第18話 洗濯日和

文字数 3,116文字


結局、例の死体と高山父子には何らかの関係はあるだろうが、それがどういうものかは分からないし、何故俺が巻き込まれることになったのかはもっと分からないと、分からないことを確認しただけで終わった。

それだけでも進歩だと、智晴は言った。まあ、確かに。

想像と憶測しか出来ない状態では、どんな結論も出すことは出来ない。

夜も遅いということで、智晴はタクシーで帰って行った。リッチなヤツめ。夕飯を奢ってもらったからいいとするか。

俺は狭い風呂に入ってシャワーを使い、さっぱりしてから寝間着代わりのTシャツとハーフパンツを身につけた。

このTシャツはビルを貸してくれている友人にもらったものだ。貢がれものらしいが、趣味に合わないという。奇抜な柄なので、俺はこれを来て外に出る勇気がなかった。というか、似合わない。

ドアを開け放したまま、全体的に三角形に近い形をしている狭い寝室に入る。エアコンは事務所の方にしか無いのでこうするしかない。いくら冷えないエアコンといえど、無いよりマシである。それでも節約のため、一時間後には切れるよう、タイマーをセットする。

疲れる一日だった。明かりを消すと、赤いチューリップとにゃんこ柄のカーテンを通して、ネオンが揺れる。もう深夜だというのに、都会の夜の喧騒が潮騒のように遠く近く聞こえた。

大通りからちょっと外れただけの場所だが、辺りは静かだ。自分とは関係のない騒音を遠く感じつつ、俺は眠りに落ちようとしていた。離婚前から使っている枕は、どんな姿勢になってもいい具合に頭を受け止めてくれるので、入眠前のストレスを感じにくい。

とにかく、明日は高山家の人間について調べることにしよう。本当はもう高山葵探しの依頼は断ってしまいたいが、高山父に何らかの思惑があるらしいことを考えると、それも出来ない。

高山葵の写真。今夜会った彼そっくりの女。赤と青のマンボウのピアス。そんなものが浅い眠りの夢をシュールなコラージュのように彩っていた。

ピーナツが手を取り合って踊っている夢は勘弁してもらいたかったが、誰に頼んだら勘弁してくれるんだろう……ヘンな形のバランスボールに揺られているようで、ベッドに寝ているにもかかわらず、俺は酔いそうになった。

夢の中で。












今日も暑い。

俺は汗だくで目を覚ました。離婚した妻に引き取られた娘のくれたキテ○ちゃんのタオルケットが、パイプベッドの下に落ちている。ごめんよ、ののか。お父さん、せっかくのキテ○ちゃんを蹴り落としちゃったよ。

隣の部屋、事務所のエアコンはとうの昔に切れている。一時間で切れるようにセットしたんだから当然だ。俺はカーテンを開いて窓を開けた。

部屋中に、暴力的な夏の光が満ちる。太陽が殴り込みでもかけてきたかのようだ。

今の時期、太陽との仁義なき闘いは日没まで続く。勝つことは出来ないが、スタミナが無いと負けてしまう。あの生命力の強いゴキブリですら陽光にさらされると死んでしまうんだから、太陽というのは凄い。

『太陽の魚は、お日様が好きだと思う?』

謎の女の謎の言葉を思い出した。その名前がついているのに、太陽を嫌うだろうか。分からない。分からないことだらけだ。朝っぱらから滅入る。イカン、人間様が太陽を見てゴキブリのように萎れてどうする。

俺は寝間着代わりの上下を脱いで、引き剥がしたシーツとともに中古の洗濯機に放り込んだ。汗臭いのを着てたらののかに嫌われてしまう。娘に嫌われたら悲しいじゃないか。だから俺はマメに洗濯をする。昔なら考えられない姿だ。

タオル類も放り込んで洗濯機を回しながら、俺は五枚切り九十八円の食パンをトースターに入れた。薄く油を引いたフライパンにベーコンを二枚、その上に卵をひとつ。蓋をして弱火で焼くとパンと同じ頃に焼き上がる。熱々のベーコンエッグをパンにのせ、朝飯の出来上がりだ。

冷蔵庫からブリタの水を取り出そうとして、俺は昨夜智晴が入れてくれたハーブティーの鍋に気づいた。ありがたくそれをコップにつぐ。朝からなんとなくリッチな気分だ。俺ってお手軽?

智晴の言ったとおり、冷たいハーブティーも美味い。おかわりを飲みながら、俺は高山父から渡された名刺を眺めた。俺でも知っている、この辺りでは有名な金融会社の名前が書いてある。高山父はその代表取締役。いつもにこにこ笑い仮面の金貸し……。

俺はぶるっと背中を震わせた。五年の歳月を隔てて、共に行方不明となった双子。後の方はヤラセかもしれないが、何か陰惨なものを感じるのは気のせいか?

かの名作『罪と罰』の主人公、ラスコーリニコフもあんな顔をしていたのかもしれない……。ついそんなふうに考えてしまって、俺は高山父の笑い仮面っぷりがよけいに不気味に思えてきてしまった。

ぼーっと取りとめもないことを考えているうちに洗濯機が止まったので、屋上に設置した物干し竿に洗ったものを干す。このビルは二階建てだが、こんな狭い場所にこんな小さなビルを建てて何をしようと思ったのか、住んでいながら俺はいつも謎に思う。

今ここを壊して更地にして売っても、損をするだけだと家主の俺の友人は言う。なら何故ここを購入したのかと聞いたら、趣味だ、と笑っていた。どんな趣味なんだとツッコミたくなるが、どうやら隣のビルも友人の持ち物らしい。その関係だと俺は思っている。

コンクリートのサイコロのような建物は、とにかく暑い。洗濯物がすぐに乾くからそれだけは有り難いが、ゴーヤで<緑のカーテン>でも作るべきだろうか。あ、植えるべき地面はアスファルトだ。無理か。

コンクリートジャングル。使い古された表現が身に沁みて、干からびる前に屋内に戻る。洗濯物を干す間は切っておいたエアコンのスイッチを入れて、俺は事務所に置いてある古いパソコンのスイッチを入れた。

実は俺は自力でセットアップ? とかいうことも出来ないし、各種設定も分からない。サラリーマン時代も会社でパソコンを使ってはいたが、ソフトを使えるというのと、パソコンのことが分かるというのは違う。

よって、忘年会の景品で当たったこのパソコンを、箱から出して使えるようにしてくれたのは元妻である。離婚前の話だ。

離婚して、ここに引っ越してきた時インターネットに接続できるようにしてくれたのは、元義弟の智晴だ。情けないが、機械オンチの人間の気持ちは、そうでない人間には分かるまい。──先週、使用中にいきなり変になった時は震え上がった。

どう変になったかと聞かれても、俺はそれ以外の表現を知らない。パソコンは俺にとっては謎の箱なのだ。智晴が時間の融通が利く仕事で良かった。例のごとくおっとりとやってきて、俺からすれば瞬く間に復旧させてくれた。なんでも、暑過ぎるとそんなふうになることがあるんだそうだ。熱暴走とかいうらしい。

それ以来、俺はこの謎の箱に触るのがちょっと怖くなったのだが、今は仕方がない。インターネットに繋いで<窓>を開き、アドレスのところに記憶しているURLを直接打ち込んだ。俺はキーボードを打つのだけはやたらに早い。

そんなに早いのにパソコンが分からないのは謎だ、と智晴には呆れられたが、俺は詐欺を働いた覚えはないぞ。……まあ、分からないせいでヤツには迷惑を掛けているのだが。

表示されたサイトのパスワード要求に、俺は応える。さらにまたパスワードを要求される。確か、今週のパスワードは<sirokuma30551>。なぜ「白熊さんは551」なのかは分からない。発行者の趣味だろう。
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