第293話 松ぼっくり地蔵

文字数 1,580文字

・3月9日 白梅の古木

雨のそぼ降る見知らぬ夜道。
もしかして、俺、道に迷った? 

今回請け負った仕事は、花山さんちのご隠居に、棋譜の配達をするというもの。依頼主は月影の爺さん。爺さん、先週胆石で緊急入院したらしいんだけど、ご隠居は足が悪く、見舞いに行けないということで。

退院してから、また二人でゆっくり将棋指せばいいのに。ま、何のかの言いながら、寂しいんだろうな。

それにしても、この道暗い。街灯の間隔が空き過ぎてる。この先の曲がり角らしき辺りが、また一際暗くって……。

ん? あれ、何だ?
暗闇に、ぼんやりと浮かび上がる白い影。

俺は無意識に立ち止まっていた。……かすかな風が頬を撫でていく。

ふわふわ、ゆらゆら、影が動いているように見えるのは、目の錯覚だよな? だって今にも消えてしまいそうだから。闇に滲むように、夜に溶け込むように……。見つめているうちに、なんでか分からないけど、俺はそこから動けなくなった。

どれくらいそうしてたんだろう。

「あっ……!」

驚きに、俺は目を見開いた。


白い影が躍り上がる、闇を切り裂いて。
花びらが散る、白い花びらが。空から落ちてくる雪のように、音も無く舞い踊る。


ほんの一瞬、刹那の光景。──ただの夜道に戻ったその場所で、俺はぼんやり立ち尽くしていた。

通り過ぎた車のヘッドライトに浮かび上がったのは、満開の花を湛えた白梅の古木。ほんの瞬きの間だけ姿を現し、再び闇に消えた。

「……気づいて、欲しかったのかな?」

さっきまでと同じ、夜闇に浮かぶ白い影を見ながら、呟きが口を突いて出る。梅の木は、かすかな夜風にさやさや枝を揺らすだけだった。


その夜、満開の梅の木の下、独りで酒を飲む夢を見た。酔ったのは、酒にか、あの馥郁たる梅の香りにか……。





・2011年3月19日 月に思う

すっかり暗くなった道を急ぎながら、ふと東の空を見る。

月が、きれいだなぁ……。


先週、平成二十三年三月十一日。東北地方で発生した未曾有の大震災。

──天災だから、しょうがない。

そう考え、納得するしかないことは分かってる。日本は、昔から数え切れないほどの自然災害にさらされてきた国だから。だけど、だけどやっぱり思ってしまう。津浪さえなければ、と。


自衛隊の皆さん、消防の皆さん、警察の皆さん、海保の皆さん、そのほか、被災地のために頑張ってくれている人たち、ありがとう。原発が怖いことになってるけど、現場で事態収拾に当たってくれている人たち、ありがとう。

俺は、義捐金を寄付することくらいしか出来ないけど……。


月が、きれいだ。
被災地の人たちも、この同じ月を眺めているんだろうか。





・2011年4月9日 松ぼっくり地蔵

とりとめもないことを考えながら、ぼーっと道を歩いてた。

震災のこととか、津浪のこととか、
……原発事故のこととか。

一昨日深夜、また大きな余震があった。日本の国はこれからどうなっていくんだろう……。

てなこと考えてたら。

「痛っ!」

頭頂部に衝撃が。何だ? 何があったんだ? もしや、地震?

あまりの痛さに若干、涙目になりながら、原因を探してたら、足元に落ちてた。

でっかい松ぼっくり。

子供……いや、小柄な女性の握りこぶしくらいあるだろうか。とにかく大きい。そういえば、このお寺の塀の向こうに松の大木が生えてたっけ。予期しないことだったとはいえ、自分の慌てっぷりに苦笑しつつ、松の木を見上げたら。

高い塀の上に、何故か松ぼっくりが行儀良く並んでた。そっくり同じ大きさのが五つ。

そいつらが、じっとこちらを睨んでいるように見える。足元には、さっき俺の頭を直撃した松ぼっくりがひとつ。──もしかしたら、ここから落ちてきたのかな? それだったら六つ並んでたってことになるな。何だかお地蔵さんみたいだ。

……
……

詮無いことを鬱々と考え込んでた俺だったけど、そんな自分を、松ぼっくりに叱られたような気がした。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み