第145話 狛田さんと不思議な狛犬 2
文字数 2,003文字
「新年おめでとうございます」
「あ……」
それは、二匹の柴犬を連れた老人だった。
「狛田さん……」
俺は老人の顔をぼーっと見つめていたが、はっと我に帰った。
「あ、明けましておめでとうございます!」
お得意様に呆けたところを見せちゃったな。新年からこれはいかん。しゃっきりしなくちゃ、しゃっきりと。
にへ、と我ながら強張った笑みを浮かべていたら、吹き出された。
「どうしたね、たった今夢遊病から覚めたみたいに」
「あはは……推理小説なら、いつの間にか手に凶器とか持ってそうですよね」
「そういうのは困るけど、眠ったまま犬の散歩が出来るんだったら便利かもしれないねぇ」
「はは……」
知らず、俺は溜息をついていたらしい。狛田さんに心配されてしまった。
「本当にどうしたね? 風邪でも引いたかい?」
「いや、そういうんじゃなくて……」
夢か幻か錯覚か、何にしても説明しにくいし──と。狛田さんの顔を見て思い出した。そう、狛犬。狛田さんは狛犬コレクターだったっけ。
「狛犬が……」
言いかけて、俺は口を噤んだ。何て言えばいいんだろう? 修理した狛犬ごと、さっきまでそこにあったはずの神社が煙のように消えて無くなりました、とか? ──いやいやいや。そんなこと信じてもらえないだろうし、その前に、正月早々ボケたんじゃないかと笑われてしまう。
あ、とか、う、とか間抜けな声を出しながら言葉を探す俺に、何か感じるものがあったんだろうか。狛田さんが語りだした。
「今からもう、何十年前になるかなぁ……」
──もう、何十年前になるかなぁ。あれもやっぱり正月だった。私がまだ子供だった頃の話だよ。
お雑煮食べたあと、近所の子たちと凧揚げをした。竹ひごと和紙で作った手製の凧でね、誰のが一番高いところまで飛ぶか、競争したんだ。
私の凧は、初めて全部を自分で作ったものだった。そのせいだろうね、やっぱりあんまり飛ばなくて、高く揚がる前にすぐ落っこちた。私は負けず嫌いだったから、その都度修理してたんだけど、やっぱり上手くいかなくてねえ……。悔し涙を流したもんだ。
そんなふうにあんまり何度も落っこちたもんだから、私の凧はついに小手先の修理じゃ追いつかなくなった。しょうがないから、私は皆を置いて先に帰ることにした。壊れた凧を抱えて、どうやったらちゃんと揚がるんだろうと考えながら。
とぼとぼと下ばっかり見て歩いてたせいかな、私はいつもと違う道を通っていたらしい、気づいたら全然知らない場所にいたんだ。
周りの木に、赤い花がいっぱい咲いていたことを覚えている。今思えば、椿か杜若か……その時はただ、ここは一体どこなんだろうと戸惑っていただけだった。
静かで、あんまりきれいな場所だったから、何だか怖くなってきた。もう帰ろうと振り返った時、私は驚いたよ。だって、そこにはさっきまで何も無かったはずなのに、小さなお宮があったんだ。小さなお社と、鳥居、それから──二人の男の子がいた。
近所では一度も見かけたことのない子で、年は二つ違いの弟と同じくらいに見えた。私がびっくりしてると、その子たちがにこにこ笑いながら、声を揃えて言った。
──あそぼ!
その声を聞いたとたん、不思議なことに私はさっきまで感じていた心細さを忘れてしまった。追いかけっこをしたり、石蹴りをしたり、三人で交互に馬とびをしたりして遊んだ。
持ってた駄菓子をあげたら、二人とも喜んでたなぁ。子供なら誰でも知ってるただのうまうま棒だったのに、初めて食べたって言ってたっけ。
お返しに、甘酒を飲ませてくれた。それまで飲んだことがないくらい、美味しい甘酒だったよ。お礼を言うと、男の子たちは不思議なことを言い出した。
──あのね、おにーちゃんは今日死ぬはずだったんだよ。
──だけど、おにーちゃんはここに来ることができた。
──そしてぼくたちのあげた甘酒のんだ。
──せっかく来れても、飲めない人もいるよ。
──こころがきれいじゃないと、不味くてのめないんだって。
私には何を言われているのか分からなかった。
と、次の瞬間、男の子たちの姿は消えて、私は水の中にいたんだよ……。驚く暇も無かった。ただ冷たくて、息が出来なくて、そのまま何か真っ黒なものに捕らえられ、どこかへ引き込まれていくところだった。
もうダメだ。そう思った時だった。どこからか、犬の遠吠えが聞こえてきたんだ。最初は遠かったのがだんだん近づいてきたら、一匹じゃなくて、二匹の犬が鳴き交わしているのが分かるようになった。
おーおーおー!
あおーんおーおーおー!
おーおーおおおーおおおおおー!
あおーおーーーおーーーーーおおー……!
遠吠えはだんだん大きくなって、他の音は何も聞こえなくなった。
「あ……」
それは、二匹の柴犬を連れた老人だった。
「狛田さん……」
俺は老人の顔をぼーっと見つめていたが、はっと我に帰った。
「あ、明けましておめでとうございます!」
お得意様に呆けたところを見せちゃったな。新年からこれはいかん。しゃっきりしなくちゃ、しゃっきりと。
にへ、と我ながら強張った笑みを浮かべていたら、吹き出された。
「どうしたね、たった今夢遊病から覚めたみたいに」
「あはは……推理小説なら、いつの間にか手に凶器とか持ってそうですよね」
「そういうのは困るけど、眠ったまま犬の散歩が出来るんだったら便利かもしれないねぇ」
「はは……」
知らず、俺は溜息をついていたらしい。狛田さんに心配されてしまった。
「本当にどうしたね? 風邪でも引いたかい?」
「いや、そういうんじゃなくて……」
夢か幻か錯覚か、何にしても説明しにくいし──と。狛田さんの顔を見て思い出した。そう、狛犬。狛田さんは狛犬コレクターだったっけ。
「狛犬が……」
言いかけて、俺は口を噤んだ。何て言えばいいんだろう? 修理した狛犬ごと、さっきまでそこにあったはずの神社が煙のように消えて無くなりました、とか? ──いやいやいや。そんなこと信じてもらえないだろうし、その前に、正月早々ボケたんじゃないかと笑われてしまう。
あ、とか、う、とか間抜けな声を出しながら言葉を探す俺に、何か感じるものがあったんだろうか。狛田さんが語りだした。
「今からもう、何十年前になるかなぁ……」
──もう、何十年前になるかなぁ。あれもやっぱり正月だった。私がまだ子供だった頃の話だよ。
お雑煮食べたあと、近所の子たちと凧揚げをした。竹ひごと和紙で作った手製の凧でね、誰のが一番高いところまで飛ぶか、競争したんだ。
私の凧は、初めて全部を自分で作ったものだった。そのせいだろうね、やっぱりあんまり飛ばなくて、高く揚がる前にすぐ落っこちた。私は負けず嫌いだったから、その都度修理してたんだけど、やっぱり上手くいかなくてねえ……。悔し涙を流したもんだ。
そんなふうにあんまり何度も落っこちたもんだから、私の凧はついに小手先の修理じゃ追いつかなくなった。しょうがないから、私は皆を置いて先に帰ることにした。壊れた凧を抱えて、どうやったらちゃんと揚がるんだろうと考えながら。
とぼとぼと下ばっかり見て歩いてたせいかな、私はいつもと違う道を通っていたらしい、気づいたら全然知らない場所にいたんだ。
周りの木に、赤い花がいっぱい咲いていたことを覚えている。今思えば、椿か杜若か……その時はただ、ここは一体どこなんだろうと戸惑っていただけだった。
静かで、あんまりきれいな場所だったから、何だか怖くなってきた。もう帰ろうと振り返った時、私は驚いたよ。だって、そこにはさっきまで何も無かったはずなのに、小さなお宮があったんだ。小さなお社と、鳥居、それから──二人の男の子がいた。
近所では一度も見かけたことのない子で、年は二つ違いの弟と同じくらいに見えた。私がびっくりしてると、その子たちがにこにこ笑いながら、声を揃えて言った。
──あそぼ!
その声を聞いたとたん、不思議なことに私はさっきまで感じていた心細さを忘れてしまった。追いかけっこをしたり、石蹴りをしたり、三人で交互に馬とびをしたりして遊んだ。
持ってた駄菓子をあげたら、二人とも喜んでたなぁ。子供なら誰でも知ってるただのうまうま棒だったのに、初めて食べたって言ってたっけ。
お返しに、甘酒を飲ませてくれた。それまで飲んだことがないくらい、美味しい甘酒だったよ。お礼を言うと、男の子たちは不思議なことを言い出した。
──あのね、おにーちゃんは今日死ぬはずだったんだよ。
──だけど、おにーちゃんはここに来ることができた。
──そしてぼくたちのあげた甘酒のんだ。
──せっかく来れても、飲めない人もいるよ。
──こころがきれいじゃないと、不味くてのめないんだって。
私には何を言われているのか分からなかった。
と、次の瞬間、男の子たちの姿は消えて、私は水の中にいたんだよ……。驚く暇も無かった。ただ冷たくて、息が出来なくて、そのまま何か真っ黒なものに捕らえられ、どこかへ引き込まれていくところだった。
もうダメだ。そう思った時だった。どこからか、犬の遠吠えが聞こえてきたんだ。最初は遠かったのがだんだん近づいてきたら、一匹じゃなくて、二匹の犬が鳴き交わしているのが分かるようになった。
おーおーおー!
あおーんおーおーおー!
おーおーおおおーおおおおおー!
あおーおーーーおーーーーーおおー……!
遠吠えはだんだん大きくなって、他の音は何も聞こえなくなった。