第149話 マレーネな夜 2

文字数 2,099文字

「このノートパソコン自体、かなり前のものなので、製造元にも純正品のアダプタが残っているとは思えないんですよ」

「じゃ、じゃあ、どうすれば」

いいんです? 俺は必死だった。

お願い・助けて・プリーズ! なオーラ全開で迫る俺に、店員は困ったように微笑んでいる。にこにこ、にこにこ。くっそー、お前は笑い仮面か。俺の知ってる<笑い仮面>に比べたら、まだまだ年季が足りないぞ。あっちのにこにこは何考えてるか全然分からなかったけど、アンタのにこにこは、「どうしよう、この客全然分かってないよ。チッ」って思ってるのが丸分かりだぞ。

「えーと……」

店員は目を泳がせた。ふん、俺の必死の睨みに負けたんだな。
と、思いきや。

「同じタイプのアダプタを探してください。うちには在庫がありませんが、置いているところもあるかもしれません」

にーっこり。

うう、笑顔が眩しい。俺の睨みは、プロの電気店員に負けてしまった……。

同じタイプのアダプタとは。

がっくりとした俺を気の毒に思ったのか、店員がメモ用紙に書いてくれた。えーと、IN……INPUT、インプット、か。インプットがナントカV? あ、ボルトのことかな。あと、アウトプット? も何ボルトとか決まってるのか。

あと、何だ、この記号は。○の中に+とか-とか、あと、半円に棒とか? 遠い昔、何かの教科書に載っているのを見たことがあるような気がする。デキの良かった俺の双子の弟なら、これを見ただけで分かるんだろうか。

「この電気街には、古いパーツを扱ってるところもあります。運が良ければ、そういう店にあるかもしれない。このメモを見せて、在庫があるかどうか聞いてみてください」

店員は言った。

「幸運を祈ります」

にーっこり。

……おい、青年よ。分かりやすいな。厄介払いが出来るってほっとしてるだろ。すっごいうれしそう。

そのやたら晴れやかな笑顔にちょっと傷つきつつ、俺は礼を言って店を出た。途端に冷たい風が吹き付ける。寒い。店内が暖かかった分、外は余計に寒い。俺はノートパソコンと使えないアダプタの入った頑丈なエコバッグを抱え込み、その場で震え上がった。

「うー、ぺくしょい!」

ぺくしょい、ぺくしょい、べっくしゅ! 
……連続くしゃみ。ああ、みっともない。通りすがりのおねーさんに笑われてしまった。

無いものは無い。それは青年の責任ではない。それに彼は親切な店員だと思う。アダプタの規格? をメモしてくれたし。だけど、だけどさ。電気屋に来さえすれば一発解決! と思い込んでた俺。身勝手だけど、ひと言、言ってもいいかな? ──くたばっちまえ!

アーメン。

虚空に向かって八つ当たりすることでなんとか気を持ち直し、俺はメモを握り締めて近くの電気屋を巡り歩いた。大手量販店を回り、電車に乗って電気街にも行ってみた。が。

無い。規格に合うアダプタはどこを探しても、無い。

俺には何の用途で遣うのか、とんと分からない部品がいっぱい置いてあるパーツ屋の兄さんが、「少し前までは、まだ在庫があったんですが」と気の毒そうに言った。

「規格外のものでも、使えないことはないです。でも、もしそれで発火などの事故が起こっても、責任は取れないので……」

製造元にも訊ねてもらったが、もう同じものは生産していないとのこと。「OSももう古いし、この際、新しいものを購入されてみては?」と商売抜きの真顔でアドバイスされてしまった。

おーえす、って何だ? そんなもん、知らない。これ、リストラされた前の会社の宴会の余興でもらった景品だし。それより、本体は無傷なのに、アダプタが無いばかりに使えないなんて……。

電気のないパソコンはただの箱。

そう言ったのは誰だか知らないが、名言だ。そして、激しく同意する! 心の中で叫びながら、ずっしりと重い袋を抱えて俺はとぼとぼと歩いた。

ああ、雪混じりの風が吹き付ける。耳と指先が凍えそうに冷たい。

寒い……。落胆しているせいか、何だか頭がぼんやりしてきた。遭難しそう……。

って、んなわけあるか。

とりあえず、今日はもう帰ろう。夕方から塾の送り迎えの仕事が入ってるし。

ちらちらと降ったりやんだりする雪を恨めしく思いながら、俺は重い足取りで今歩いている電気街の最寄駅を目指した。

電車の中はヒーターがきいていたけれど、身体が温まる前に乗り換え駅に着いてしまった。うう、吹きさらしのホームは、寒い。思わず、くしゃみ。ハナが垂れそうだ。電気街でティッシュ配りのお兄ちゃんにもらった、消費者金融のちらし入りティッシュでハナをかむ。はあ、すっきり。

自宅まで、反対側のホームから出る電車に乗って二駅。さて連絡階段を上るか、と白い息を吐いたとき、背後から「あ」という声が聞こえた。何だ?

「あ」

振り返った俺も同じ音声を発していた。

「きみ……葵くん?」

そこには、日向葵が立っていた。ちなみに、「ヒマワリ」ではなく、「ヒュウガ アオイ」である。間違えないように、って誰に言ってるんだろ、俺?
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