪の毛にいっぱい何かの花びらがついてるわよ。これは──百日紅かしら?」

おばあさんは老眼鏡を上にずらしたり、戻したりしながら俺の頭にくっついてるらしい花びらを摘み取ってくれる。男の人が、花冠の花嫁さんじゃあるまいしねぇ、ところころ笑う。ま、ウケたんなら別にいいんだけど。

「いや、さっき、佐藤さんちの前を通ってきたんです。ちょうど風が強くて、花吹雪状態でね。いつ見てもあそこの百日紅の花は見事ですよねぇ」

用意してあったらしい買い物リストを受け取りながら、俺も笑う。と、おばあさんは少女のように首を傾げた。

「佐藤さんのお庭の……? あそこの百日紅の木は、一昨日だったかしら、全部伐ってしまったって聞いたけれど。何でも、仕事で海外に行ってた息子さんご夫婦が帰ってくるから、思い切って二世帯住宅を建てることにしたらしいわ」

今が花の盛りなのに、可哀相なことよねぇ、と溜息をつく。

「お、一昨日?」

「ええ。佐藤さんのお隣の鈴木さんがそうおっしゃってたわ」

今の季節はあちこちで百日紅の花が満開だから、きっとそれが飛んできたんでしょうね、とおばあさんは一人納得しているようだ。

え? だけど。

俺、さっき。本当についさっき、佐藤さんちの庭の塀越しに、立派な百日紅の古木たちがいつも通り色とりどりの花をつけてるのを見たんだけど。でもって、とっても夏らしい花吹雪に包まれてきちゃったんだけど。

あれ。
あれれれれれ?
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