第146話 狛田さんと不思議な狛犬 3

文字数 2,282文字

──次に気づいた時、私は病院のベッドで寝ていた。なんでも、丸一日目を覚まさなかったらしい。母に泣かれ、父に怒られ、正月なのに散々だったよ。存命だった祖父にも叱られた。

叱られながら聞いた話によると、どうやら私は池に落ち、溺れたらしかった。

今はもう埋め立てられて無くなってしまったんだが、昔は公園と裏山の間に溜め池があってね、ひとりで家に帰る途中、持っていた凧が強い風に煽られ飛ばされたのを追いかけて、足を滑らせたらしいんだ。

助けてくれたのは、公園の近くに住んでた小母さんだった。家でお餅を食べながらテレビを見ていたら、外から尋常ではない犬の鳴き声が聞こえてきたという。

不審に思って外にでると、見知らぬ犬が二匹いて、そいつらが小母さんを案内するみたいに振り返り振り返り歩くんで、着いていったら池で私が溺れていたからびっくりしたそうだ。

幸い、岸に近くて、こんな時のために溜め池の端に備えてある浮き具も届いたし、私は小柄な子供だったから、小母さんの力でも引っ張り上げることが出来た。

朦朧としながらも、私は自力で水を吐き出したらしいんだが、そうして咳き込んでいる間も二匹の犬は吠え続けたので、様子を見に来る人が増え、それぞれ救急車を呼んでくれたり、毛布を持ってきてくれたり、私の家に連絡してくれたりした。

だけどねえ、私はそのことを殆ど覚えていなかったんだ。

凧の修理を諦めてひとりでとぼとぼ帰ったこと、それは覚えている。だけど、後は赤い花の咲く道と、小さなお社と鳥居、そこで一緒に遊んだ二人の男の子たちのことしか思い出せなかった。

だから私は、両親に言ったんだ。

家に帰るはずが、気がつくと知らない道を歩いていて、鳥居のある小さなお社にたどり着いたこと。そこで弟と同じ年頃くらいの男の子二人と遊んだこと。持ってたうまうま棒をあげたら、お返しにそれまで飲んだことのないくらいとても美味しい甘酒を飲ませてくれたこと。

飲ませてもらった後、男の子たちに「おにーちゃんは今日死ぬはずだった」と言われたこと。その次の瞬間水の中にいて、犬の遠吠えを聞きながら気を失ったことを……。

そこからいきなり病院のベッドの上で、何がなにやら分からない、と泣きながら訴えると、両親よりも祖父が慌てた。どんな道だったのか、どんなお社だったのかと訊ねてくる。道の両脇に赤い花が咲いてたとか、お社も鳥居も前に祖父に連れられて行った神社より小さかったとか答えていたら、祖父はさらに訊ねてきた。

鳥居の前に狛犬は居たか? と。

思い出してみると、狛犬はいなかった。だけど台座はあったような気がする、と答えると、祖父は考え込んだ。

一緒に遊んだ男の子二人は、どんなふうだったか、と聞かれたので、顔がそっくりだったから、双子だったと思う、と答えた。揃いの着物に揃いの赤い帯、揃いの鞠を持っていたことも伝えた。三人でお手玉みたいに投げ合って遊んだんだと言った。

すると祖父は、「甘酒を飲ませてもらって、それを飲んだんだな? 飲めたんだな?」と念を押してきた。私が頷くと、祖父は父と母に向かって、「この子は運がいい。今日命永らえたのは狛犬様のお力によるものだ。努々忘れることなく日々を正しく、犬猫を虐めるなどしなければ、長生きするだろう」と言った。

子供だったから祖父の言ったことはよく分からなかったけれど、ちゃんと家の手伝いをして、勉強をして、生き物に優しくすればいいんだ、と頭を撫でながら教えてもらったから、それでいいんだと思った。

翌日に退院して、すぐに祖父に連れられて氏神様にお参りに行った。一升瓶の酒を二本と餅をたくさん持ってね、お礼参りだというんだよ。あの男の子たちと遊んだのと氏神様は違うお社だったから、子供心に不思議に思っていると、祖父はそのお社にはもう行けないだろうと言ったんだ。

──どうして?
──お前が入ったのは、狛犬様の社だ。この世にはない神社だよ。
──この世にはないって、おかしいよ。ぼく、あの子たちとあそこで遊んだんだよ?
──あの時、池に落ちてお前は死にかけてた。あの世とこの世の間にいたのを狛犬様が助けてくださったんだ。
──狛犬様って何? 鳥居の前の狛犬とは違うの?
──狛犬様は、狛犬の神様だ。八百万の神様をお護りする狛犬たちの、総元締めみたいな神様だよ。狛犬様の社は小さく見えるが、そこには八百万の神様が全員いらっしゃるのだとも、神様の国に通じているのだとも言われている。本当のところはよく分からない。ただ、狛犬様はいつもそこにいて、静かにお社を護っていらっしゃるということだ。

祖父の話は子供には難しかったけれど、神様どうしは繋りがあるから、「ありがとうございます」と狛犬様に伝えてくださいとお願いすれば伝えてくださると言うので、一所懸命に感謝の言葉を伝えた。








「<狛犬様の社>は、このあたりに古くからある伝承だそうだ。──もっとも、知っているのはもう私くらいかもしれないね」

ちょっとだけ寂しそうに狛田さんは笑った。

「狛犬様は、気が向くと人の前に姿を現すこともあるんだそうだよ。子供の遊びにいつの間にか混ざっていたり、迷子を家に帰してくれたりね。旅人を導くこともあったという」

「なんだか、座敷童子と送り犬を混ぜたような話ですね」

いつの間にかひとり増えてるとか、旅人を導くのは──ちょっと違うか。送り犬は後からついてきて転ぶと喰われるんだっけか。でも、なんか似てる。民間伝承、不思議だな。
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