第4話 マンボウのピアス

文字数 4,503文字


また、お前か。

俺は叫びそうになる口を必死で閉じつつ、それを見つめた。唇が引きつって、オコゼのようになっているに違いない。

マンボウのピアス。まさかそれをこんなところで見せられるとは思ってもみなかった。部屋の明かりにキラリと光るヤツのおちょぼ口が、ニヤリと笑っているように見える。

「変わったピアスでしょう? これがベッドの上に落ちていたんです」

ニヤリではなく、にこにこと高山が言う。ニヤリとにこにこではどちらが怖いのか。俺はうっかりそんな考えに逃避しそうになった。が。

「……!」

俺は気がついた。マンボウのピアスはマンボウのピアスなんだが、俺のポケットに入っていたのには薄青い涼しげな色の石がついていたのに、こちらのマンボウには赤い石がついているではないか。

偶然だ。おれはそう思うことにした。あれが俺のポケットに入っていたのも偶然だし、ここで色違いに出会ったのも偶然だ。きっとそうだ。絶対そうだ。──どうやって<偶然>知らないうちにポケットに入っていたのかまでは謎だが。

「あー、えーっと……」

何か、何かしゃべらないと。俺はどうしてか焦った。いや、<偶然>になど焦る必要はないのだ。「それは奇遇ですなぁ」などと松竹新喜劇のように笑い飛ばしておけば良いのだ。

「葵さんが身につけていらっしゃったものでしょうか? 見覚えはありますか?」

俺の必死の質問に、高山は首を振った。

「わかりません。私はあまりそういったものに関心がなくて。葵も今時の若者ですから、何かはつけていたように思いますが、それがこれだったのかどうかまでは……。これが女親ならもっと詳しく覚えているのかもしれませんがね」

「そういえば、奥様は……」

「別れました。随分前になりますがね」

にこにこ、にこにこ。この件に関してはそれ以上聞かないほうが良いようだ。俺は笑い仮面に屈した。

「あ、葵さんのお友達に聞いてみたら何かわかるかもしれませんね。これ、お預かりしてもよろしいでしょうか?」

俺の申し出に、笑い仮面はにっこりと快く頷いてくれた。








帰り道。高山は車で送ってくれると言ったが、俺は断った。ゆっくり歩いても、急行の止まる最寄り駅まで十分。なんて立地条件の良いマンションなんだ。だが、あのダンディ笑い仮面オヤジと一緒に住むのは嫌だ。葵という子も、もしかしたらそうだったのかもしれない。っていうか、彼も笑い仮面だったらどうしよう。

どうもこうもないか。俺は電車のドアの閉まる音に紛れてくすっと笑った。鬼ごっこは、見つけた者が勝ち。それで終わりだ。

時刻は夕暮れ時なのに、車窓を流れていく景色はまだ明るい夏の光に溢れている。とりあえず、明日はK大に行ってみよう。俺は思った。高山は、葵の交遊関係を把握していないらしかった。使えねぇ! と思ったが、そういう親も多いだろう。

ののか、お父さんはそういう親にはならないぞ! と俺は心の中で愛娘の笑顔に誓う。せめて、家出をしたとき頼るくらいに親しい友達の名前くらいは知っておくぞ。なんなら、ママとケンカしたらお父さんのところに家出すればいい。

などと、別れた妻に聞かれたら延髄斬りを食らわせられそうなことを考えていたが、反対側の席に座っている高校生らしき女の子の耳にピアスが光っているのを見て、もっとちゃんと考えなければならないことをいやいや思い出した。

あまりにも現実感が無くて遠い昔のことに思えるが、あれはまだ昨日のことなのだ。真っ黒な髪、真っ白なドレスを飾った真っ赤な血。俺はなんであんな所で寝ていたんだろう。まったく覚えが無いのだ。

その前の晩、俺は行方不明だったトイプードルのリリーちゃんを、やっとのことで発見・捕獲し、飼い主に引き渡したのだった。それから、あまりの暑さに目についたバーに飛び込み、ビールを注文したのだ。エアコンのきいた涼しい店内で息をつき、一杯だけ飲んで帰ろうとした時……。

そうだ、何が原因か知らないが、ボックス席に座っていた二人連れの客がケンカを始めた。つい仲裁に入ってしまい(あなたのそういうお人好しなところが我慢できないの、と別れた妻は言った。「お人好しなあなたが好き」って、言い寄ってきたのは誰だよ!)、なんとなく流れでその客たちと飲むことになり、それから……。

店を何軒か変えたんだったっけ?

嗚呼、奢りだからって意地汚く飲むんじゃなかった。タダより高いものは無い。この場合、俺が代わりに支払ったものは何だったのだろう。

俺にはそこから先の記憶がなかった。次に気がついたのが、あのホテルの部屋の、あの死んだ女の隣だったのだ。

それに、あのマンボウのピアスだ。たまたま・偶然・事故、その辺のことだと思いたいが、やっぱり無理だ。俺が自分でポケットに入れたんじゃなければ、誰か他の人間が入れたのだ。

誰が? 何のために?

分からない。まさか、今日高山から借りた赤い石のマンボウと関係があるわけじゃないよな? 問いかけてみたけれど、答は返ってこなかった。

Sound of Silence……

虚しい。がっくりと肩を落とした時、遠かった降車駅のアナウンスが急に耳に迫って、俺は慌てて閉まりかけのドアからホームに飛び下りたのだった。








誰かを探そうと思うなら、まずその人となりを知る事。

そんなのは、何も地下鉄の壁に書かれた予言者の言葉なんか見なくても分かることだ。

行方不明の動物を探すのと同じである。犬なら犬、猫なら猫の習性を知らなくては探しようがない。ちなみに、爬虫類系ペットの失せ物探しは受け付けてはいない。ワニやカミツキガメとはお友だちになりたくないぞ。ってか、大きくなってから困るようなモン、最初から飼うな、欲しがるな。ペットは最後まで責任持って飼え。

なんてな。何でも屋にペット探しを依頼してくるのって、考えたら良い飼い主だよな。

俺は朝のK大キャンパスにいた。高山葵について聞き込みをするためである。おうおう、親の脛齧った坊ちゃん嬢ちゃんがいっぱいいるぜ、なんてな。

キラキラした学生たちの、ブランドものの服やバッグ、アクセサリー。葵もこういう格好してたのかね。高山は金持ちみたいだし。俺でも知っている会社の代表取締役だって言ってたな。取り敢えず、仕事料の取りはぐれはないだろう。

葵は経済学部の四回生だという。それまでにちゃんと取得しているなら単位の心配はないだろうが、ひと月ほど前から行方不明ということは、試験は大丈夫なのか。ついそんな心配をしながら休講や講義変更を知らせる掲示板を睨む俺の出で立ちは、一言でいえば貧乏学生っぽい。Tシャツの上にアロハっぽい綿シャツ、何度も洗っているせいでダメージ加工のように見えるGパン。

俺、トシのわりに若く見えるが、大学生に見える自信はない。まあ老け顔の学生もいるし、社会人大学生もいる昨今、よほどおかしな真似をしないかぎりは不審者扱いされることもないだろう。

「君、経済学部?」

ナンパよろしく、俺は愛想良く笑って声を掛ける。男だけどな。老けて見えても肌が十代のぴっっちぴちなのは避けて、童顔に見えてもどこか落ち着きのあるヤツを選んでみた。

「そうだけど。アンタは?」

胡散臭そうに訊ねる学生に、へらへら笑って見せる俺。変なヒトじゃないですよ~。君に危害を加えることはないから、知ってることを教えてね。

「んー、ちょっと人を探しててねー」

俺は葵の写真を男に見せた。

「彼。経済学部四回の高山葵っていうんだけど。知ってる?」

「高山?」

学生君は写真を見つめた。

「高山、最近姿見ないよ。ゼミにも出て来ないんで、教授が心配してる」

「教授に心配されるってことは、真面目な学生なんだ?」

「まーね。講義をフけるってこともないし」

「高山君と仲の良い友だちって知らない?」

学生君は黙り込み、じっと俺の顔を見た。おー、なかなか良い目をしてるじゃないか。

「アンタ、誰? 怪しいんですけど」

俺は笑った。ストレートだな。

「実はねー、高山君のお父さんから頼まれてさ。葵君の行方を探してるんだ。ひと月ほど前から行方が分からないらしくて。だから大学まで来てみたんだ、何か手がかりはないかなって。ね、君、彼を知ってるんなら教えてよ。葵君ってどんなヒト?」

学生君は、まだ不審そうに俺を睨みつけるように見ている。俺もへらへらするのを止めて、真剣に彼を見つめた。

「ナニ? アンタ、探偵とか言う?」

「惜しいなー。俺は何でも屋。犬や猫はよく探すけど、人間を探すのは初めてでさ。不慣れなところは許してやってよ」

「ふーん……」

学生君は考え込むように目を伏せた。どうやら、何か話してくれそうだ。俺は彼が口を開いてくれるのを待った。

「俺もさ、心配してたんだよ高山のこと」

「家には帰ってきた形跡も無いんだって」

俺は学生君に訴えた。

「男だから連絡無しに外泊くらいするだろうけどさ、ひと月も音沙汰なしじゃ、親だって心配するのよ。ねえ君、葵君の行きそうなところって分かる? 彼女とかいたなら教えてほしいんだけど」

「最近はいなかったな」

学生君は考えながら言う。

「あいつ、女とつき合うことはつき合うけど、淡白っていうか、そんなに執着しないんだよ。だから、ほとんど女の方から振られてたな」

「モテそうだよね、彼」

そう振ってみると、学生君──酒井田というらしい──は頷いた。

「あいつ、キレイな顔してるし、なんてゆーの? ギラギラしてないっていうか、涼しげだからかな。自分からコクったことはないと思うよ。女の方から寄ってくんの」

「へー、じゃあ男から見たらちょっとイヤなヤツ?」

「そうでもないよ。合コンとかではエサに徹してくれてたし。講義休まないからノートもちゃんと取ってて、試験前にコピーもさせてくれるし。ゼミの飲みにも律儀に参加してたしね」

「君とは親しかったの?」

酒井田は頷いた。

「親しい方だと思う。よく昼飯いっしょしてたし、俺んちに遊びに来たこともあるし」

「他の友だちは?」

「小平とか太田とかも親しいんじゃないかな。高山、そんなに積極的なヤツじゃないけど、顔は広かった。他校の人間とも交流があったみたいだし。あいつ、一応軽音部だから、その関係もあるし」

「軽音部? 楽器? ボーカル?」

「キーボード。子供の頃ピアノ習ってたからって、一回の時に小平に引っ張り込まれたってゆってたな」

小平。太田。軽音部。俺はそれらのキーワードを頭に叩き込んだ。他校との交流か。やはり軽音がらみが多いんだろうか。

「そうそう」

二講目にゼミが入ってるからとそわそわしだした酒井田に、俺は例のマンボウ・ピアスを見せた。

「これに見覚えはないかな? 葵君のものらしいんだけど」

「あれっ?」

酒井田は素っ頓狂な声を上げた。
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