第277話 黄昏時は逢魔が時? 1
文字数 2,016文字
黄昏時が長すぎて、今が何時かわからない。
ふと怖くなり、携帯を取り出すと、小さい画面に明るい文字が浮かぶ。十九時十一分。既に夜といっていい時間。
だというのに、見上げる空はピンクと水色のマーブルで、そこではまだ夕方が続いてる。夏はやっぱり夜が遅い。のろのろそわそわじわじわと、ようよう暗くなり始めると、家々の塀や壁が白っぽく見える一方で、たまに往き合う人や車の影は黒い。
誰そ、彼。
まさにそんな感じ。今も向こうの角を曲がってきた影は……。
「あ、何でも屋さん」
その声は、赤萩さん。ということは、その足元で尻尾を立ててる黒いシルエットは彼の飼い猫の豆狸 ちゃんだな。
「こんばんは、赤萩さんも豆狸ちゃんと散歩ですか。この薄暗いのに、よく俺だとわかりましたね」
「だって、伝さん連れてるじゃないですか」
そう言って赤萩さんは軽い笑い声を立てる。そりゃそうか。この辺でグレートデン、影だけ見てもでかい犬を連れてるっていえば、飼い主の吉井さんか、ほぼ毎日散歩を請け負ってる何でも屋の俺くらいしかいないもんな。吉井さんとは俺、身長も体型も違うし、知り合いにはすぐわかるか。
「おふん……」
暗がりにまぎれて苦笑いしていると、小さいもの好きの伝さんが豆狸ちゃんの匂いを嗅ごうとして、華麗に避けられてる。残念そうにしてるけど、しょうがないよ、伝さん。豆狸ちゃん、犬が嫌いでもないけど、好きでもなさそうだから。
「しかし、今日も暑かったですねぇ」
行く先が同じ道、同じ方向になったので、何となく肩を並べて歩く。豆狸ちゃんはするすると赤萩さんの身体を登り、反対側の肩に乗った。尻尾がゆらゆらして、面白いシルエットになってる。
「本当に。通勤が最悪ですよ。今朝は涼しいかな、と思ったけど、やっぱりぐんぐん暑くなっちゃって。駅に着くまでに溶けるかと」
「ああ、早朝は涼しかったですね。昨日の朝もわりと……このあいだの台風の影響かなぁ」
午前五時から六時台、伝さん連れて早歩きしてもまあまあ快適だった。
「あの台風、まだ九州の南のほうでうろうろしてるらしいですね。この辺りは心配したほど降らなかったけど……、あの日、一番激しかったのが夜中二時ごろでしたっけ? 叩きつけるみたいな豪雨だったから、俺、あんまり眠れなかったです」
赤萩さんの実家、先ごろの水害の被災地に近いらしい。そりゃ心配だよなぁ……。
「俺もね……大雨の後は樋掃除の依頼が増えるし、それにほら、早朝から犬の散歩で道とか公園を歩くでしょ? すると街路樹だのの枝が折れたりしてるのを見つけるわけですよ。あんまり大きかったりすると危険だったりするし、放置もできなくて……そういうの考えると、安眠できなかったですねぇ」
「何でも屋さんも大変だなぁ」
でもどうしたって自然相手には勝てないですね、などと歩きながらお互いしみじみ語りあってるけど、暗くて顔はもうよく見えない。この辺、街灯無いんだよな。
「それにしても──」
赤萩さんがさらに何か言いかけたときだった。ちょうど地下の駐車場からゆっくり上がってきた車、そのヘッドライト。まともに浴びて、二人、思わず手をかざす。──そんなイカ釣り船なみの強力なライトは、街中では必要ないと思うんだ!
「うわっ……」
そのままの体勢で、背後を確認するためか、振り返った赤萩さんが息を呑む声が聞こえ、肩にしがみついてる豆狸ちゃんがにゃーと鳴く。
「ど、どうしたんですか?」
道の端に寄って、ライトは強すぎて迷惑だけど、マナーはよろしく徐行しながら去っていく車を片目で見送りながら、たずねてみる。
「いや、今のライトで、俺たちの影がそこのアパートの壁に照らし出されたのがまるで怪獣みたいで……」
赤萩さんと、肩にとまった豆狸ちゃんとゆらゆら揺れる尻尾、俺と、隣を歩くでっかい伝さん。四つの影がひとつになって、何やらとても恐ろしいものの姿に見えたらしい。
「リバイアサンというか、キメラ? ベヒモス、あるいはバハムート──」
また歩き出しながら、架空の怪物たちの名を挙げていく。……ごめん、俺、キメラしかわからない。赤萩さんてば、ファンタジーな生き物に詳しいんだな、と感心してたら、ゲーム知識ですよ、と返ってきた。
「こんなの知ってたって何にもならないんですけどね。でもほんと今、そういうのに見えたんですよ。びっくりしたなぁ」
「いや、もしかしたら実際に存在したのかもしれませんよ」
あはは、と笑いながら俺は冗談を言ってみる。
「俺たちの心の闇が、あの、人工衛星からも見えるというイカ釣り船なみの強いヘッドライトに暴かれて、束の間その正体を見せたのかも……」
「心の闇……?」
「ちょうど逢魔が時ですからねぇ。人が己の魔と出会う時間なのかも知れませんよ?」
なーんちゃって、と茶化しつつ、あれ? 俺ってばどっかの怪しい古道具屋さんみたいなこと言ってるなぁ、とちょっと反省していたら、何でか赤萩さんが無言になって立ち止まる。
「──赤萩さん?」
ふと怖くなり、携帯を取り出すと、小さい画面に明るい文字が浮かぶ。十九時十一分。既に夜といっていい時間。
だというのに、見上げる空はピンクと水色のマーブルで、そこではまだ夕方が続いてる。夏はやっぱり夜が遅い。のろのろそわそわじわじわと、ようよう暗くなり始めると、家々の塀や壁が白っぽく見える一方で、たまに往き合う人や車の影は黒い。
誰そ、彼。
まさにそんな感じ。今も向こうの角を曲がってきた影は……。
「あ、何でも屋さん」
その声は、赤萩さん。ということは、その足元で尻尾を立ててる黒いシルエットは彼の飼い猫の
「こんばんは、赤萩さんも豆狸ちゃんと散歩ですか。この薄暗いのに、よく俺だとわかりましたね」
「だって、伝さん連れてるじゃないですか」
そう言って赤萩さんは軽い笑い声を立てる。そりゃそうか。この辺でグレートデン、影だけ見てもでかい犬を連れてるっていえば、飼い主の吉井さんか、ほぼ毎日散歩を請け負ってる何でも屋の俺くらいしかいないもんな。吉井さんとは俺、身長も体型も違うし、知り合いにはすぐわかるか。
「おふん……」
暗がりにまぎれて苦笑いしていると、小さいもの好きの伝さんが豆狸ちゃんの匂いを嗅ごうとして、華麗に避けられてる。残念そうにしてるけど、しょうがないよ、伝さん。豆狸ちゃん、犬が嫌いでもないけど、好きでもなさそうだから。
「しかし、今日も暑かったですねぇ」
行く先が同じ道、同じ方向になったので、何となく肩を並べて歩く。豆狸ちゃんはするすると赤萩さんの身体を登り、反対側の肩に乗った。尻尾がゆらゆらして、面白いシルエットになってる。
「本当に。通勤が最悪ですよ。今朝は涼しいかな、と思ったけど、やっぱりぐんぐん暑くなっちゃって。駅に着くまでに溶けるかと」
「ああ、早朝は涼しかったですね。昨日の朝もわりと……このあいだの台風の影響かなぁ」
午前五時から六時台、伝さん連れて早歩きしてもまあまあ快適だった。
「あの台風、まだ九州の南のほうでうろうろしてるらしいですね。この辺りは心配したほど降らなかったけど……、あの日、一番激しかったのが夜中二時ごろでしたっけ? 叩きつけるみたいな豪雨だったから、俺、あんまり眠れなかったです」
赤萩さんの実家、先ごろの水害の被災地に近いらしい。そりゃ心配だよなぁ……。
「俺もね……大雨の後は樋掃除の依頼が増えるし、それにほら、早朝から犬の散歩で道とか公園を歩くでしょ? すると街路樹だのの枝が折れたりしてるのを見つけるわけですよ。あんまり大きかったりすると危険だったりするし、放置もできなくて……そういうの考えると、安眠できなかったですねぇ」
「何でも屋さんも大変だなぁ」
でもどうしたって自然相手には勝てないですね、などと歩きながらお互いしみじみ語りあってるけど、暗くて顔はもうよく見えない。この辺、街灯無いんだよな。
「それにしても──」
赤萩さんがさらに何か言いかけたときだった。ちょうど地下の駐車場からゆっくり上がってきた車、そのヘッドライト。まともに浴びて、二人、思わず手をかざす。──そんなイカ釣り船なみの強力なライトは、街中では必要ないと思うんだ!
「うわっ……」
そのままの体勢で、背後を確認するためか、振り返った赤萩さんが息を呑む声が聞こえ、肩にしがみついてる豆狸ちゃんがにゃーと鳴く。
「ど、どうしたんですか?」
道の端に寄って、ライトは強すぎて迷惑だけど、マナーはよろしく徐行しながら去っていく車を片目で見送りながら、たずねてみる。
「いや、今のライトで、俺たちの影がそこのアパートの壁に照らし出されたのがまるで怪獣みたいで……」
赤萩さんと、肩にとまった豆狸ちゃんとゆらゆら揺れる尻尾、俺と、隣を歩くでっかい伝さん。四つの影がひとつになって、何やらとても恐ろしいものの姿に見えたらしい。
「リバイアサンというか、キメラ? ベヒモス、あるいはバハムート──」
また歩き出しながら、架空の怪物たちの名を挙げていく。……ごめん、俺、キメラしかわからない。赤萩さんてば、ファンタジーな生き物に詳しいんだな、と感心してたら、ゲーム知識ですよ、と返ってきた。
「こんなの知ってたって何にもならないんですけどね。でもほんと今、そういうのに見えたんですよ。びっくりしたなぁ」
「いや、もしかしたら実際に存在したのかもしれませんよ」
あはは、と笑いながら俺は冗談を言ってみる。
「俺たちの心の闇が、あの、人工衛星からも見えるというイカ釣り船なみの強いヘッドライトに暴かれて、束の間その正体を見せたのかも……」
「心の闇……?」
「ちょうど逢魔が時ですからねぇ。人が己の魔と出会う時間なのかも知れませんよ?」
なーんちゃって、と茶化しつつ、あれ? 俺ってばどっかの怪しい古道具屋さんみたいなこと言ってるなぁ、とちょっと反省していたら、何でか赤萩さんが無言になって立ち止まる。
「──赤萩さん?」