第147話 狛田さんと不思議な狛犬 4 終

文字数 2,524文字

「はは、そうかもしれないね」

狛田さんは笑った。

「人とそうでないものの境目が、今よりも曖昧だったんだろうね。ちょっとした不思議が昔はたくさんあったんだと思うよ」

今でもごくごく稀に不思議なことがあるみたいだけど、と狛田さんは続ける。

「氏神様に向けて、重い病気を治してくださいとお願いしたら、夢に双子のようにそっくりな男の子が二人現れて甘酒を飲ませてくれた、とかね。その人はそれからしばらくすると病状が軽くなったらしいよ」

「その男の子たちって、狛田さんが池に落ちた時に会ったという……?」

「さあ、どうだろうね? その人は<狛犬様の社>の話は知らなかっただろうし。神様の繋がりがどうなっているのか分からないけど、氏神様がご自身の眷属を遣わされたのか、それとも狛犬様が氏神様から聞いて動かれたのか──」

ただの偶然ということもあるしね、と狛田さんは悪戯っぽく言う。

「日本にはたくさんの神様がいらっしゃるけれど、それぞれ得手不得手もあって、ある神様にお願いをしたら、別の神様が聞き届けてくださった、ということもあるらしい。だから私が会ったことのある二人と、病平癒の願いをした人が夢で見た二人が同じだとはかぎらない。でも、同じかもしれない」

「そう考えると面白いですねぇ」

神様もご近所の神様と朝のミーティングとかビジネスランチとかしてるのかもしれない。いや、案外メールとかチャットとか神様ちゃんねる掲示板とか──。

そんなお馬鹿なことを考えていると、狛田さんが面白そうな顔をした。

「こんな話をすると、偶然だとか嘘だとか、絶対どっちかの神様に違いないとか言う人のほうが多いのに、何でも屋さんは柔軟性があるねぇ。年寄りの御伽噺かもしれないよ?」

「そのほうが楽しいじゃないですか」

いや、本当に。神様がマウスをクリックしている姿を想像してにへっとしてると、狛田さんがふふっと笑った。

「私が飲ませてもらった甘酒。あれね、飲むことが出来たら命が助かるんだけど、せっかくもらっても、心が清くなければ苦くて飲むことが出来ないんだそうだよ」

「え? そんなことってあるんですか?」

もらえることすら稀なのに? もったいないどころじゃないぞ、それ。

「子供ならいいけど、大人はね。だけど何でも屋さんなら飲めるんじゃないかなあ」

「俺、子供と同レベルってことですか? そりゃないですよー」

狛田さんたら冗談とはいえヒドイ。まあいいや。俺でも飲めるってことは、もらったのに飲めなかった大人はいなかったってことにしておこう。

あはは、と狛田さんは笑い、俺たちが話している間、それこそ狛犬みたいに狛田さんの両側に座っている二匹の柴犬を見た。温和しいよな、こいつら。俺と目が合うと軽く尻尾振ってくれる。愛いやつらめ。思わずその場に座って片手ずつでがしがし耳を掻いてやった。

俺の顔を両側からべろんべろんと舐める犬たちをやさしい目で見ながら、狛田さんは言う。

「子供の時のその事件以来、私は犬が大好きになってね。それまでは、親戚の犬が地獄の番犬みたいに物凄く吠えるから、犬全般が怖かったんだけれども。でも好きになってみると、親戚の犬も吠えなくなって私に愛想良くしてくれたし、近所の犬にも好かれるようになった。不思議だよね」

「分かります! 犬って、鏡みたいですよね」

こっちが嫌ってると嫌われるし、好きだぞこいついい毛並みしやがって、とか思ってると初対面でも懐いてくれたりする。

「鏡か! そうだね、そうかもしれないねえ」

狛田さんは笑った。

「お陰で、私は犬とともに人生を歩むことになった。楽しい時、辛い時、いつでも傍に犬がいた。不思議なことにね、いつも二匹なんだよ。最初の犬は祖父がもらってきた兄弟犬だったけど、今のこの二匹はそれぞれ違う人から譲られたんで、そっくりに見えても兄弟じゃないんだ。そうそう、名前が狛田で、しかも犬好き、ということで面白がった友人がくれた狛犬の置物が、私のコレクションの最初なんだよ」

その置物の特徴を聞いて、ああ、あれか、と俺は頷いた。俺はだいたい月イチで狛田さんちの清掃を頼まれるんだけど、メインは犬の置物コレクションの埃払いだ。あの丸い玉を抱いた小さな狛犬が最初だったのか。へー。

ファンキーな顔の阿吽の狛犬を思い出していると、狛田さんが、さて、とひとつ息を吐いた。

「今月もまた掃除を頼むよ。独りになると、どうしても家の中が行き届かなくてねぇ」

奥さんを亡くして三年経つと聞いている。抜け殻になりかけたけど、犬の世話をしなくちゃいけないと思うから、立ち直れたって前に話してくれたっけ。

「分かりました。ご希望の日時がありましたらお知らせください。日程の調整をして、またご連絡しますね」

にっこり笑って請合った。自分の仕事が喜ばれるのっていいよな。狛田さんも笑って頷いてくれた。

「ああ、お願いするよ」

それじゃあ、と互いに会釈し合って別れたが、二、三歩踏み出したところで呼び止められた。

「──そうだ、何でも屋さん」

「はい?」

俺を見る狛田さんは、何となく不思議な表情をしている。どうしたんだろう、と首を傾げていると、祖父から聞いた話をもうひとつ思い出したんだけどね、と言葉が続けられた。

「例の<狛犬様の社>は、お社の何かが壊れたりして困った時、それを直すことが出来る人の前に現れることがあるんだそうだ。お社の屋根が壊れた時は大工さん、鳥居が傷ついた時は手先が器用で有名な人、だったかな。不思議なことに、ちょうど直せる道具を持ってる時に招かれるらしいんだよ。何でも屋さんは仕事柄色んな道具を持ってることも多いから、もし<狛犬様の社>に出会ったら、怖がらずに直してあげてほしい」

──もしかして、もう出合ったかもしれないけどね。

そう言って微笑み、狛田さんは今度こそ二匹の柴犬とともに帰って行った。

「……」

そんな狛田さんの後姿を見送りながら、俺は考えていた。

──正月明け、脳や目の病気を疑って精密検査を受けたりしなくても、いいかな?
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