第169話 ジグソーパズルとマスオさん 2
文字数 1,777文字
「──まあ、やるしかないですね」
「ですね」
ふたり同時に溜息をついていた。思わず顔を見合わせ、うつろに笑いあう。
で、また。
黙々黙。黙々黙。ひたすら目と脳味噌と手を動かす俺と池本さん。残りを考えると嫌になるんで、とにかくピースを合わせる、合わせる、合わせまくる。これだけ集中するの、学生時代の一夜漬け以来じゃないだろうか。
そして、数時間後。
「こ、これが最後のピース……」
池本さんの声が震えてる。
「早く、嵌めてください……!」
俺の声も震えてる。
「……」
小さな虫食い穴が、ぴたりと塞がれる。ついに、オペラ・ガルニエが完成した。無言で見つめ合い、頷き合い、固く握手を交わす男二人。同じ苦労を分かち合った者だけが持ちうる、連帯感。
「……泣かないでくださいよ」
「え? はは、安心したら気が抜けたかな。これで義父の仲間にならずに済むかと思うと」
ちーん、とティッシュでハナをかむ池本さん。
マスオさんも大変だなぁ……。
つい苦笑してしまった顔を元に戻して、と。
後は、元の簡易額(裏が厚紙で、表側がぺらんぺらんの透明樹脂製。こんなんだから落としただけでバラけたんだな)に完成したパズルを入れ直せば、ミッション終了だ。池本さんの願った証拠隠滅、というか原状回復は完璧。夕方の犬の散歩時間には充分間に合うな。
んー、じゃあここからの帰り、商店街に寄るか。夕方の特売やってるかも。たまには冷蔵庫の中補給しとかないと困るもんなぁ……って、あれ?
「……」
俺は、琥珀色のオペラ・ガルニエのとある一点に目を奪われていた。
じっと見つめる。凝視する。
「あ……」
「どうしたんですか、何でも屋さん?」
もう一枚ティッシュを出して、さらにハナをかみながら池本さん。男前が台無しですよ、とかそんなことはどうでもいい。
俺は気付いてしまった。──正直、気付きたくなかった。
「いや、あのですね、池本さん」
気付いたからには知らせねばなるまい。誠実をモットーとする<地域の皆様の何でも屋>としては。
ああ、声が震える。
「その、最後のピース……ちょっと色目が違わなくないですか?」
「え……」
震えを押し殺すため極端に低くなった俺の声に、ぽかんとした顔を向ける池本さん。彼を促すように、俺は問題の箇所を指で示した。
わけがわからない、といった様子でぼーっと俺の指の先を見つめていた池本さんの眼が、一瞬の後、驚愕に見開かれた。見る見る顔色が悪くなる。次の瞬間叫んだ彼の声は、悲痛としか言いようがなかった。
「な、なんだ、これっ!」
顔ごとその部分に近づけ、食い入るように見つめていたかと思うと、ぺたぺたとパズル全体を撫で始めた。
「何で? どうして? 形は合ってる。合ってるのに、何でここだけ異次元なんですか?」
このピースだけ、オペラ・ガルニエじゃない!
搾り出すようにそう言うと、池本さんはその場に突っ伏した。想定外の出来事に、俺も言葉を失っていた。
窓から降り注ぐ晩春の光。そろそろ夕方ともいえる時間だけど、まだまだ明るい。今日は一日天気が良かったから、日の当たっている間は暑いくらいだろう。
けど、この部屋の中は寒い。見えないブリザードが吹き荒れている。その中心にいるのが未だ床に伏したままの池本さんだ。小刻みに肩を震わせているように見えるのは、気のせいではないだろう。
俺は途方に暮れた。この後に入っている仕事のことを考える。一応は依頼どおりにオペラ・ガルニエを完成させたんだから、ここで帰っても文句は言われないとは思う。思うが、後味が悪い。
たったひとつのピースのために……。
「あの、もう一度探してみませんか、ピース。カーペットの裏とかに紛れ込んでるのかもしれないし」
俺は提案してみた。いつまでもこうしてたって事態が好転するわけじゃないんだし、少しでも前向きに考えるしかないと思うんだ。
ってか、そうするしかないじゃないか。
「……床に落としてバラバラになったのを、這い蹲って拾い集めて、最終的には掃除機まで出してきて徹底的に回収したんですよ。あれで見つからなかったら、もうどこにも無いですよ──」
池本さんのくぐもった声が言った。
うーん、どうすればいいんだ。
「ですね」
ふたり同時に溜息をついていた。思わず顔を見合わせ、うつろに笑いあう。
で、また。
黙々黙。黙々黙。ひたすら目と脳味噌と手を動かす俺と池本さん。残りを考えると嫌になるんで、とにかくピースを合わせる、合わせる、合わせまくる。これだけ集中するの、学生時代の一夜漬け以来じゃないだろうか。
そして、数時間後。
「こ、これが最後のピース……」
池本さんの声が震えてる。
「早く、嵌めてください……!」
俺の声も震えてる。
「……」
小さな虫食い穴が、ぴたりと塞がれる。ついに、オペラ・ガルニエが完成した。無言で見つめ合い、頷き合い、固く握手を交わす男二人。同じ苦労を分かち合った者だけが持ちうる、連帯感。
「……泣かないでくださいよ」
「え? はは、安心したら気が抜けたかな。これで義父の仲間にならずに済むかと思うと」
ちーん、とティッシュでハナをかむ池本さん。
マスオさんも大変だなぁ……。
つい苦笑してしまった顔を元に戻して、と。
後は、元の簡易額(裏が厚紙で、表側がぺらんぺらんの透明樹脂製。こんなんだから落としただけでバラけたんだな)に完成したパズルを入れ直せば、ミッション終了だ。池本さんの願った証拠隠滅、というか原状回復は完璧。夕方の犬の散歩時間には充分間に合うな。
んー、じゃあここからの帰り、商店街に寄るか。夕方の特売やってるかも。たまには冷蔵庫の中補給しとかないと困るもんなぁ……って、あれ?
「……」
俺は、琥珀色のオペラ・ガルニエのとある一点に目を奪われていた。
じっと見つめる。凝視する。
「あ……」
「どうしたんですか、何でも屋さん?」
もう一枚ティッシュを出して、さらにハナをかみながら池本さん。男前が台無しですよ、とかそんなことはどうでもいい。
俺は気付いてしまった。──正直、気付きたくなかった。
「いや、あのですね、池本さん」
気付いたからには知らせねばなるまい。誠実をモットーとする<地域の皆様の何でも屋>としては。
ああ、声が震える。
「その、最後のピース……ちょっと色目が違わなくないですか?」
「え……」
震えを押し殺すため極端に低くなった俺の声に、ぽかんとした顔を向ける池本さん。彼を促すように、俺は問題の箇所を指で示した。
わけがわからない、といった様子でぼーっと俺の指の先を見つめていた池本さんの眼が、一瞬の後、驚愕に見開かれた。見る見る顔色が悪くなる。次の瞬間叫んだ彼の声は、悲痛としか言いようがなかった。
「な、なんだ、これっ!」
顔ごとその部分に近づけ、食い入るように見つめていたかと思うと、ぺたぺたとパズル全体を撫で始めた。
「何で? どうして? 形は合ってる。合ってるのに、何でここだけ異次元なんですか?」
このピースだけ、オペラ・ガルニエじゃない!
搾り出すようにそう言うと、池本さんはその場に突っ伏した。想定外の出来事に、俺も言葉を失っていた。
窓から降り注ぐ晩春の光。そろそろ夕方ともいえる時間だけど、まだまだ明るい。今日は一日天気が良かったから、日の当たっている間は暑いくらいだろう。
けど、この部屋の中は寒い。見えないブリザードが吹き荒れている。その中心にいるのが未だ床に伏したままの池本さんだ。小刻みに肩を震わせているように見えるのは、気のせいではないだろう。
俺は途方に暮れた。この後に入っている仕事のことを考える。一応は依頼どおりにオペラ・ガルニエを完成させたんだから、ここで帰っても文句は言われないとは思う。思うが、後味が悪い。
たったひとつのピースのために……。
「あの、もう一度探してみませんか、ピース。カーペットの裏とかに紛れ込んでるのかもしれないし」
俺は提案してみた。いつまでもこうしてたって事態が好転するわけじゃないんだし、少しでも前向きに考えるしかないと思うんだ。
ってか、そうするしかないじゃないか。
「……床に落としてバラバラになったのを、這い蹲って拾い集めて、最終的には掃除機まで出してきて徹底的に回収したんですよ。あれで見つからなかったら、もうどこにも無いですよ──」
池本さんのくぐもった声が言った。
うーん、どうすればいいんだ。