第369話 梅の花は夜空の星 後編

文字数 2,172文字

「凄いのかねぇ……」

椿さんの表情は曖昧だ。

「俺はとんとそっち方面には興味がなくてな。作品名を聞いても知らんし、よく分からんのだ」

「いや、売れっ子作家さんですよ? 出す作品、片端からヒットを飛ばして、──実写系映画化作品はいまひとつだったみたいですが、それは原作者さんの責任じゃないし、アニメはどれも評判がいいようですよ。子供たちにもファンは多いし」

今だって、けっこう魔法少女の文具系グッズ、流行ってる。塾や習い事に送っていくとき、子供たちが話してくれるんだ。大きなおともだちの中にも熱心なファンがいるって、知り合いで顧客のアマチュアのようなセミプロのような同人漫画家さんから聞いたことがある。

「そうかねぇ……」

「何より、作品の続きを待ち望まれてるって凄いことですよ。今はたしか週刊誌に一本、季刊誌に一本、だったかな?」

あんまり詳しくもない俺でもそれくらい知ってるのは、色んなところで名前を見たり聞いたりするからだ。買い物代行のついでに頼まれる漫画雑誌、レンタルのアイビー屋に並ぶDVDのタイトル。桂木さんのペンネームと作品名を見ないことはない。それって本当に凄いことだと思う。

「ペン一本でここまで来れる人なんて、ほんの一握りっていいますけど、桂木さんは間違いなくその一握りですよ。俺もたまに読みますけど、面白いと思いますもん」

「……」

「単行本だって売れてますよ。昨年末から始まった週刊誌のほうの新作も、早くも映像化の話があるらしいって、本屋の知り合いから聞いたことがあります」

うん、俺がよく行く駅前の、グリングラス書店の女子高生バイトさん。若いのになかなか親切な子で、頼まれた本がどこにあるのかわからないとき、よく助けてくれるんだ。少女漫画から少年漫画、青年漫画、とにかく遍くよく知ってる。本人はどういうのが好きなのか聞いてみたら、眼鏡をクイッと上げながらふっと笑って、「掛け算が好きなだけの、ただのオタクですよ」ってクールに返された。意味わからなかったけど、彼女も桂木さんの作品はよく知ってたな。

「心配しなくてもいいと思いますけど……」

「浮き沈みが激しい業界だっていうじゃないか。今は良くても、ずっと続けていけるのかねぇ……」

うーん、と俺は考え込んだ。

「第一線で走り続けるのって、そりゃ大変でしょうけど、そのための努力、されてると思いますよ。ほら、俺、今日は隣の部屋の棚直してたでしょ? 本が一杯ありましたよ。哲学書に科学書、歴史書、落語の本、演劇論、ゴシックホラーにサイコホラー、ミステリーホラーにスプラッタ、日本の童話、昔話、世界の児童文学、神話、SFにファンタジー、ミステリー、マルキ・ド・サドとかその辺の文芸文学、画集、詩集、写真集、旅行記」

「……」

「ただの読書好きか濫読家かと思ってましたけど、あれ全部資料なんでしょうね。売れてる漫画家さんは、さすが情報収集の労力を惜しまないものだって思いました。大学は中退されたかもしれないけど、元々頭のいい人がそれだけの努力してるんです、きっとこれからもいい作品をたくさん、世の中に送り出してくれるはずですよ」

「……驚くほど雑多というか、節操の無い品揃えだな」

椿さんはわかりやすい憎まれ口を叩く。

「だけど、そんな今すぐ古本屋を開けそうなくらいの種類の本を、あの子は漫画を描くために買い集めたのか。昔は本は図書館で借りて済ませてたもんだが……」

この部屋から出るのはトイレと風呂くらいだから、知らなかったよ、と椿さんは自嘲気味に笑う。

「出て行ってからのあの子のこと、俺は何にも知らないんだ──病院で再会してからも、お互いほとんどしゃべらなくて、当たり障りのない会話しかしてない。花粉症の話くらいかな……。今何をしてるのかは聞いたけど、ぎくしゃくしててねぇ……」

まだ反対してると思ってるのかな、ぽつんと椿さんは言った。

「何だろうねぇ、家を買えるくらいだから、漫画家として成功してるんだろうとは思った。思ったけれども──どう言えばいいんだろう、手放しに喜んでやれない自分がいるんだ……」

「……」

「心配させやがって! っていうのが大きい気がするよ。出て行ってしまってからは、あいつももう大人で保護者の必要な年でもなしってね、そう思って考えないようにしてた。それでも俺は心の奥でずっとずっと心配してたんだろうなぁ──。なのにずっと何の音沙汰もなくてさ、そうだよ、食えるようになったんなら、せめてそのときに電話の一本でも寄こせよ、と思ってしまうんだ」

反対してた漫画家になったからって、機嫌が悪いわけじゃない、あの子の仕事を認めないわけじゃないんだ。そう言って力なく肩を落とす。

「……」

ああ……、と俺は今日の空を思った。椿さんの心は、今日のややこしい天気と同じなんだ。怒ろうか笑おうか、どっちにしようか決めかねてるみたいな。

そんなことを考えて黙っていると、ふう、と溜息を吐いた椿さんが苦笑いした。

「いや、呼び止めて悪かったね、何でも屋さん。ちょっとこうさ、息が詰まりそうでね。誰かとしゃべりたかったんだ。この辺りに知り合いはいないし、こんな状態で外にも出られないしな」

俺がこんな弱音吐いてたの、あの子には内緒にしとくれよ、とまた力なく息を吐く。最初は分からなかったけど、椿さん、精神的にだいぶ参っているようだ。
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