第112話 お盆の出来事 7

文字数 2,944文字

「ですから……」

警官その壱とその弐は顔を見合わせ、その壱が口を開いた。

「あなたが、その男を、確保したんです」

誰が、誰を、どうしたって?

何だか、頭の中が洗濯機ストームぐるぐるど真ん中、って何言ってるんだ、俺。

「え……?」

「あの、本当に覚えていないんですか? 冗談ですよね?」

「……冗談?」

マイケル・ジョーダン、ってそれは違うよな。あれ、あれ、あれれ。何か身体のあちこちが軋んでるような気がする。あれ?

「自分より体格的に勝る相手を、あなたは華麗な逮捕術で制圧したんですよ。我々が手を出すヒマもなかったです」

その男、あんなごついナイフまで持ってたようじゃないですか。
警官その弐が落ちているサバイバルナイフを目で示した。

「わ! 何ですか、あれ。あんなもん、持ち歩いていいんですか?!」

恐怖に引き攣った声を上げる俺を、不審そうに見つめる警官たち。

もちろん、ああいうものを持ち歩いてるのを見つけたら、銃刀法違反で現行犯逮捕です、と声を揃えて言う。

「まだ距離は離れてましたが、あなたがこの男の手からナイフを放させるのを見ましたよ。それを蹴って遠くにやるのも。なあ?」

その壱がその弐に同意を求める。

「自分も目がいいので。ええ、確かに見ました、あなたが男の手の届かない場所にナイフを蹴るのを」

「本当に? 本当に俺がそんなことをやったっていうんですか?」

俺の問いに、警官たちは頷く。

「……」

俺はどうしても信じられなかった。暴漢から逃げるなら分かる。なのに、暴漢を取り押さえるなんて、そんな。死んだ弟ならともかく……。

……弟?

「──……」

俺は自分の手をじっと見つめ、弟の名前を呟いた。

もしかして、お前か? お前が助けてくれたのか? ……俺の身体を使って?

「手取り足取り、ってやつかな……」

「は?」

「いや、何でもないです……」

霊って実体がないもんな。昔見た映画であったなぁ。恋人の身に危険が迫っていることを伝えようと、ゴーストになった男が頑張るんだけど、声は伝わらず、ものを掴むことさえ出来ずで、どうしても彼女に伝える術がなくて。結局、霊媒師の身体に乗り移ってしゃべるんだったっけ?

俺の場合は、霊というか弟が直接俺に乗り移って、俺の身体を動かした、ということになるんだろうな、やっぱり。

……信じがたいけど。

「おじさーん!」

子供の声に振り返れば、やや! ビル玄関から顔をのぞかせている、あれは高田さんちの祐介くん。

ん? 他の子供たちも一緒になって恐々とこちらをうかがっているではないか。職員らしき大人たちもいるぞ。おいこら、職員。ダメじゃないか。こういう時は子供たちをどこか安全な部屋にでもまとめて入れておかなくちゃ。

警官その壱とその弐がまだ失神している男をパトカーに積み込むと、子供たちがわっと飛び出してきた。

「おじさんすごい!」
「かめんらいだーがいむ!」
「ちがうもん! ごれんじゃーだよ!」
「きょうりゅうじゃーだよー!」

子供たちにもみくちゃにされる俺。見てたのか、きみたち。でも、おじさん何にも覚えてないんだよ。

とほほな気分でふと目を上げると、職員に付き添われて女の子が立っていた。

「おじさん。ありがとう」

「あ、きみ……」

男に拉致されそうになったあの女の子だ。小学校三年生くらいだろうか。健康的に日焼けしているけれど、これくらいの子供はまだまだ壊れそうに小さい。

この子が、もしあのまま連れ去られていたら……。

うわああああ、嫌だ、想像したくない。別れて暮らしている俺の娘が、もしそんな目にあったら。そう思うととても他人事に思えない。俺は慌ててその子に近づき、怖がらせないようにしゃがみ込んだ。

「どこか怪我したりしなかった? 悪いやつはお巡りさんが捕まえてくれたからね。もう大丈夫だよ」

そっと頭を撫でる。女の子は小さく頷いた。まだ恐怖の余韻の消えない瞳は、涙で濡れている。かわいそうに、怖かっただろう。

「おじさん」

「ん? どうかした? どっか痛い?」

心配する俺に、だいじょうぶよ、と女の子は首を振る。それから、あのね、と続けた。

「おじさん、ほんとうに強くてすごかった。悪のそしきにさらわれて改造された人造人間みたい。おじさんの名前、ほんごうたけし? ショッカーと戦ってるの?」

……この子の親は、仮面ライダーのDVDでも見せてるのか?








はー、疲れた。

俺はとぼとぼと自宅兼事務所に通じるボロビルの階段を上っていた。じわりと浮かぶ額の汗を手の甲で拭う。

夏の夜の、ねっとりと纏わりつくような熱気。都会のそれは、昼間太陽に灼かれたアスファルトの舗装や、コンクリートのビルから瘴気のように立ち上ってくる──。

なぁんてな。要するに、暑い。それに尽きる!

「うわぁ……!」

玄関ドアを開けたとたん、一日中部屋にこもった熱気が襲い来る。俺は慌てて中に入り、窓を全開にした。あるかないかの風が、ゆっくりと空気を入れ替えていく。

明かりをつけるのも忘れ、駅のあたりに広がる遠いネオンをぼんやり眺めていた俺は、窓からの微風がコンビニ袋を揺らす音で我に返った。

今日は、何というか……目まぐるしい一日だった。

あれから……、つまり、警官その壱とその弐が不審者というか暴漢というか拉致未遂現行犯というかを署まで連行していった後、塾から緊急連絡を受けた保護者たちが、次々と自分の子供を迎えに来た。

高田さんには、当初の依頼どおり祐介くんを家まで送り届ける旨、俺から改めて連絡を入れた。それでも、塾から「暴漢現る」の知らせを受けていた高田さんは、途中まで迎えに来ていたが。

おじさんはすごかった! を連発する祐介くんに、引きつった笑顔で手を振る。話を聞いた高田さんからは、明日以降のお迎えも頼まれてしまった。いや、それはありがたいんだが。

顔見知りになっていた職員に頼まれていたので、もう一度塾に戻る。親と連絡のつかない子供をその子の家まで間違いなく送り届けるためだ。その分の料金は塾で負担するという。臨時収入が増えてありがたいといえばありがたいが、何だか複雑だ。

そうやって三人を送ったが、全員近所の子で助かった。一人は家に耳の遠い祖母が、もう一人は帰宅したばかりの母、最後の一人は部活から帰ったばかりらしい兄がいて、俺はほっとした。興奮しているあいだはともかく、あんな怖いことがあったんだ。まだ小学生の子供が急に家で独りになったら、かわいそうだもんな。

三人目を送って塾に報告に戻ったところでちょうど連絡が入り、俺は警察に呼ばれた。簡単な事情聴取をしたいという。塾職員の車で指定の警察署まで送ってもらい、何とか市民の義務を果たした。一番の被害者である拉致されかけた女の子には、明日あらためて話を聞くらしい。

警官その壱とその弐が何か話したようで、警察署に足を踏み入れたとたんじろじろと顔を見られたのが嫌だった。ここは弟の勤務していた署とは違うのだが……、警察も案外世界が狭いのだろうか。
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