第268話 人生は重き荷を負うて
文字数 2,221文字
午後から明るめの曇り空。午前中は青く晴れてたんだけど。
「よっ!」
吐く息がまるで機関車のようだ。最低気温は今日も氷点下、最高は五度に届かないらしい。絵に描いたような冬日だよなぁ……。
「ふんっ!」
今朝はまだ薄暗い中、グレートデンの伝さんと公園コースを散歩しながら、戯れに霜柱踏み踏みした。いいトシしたおっさんが何やってんだろ、とは思ったけど、あのざくざく感は癖になる──。
「よいっしょっ!」
そんなこと思い出しながら、重いペダルを漕ぐ。微妙な上り坂が辛い。今の俺は買い物代行中。自転車で引くタイプのリヤカーに、近くのガソリンスタンドで給油した灯油用ポリタンクを二つ積んでるんだ。踏ん張る身体は火照ってるけど、手が冷たい。こういうときに手袋持って出るの忘れるなんて、馬鹿だな、俺。
そろそろうちのポリタンクにも給油しなくちゃな、と考えながら、依頼主の三田さんちに到着。サービスで石油ファンヒーターのタンクにも給油完了。三田さん、昨日昼間留守にしていて、遠くのガソリンスタンドからこの辺りに来る灯油巡回販売サービスの車を逃したんだって。
そういう隙間を埋めるのが、何でも屋の仕事です。ちょい手間賃かかるけど、随時サービス中。──小寒を迎えてそろそろ大寒。今日極寒の夜を過ごすくらいなら、何でも屋さんの仕事料くらい安いものよ、と三田さん笑ってくれた。
「今朝は冷えて困ったわ……」
ヒーターのタンク一回分くらいは残ってると勘違いもしてたらしい。灯油は昨夜のうちに切れたそうだ。
「あはは。リアル油断大敵ですね」
「本当にそうよねぇ。エアコンだけだと足元冷えちゃって。年を取ると寒さに弱くなるのに……」
「まあまあ。ポリタンク一つ空くたび、給油するようにすればいいですよ。一つは常に予備ということで。灯油宅配サービスも、契約しておくと安くつくんじゃないかな?」
そうねぇ、と三田さんは思案顔。
「でも、私、去年から家を開けることが多いのよ。息子が離婚して、子供を引き取ってね。まだ小さいから母さん頼むよ、って言われて……。いいお嫁さんだったのに、変な女に引っ掛かって浮気しちゃってね……はぁ……我が息子ながら情けない。美里さんも海外赴任の仕事じゃなかったら、息子に孫を渡したりしなかったわよ……」
「……」
美里さんというのが元のお嫁さんの名前かな──。こういう時、何て言っていいのかわからなくて困った顔で黙っていると、三田さんは我に返ったように目を瞬いた。
「ああ、ごめんなさいね、こんな話聞かせちゃって……。そうなの、孫の世話や色んな手続きや何やかやで息子の社宅とこっちを行ったり来たりで……」
ついしゃべり過ぎちゃったわね、と溜息を吐いてる。お疲れだなぁ。
「──日常が落ち着かないと、こういう季節限定品は必要量が読めませんよね……。まあ、またいつでもご用命ください。風邪引かないように気をつけてくださいね」
「ありがとうね、何でも屋さん。ほんと、変な話聞かせてごめんなさいね──」
「全く関係ない相手だからこそ言えるっていうのも、あると思いますよ」
にこっと微笑んでおく。仕事上、こういうお家の事情みたいなの聞くこともあるけど、当然ながら他所に洩らしたことはない。俺は守秘義務意識もばっちりな何でも屋さんさ!
「道端の野良猫にでも聞かせたと思って、忘れてください」
大丈夫、にゃーおとしか鳴きません、って言ったらウケた。
「……孫はこちらの学校に転校させることになると思うわ。何でも屋さんは、このあたりの子供の塾なんかの送り迎えもされてるそうね。また何かお世話になるかもしれないけれど、そのときはよろしくお願いしますね」
「こちらこそ!」
それじゃ、とリヤカー付き自転車の方向転換をしていると、ちょっと待ってといったん家に入った三田さん、良かったら、おやつにでもどうぞ、って赤い紙箱入りの豚まん四つ入りをくれた。
「え? いいんですか?」
「昨日、息子が持たせてくれたんだけどね……今はあの顔思い出すと消化不良起こしそうだから、何でも屋さんに食べてもらえたらありがたいわ」
「……じゃあ、遠慮なく頂いていきますね。ありがとうございます!」
「冷凍だから、そのまま冷凍庫に入れておくといいわよ。食べるときはラップで包んでレンジで一分くらい……ああ、底の経木を水で濡らすのがコツなの」
こういうのも、美里さんに教えてもらったのに……とまた溜息を吐いてる。
「……三田さん」
「なあに? 何でも屋さん」
呼びかけておいて、言葉を探す。ダメだなぁ、俺。だけど……。
「えっとね。俺も離婚して……いや、どっちも浮気とかじゃないですよ! ちょっといろいろあって……あはは。──娘は元の妻が引き取ってるんですけど、毎月ちゃんと会わせてくれるし、あっちのお父さんお母さんとも仲良く楽しく暮らしてるんです。三田さんも、きっとお孫さんと楽しく暮らせると、思いますよ……」
余計なこと言っちゃったかな、と思ったけど。
「……ありがとう」
ふ、と笑ってくれた。
「じゃ!」
会釈して、サドルに跨る。くっ、リヤカー軽くなったけど、やっぱり重いな。──人生は重き荷を負うて遠き道を行くがごとし、って家康の言葉があるけど、誰もが見えない荷物を背負って、一所懸命歩いてるんだよな。
その目的地って人によってどこかわからない。だけど、ひとつだけわかることがある。皆、幸せになるために歩いてるんだ。今日のこの日も、その幸せのための一歩。
続く明日も、頑張るぞ!
「よっ!」
吐く息がまるで機関車のようだ。最低気温は今日も氷点下、最高は五度に届かないらしい。絵に描いたような冬日だよなぁ……。
「ふんっ!」
今朝はまだ薄暗い中、グレートデンの伝さんと公園コースを散歩しながら、戯れに霜柱踏み踏みした。いいトシしたおっさんが何やってんだろ、とは思ったけど、あのざくざく感は癖になる──。
「よいっしょっ!」
そんなこと思い出しながら、重いペダルを漕ぐ。微妙な上り坂が辛い。今の俺は買い物代行中。自転車で引くタイプのリヤカーに、近くのガソリンスタンドで給油した灯油用ポリタンクを二つ積んでるんだ。踏ん張る身体は火照ってるけど、手が冷たい。こういうときに手袋持って出るの忘れるなんて、馬鹿だな、俺。
そろそろうちのポリタンクにも給油しなくちゃな、と考えながら、依頼主の三田さんちに到着。サービスで石油ファンヒーターのタンクにも給油完了。三田さん、昨日昼間留守にしていて、遠くのガソリンスタンドからこの辺りに来る灯油巡回販売サービスの車を逃したんだって。
そういう隙間を埋めるのが、何でも屋の仕事です。ちょい手間賃かかるけど、随時サービス中。──小寒を迎えてそろそろ大寒。今日極寒の夜を過ごすくらいなら、何でも屋さんの仕事料くらい安いものよ、と三田さん笑ってくれた。
「今朝は冷えて困ったわ……」
ヒーターのタンク一回分くらいは残ってると勘違いもしてたらしい。灯油は昨夜のうちに切れたそうだ。
「あはは。リアル油断大敵ですね」
「本当にそうよねぇ。エアコンだけだと足元冷えちゃって。年を取ると寒さに弱くなるのに……」
「まあまあ。ポリタンク一つ空くたび、給油するようにすればいいですよ。一つは常に予備ということで。灯油宅配サービスも、契約しておくと安くつくんじゃないかな?」
そうねぇ、と三田さんは思案顔。
「でも、私、去年から家を開けることが多いのよ。息子が離婚して、子供を引き取ってね。まだ小さいから母さん頼むよ、って言われて……。いいお嫁さんだったのに、変な女に引っ掛かって浮気しちゃってね……はぁ……我が息子ながら情けない。美里さんも海外赴任の仕事じゃなかったら、息子に孫を渡したりしなかったわよ……」
「……」
美里さんというのが元のお嫁さんの名前かな──。こういう時、何て言っていいのかわからなくて困った顔で黙っていると、三田さんは我に返ったように目を瞬いた。
「ああ、ごめんなさいね、こんな話聞かせちゃって……。そうなの、孫の世話や色んな手続きや何やかやで息子の社宅とこっちを行ったり来たりで……」
ついしゃべり過ぎちゃったわね、と溜息を吐いてる。お疲れだなぁ。
「──日常が落ち着かないと、こういう季節限定品は必要量が読めませんよね……。まあ、またいつでもご用命ください。風邪引かないように気をつけてくださいね」
「ありがとうね、何でも屋さん。ほんと、変な話聞かせてごめんなさいね──」
「全く関係ない相手だからこそ言えるっていうのも、あると思いますよ」
にこっと微笑んでおく。仕事上、こういうお家の事情みたいなの聞くこともあるけど、当然ながら他所に洩らしたことはない。俺は守秘義務意識もばっちりな何でも屋さんさ!
「道端の野良猫にでも聞かせたと思って、忘れてください」
大丈夫、にゃーおとしか鳴きません、って言ったらウケた。
「……孫はこちらの学校に転校させることになると思うわ。何でも屋さんは、このあたりの子供の塾なんかの送り迎えもされてるそうね。また何かお世話になるかもしれないけれど、そのときはよろしくお願いしますね」
「こちらこそ!」
それじゃ、とリヤカー付き自転車の方向転換をしていると、ちょっと待ってといったん家に入った三田さん、良かったら、おやつにでもどうぞ、って赤い紙箱入りの豚まん四つ入りをくれた。
「え? いいんですか?」
「昨日、息子が持たせてくれたんだけどね……今はあの顔思い出すと消化不良起こしそうだから、何でも屋さんに食べてもらえたらありがたいわ」
「……じゃあ、遠慮なく頂いていきますね。ありがとうございます!」
「冷凍だから、そのまま冷凍庫に入れておくといいわよ。食べるときはラップで包んでレンジで一分くらい……ああ、底の経木を水で濡らすのがコツなの」
こういうのも、美里さんに教えてもらったのに……とまた溜息を吐いてる。
「……三田さん」
「なあに? 何でも屋さん」
呼びかけておいて、言葉を探す。ダメだなぁ、俺。だけど……。
「えっとね。俺も離婚して……いや、どっちも浮気とかじゃないですよ! ちょっといろいろあって……あはは。──娘は元の妻が引き取ってるんですけど、毎月ちゃんと会わせてくれるし、あっちのお父さんお母さんとも仲良く楽しく暮らしてるんです。三田さんも、きっとお孫さんと楽しく暮らせると、思いますよ……」
余計なこと言っちゃったかな、と思ったけど。
「……ありがとう」
ふ、と笑ってくれた。
「じゃ!」
会釈して、サドルに跨る。くっ、リヤカー軽くなったけど、やっぱり重いな。──人生は重き荷を負うて遠き道を行くがごとし、って家康の言葉があるけど、誰もが見えない荷物を背負って、一所懸命歩いてるんだよな。
その目的地って人によってどこかわからない。だけど、ひとつだけわかることがある。皆、幸せになるために歩いてるんだ。今日のこの日も、その幸せのための一歩。
続く明日も、頑張るぞ!