第99話 ホワイトデー お返し前に財布落とす
文字数 2,323文字
風邪でダウンしたバレンタインデーから、そろそろひと月か。早いな。
あの時は智晴に世話を掛けたなぁ……。
良い陽気の中をぼうっと歩きながら、俺はそんなことを考えていた。この辺りは昔ながらの土地で、小さくても庭つきの家が多い。紅梅白梅木瓜の花。散歩しながら花見が出来る。
が、俺は今花見なんかしてる場合じゃないのだ。早くこの怪我ニャンを飼い主の大田さんの所に届けねば。赤トラの毛にヒョウ柄の首輪がオシャレなトラさん(大田さんのセンス、ベタすぎて却って感動する)は、つい先日家出していたところを、依頼されて捕獲したばかり。
家出というか、雄猫だからなぁ。「猫の春」に浮かれ出ていたわけよ。発情期。
そしてトラさんは獣医さんにドナドナされて、タマタマ取られてしまいましたとさ。同じオトコとしては可哀想だが、しょうがないよ、飼い猫だもん。野良猫増やさないためにも必要だ。それに、飼い主だって責任持って最後まで飼う意志があるから去勢手術を受けさせるんだし。
そのトラさん、手術後は室内猫になってたはずなのに、なんで俺の近所の公園で動けなくなってたんだか。おおかた、外が恋しくなって脱走して、野良猫とケンカでもしたんだろう。思いっきり後脚の付け根を噛まれているし、額には天下御免のむこう傷。
哀れな姿に、通りがかった俺はびっくりしたが、知らない仲(?)でもないし、近くのコンビニでもらってきたダンボール箱にとりあえず保護した次第だ。
あ、空気穴はちゃんと開けてあるぜ。
太田さんの家の近くまで来た時、俺はアヤシイ人影を発見した。どこかの家の生垣や細い私道を、盛んに覗き込んでいる。まるで絵に描いたような挙動不審者だ。
「大田さ~ん!」
俺は声をかけた。人影が振り向く。やっぱりあれは飼い主の大田さんだ。脱走したトラさんを探してたんだな。もー、トラさんてば愛されてんなぁ。
「トラさんなら、この中! 怪我してるところを偶然保護したんで、連れてきました!」
叫びつつ俺がダンボール箱を示してみせると、太田さんは息せき切ってこちらに走り込んできた。
「出掛けに、近所の公園で見つけたんですよ。怪我してるみたいだから、獣医さんに連れていってやってください」
「ありがとう!」
礼もそこそこに、太田さんはフタの隙間から愛猫を覗き込んだ。
「ああもう、またこんな怪我してバカ猫が! あんたに見つけてもらって良かったよ。ちょっと油断した隙にドアから飛び出してしまって……去勢したんだから、もう外遊びは危ないのに」
太田さんは盛大な溜息をついた。
「名前が悪いんじゃないですか?」
俺はつい苦笑いしてしまった。
「君もそう思うか?」
太田さんは言い、がっくり肩を落とした。
「まあまあ。獣医に行くのが先ですよ。傷が膿んだら後が大変だ」
「そ、それもそうだな。これからすぐ連れて行くよ。悪いね、今はとにかく急ぐから、お礼はまた後日」
いつでもいいですよ~、と、ダンボール箱を大事にを抱えてせかせかと歩いていく太田さんを俺は気分よく見送った。責任のある飼い主には好感が持てる。トラさんの怪我は酷かったけど、ちゃんと手当てすれば大事なさそうなのも良かった。あれが瀕死の重体とかだったら、俺だって気分が暗い。
ああ、トラさんのお陰で時間が潰れた。早く買い物に行かなくちゃ。何を買うかというと、もちろんバレンタインデーのお返しだ。離婚後、娘のののかは母親である元妻に引き取られたが、離れて暮らす父親の俺のことも慕ってくれてるやさしい子だ。
ふっ、当然ながら娘はトラさんよりずっとかわいい。
俺はにやけた。
うーん、プレゼントは何がいいかなぁ。そんなことを考えながらふと尻ポケットに手をやって──俺は青くなった。
財布が、無い。
ヤバイ。落とした? 一体どこで?
トラさんを保護したあの公園か? それともここまでの道のどこかか?
オオマイガッ! 俺の財布! クリスチャンじゃないけど、ついそう叫んでしまった。道行く人の目が痛い。うう。これじゃあ俺、怪しい人じゃないか。
公園から太田さんに出会った住宅街まで何度も往復してみたが、俺の財布は見つからなかった。がっくり……。ののかにホワイトデーのプレゼント買いたかったのに。ああ、俺ってダメな父親……。
ずーんと落ち込みながら、俺は一応最寄の派出所に財布を落としたことを告げ、もし心ある人が拾って届けてくれたら連絡をくれるように頼んで帰ってきた。生活費以外の俺の全財産。大した金額は入ってなかったけど、俺のふところ大打撃。
とぼとぼと何でも屋事務所兼自宅のボロビルに引き返す俺は、生ける屍だった。
まさにリビングデッド?
「……」
信号待ちをしていると、向かいに洋品店がある。魂が抜けたようにその色とりどりのディスプレイをぼんやり眺めていた俺の頭に、闇を切り裂くようにして唐突に明るい光が閃いた。あれだ!
俺は帰宅の足を速めた。豚の貯金箱を割れば、あれを買うくらいのお金は貯まっているはず。ホワイトデー当日は一週間後。待ってろよ、ののか。パパ、がんばる!
その日から、何でも屋の通常業務(?)をこなしつつ、俺は夜なべしてがんばった。寝る間も惜しみ、涙ぐましい努力をして何とか今日のホワイトデーに間に合わせることが出来た。偉いぞ、俺。
が、ここ一週間の疲れがどっと来て、眠くて眠くてたまらない。せっかく間に合わせたんだから、今日中にののかにプレゼントを渡したいじゃないか。こういう時は、あれだ。しょっちゅう元義兄をからかいに来る智晴君に骨を折ってもらおうじゃないか。
あの時は智晴に世話を掛けたなぁ……。
良い陽気の中をぼうっと歩きながら、俺はそんなことを考えていた。この辺りは昔ながらの土地で、小さくても庭つきの家が多い。紅梅白梅木瓜の花。散歩しながら花見が出来る。
が、俺は今花見なんかしてる場合じゃないのだ。早くこの怪我ニャンを飼い主の大田さんの所に届けねば。赤トラの毛にヒョウ柄の首輪がオシャレなトラさん(大田さんのセンス、ベタすぎて却って感動する)は、つい先日家出していたところを、依頼されて捕獲したばかり。
家出というか、雄猫だからなぁ。「猫の春」に浮かれ出ていたわけよ。発情期。
そしてトラさんは獣医さんにドナドナされて、タマタマ取られてしまいましたとさ。同じオトコとしては可哀想だが、しょうがないよ、飼い猫だもん。野良猫増やさないためにも必要だ。それに、飼い主だって責任持って最後まで飼う意志があるから去勢手術を受けさせるんだし。
そのトラさん、手術後は室内猫になってたはずなのに、なんで俺の近所の公園で動けなくなってたんだか。おおかた、外が恋しくなって脱走して、野良猫とケンカでもしたんだろう。思いっきり後脚の付け根を噛まれているし、額には天下御免のむこう傷。
哀れな姿に、通りがかった俺はびっくりしたが、知らない仲(?)でもないし、近くのコンビニでもらってきたダンボール箱にとりあえず保護した次第だ。
あ、空気穴はちゃんと開けてあるぜ。
太田さんの家の近くまで来た時、俺はアヤシイ人影を発見した。どこかの家の生垣や細い私道を、盛んに覗き込んでいる。まるで絵に描いたような挙動不審者だ。
「大田さ~ん!」
俺は声をかけた。人影が振り向く。やっぱりあれは飼い主の大田さんだ。脱走したトラさんを探してたんだな。もー、トラさんてば愛されてんなぁ。
「トラさんなら、この中! 怪我してるところを偶然保護したんで、連れてきました!」
叫びつつ俺がダンボール箱を示してみせると、太田さんは息せき切ってこちらに走り込んできた。
「出掛けに、近所の公園で見つけたんですよ。怪我してるみたいだから、獣医さんに連れていってやってください」
「ありがとう!」
礼もそこそこに、太田さんはフタの隙間から愛猫を覗き込んだ。
「ああもう、またこんな怪我してバカ猫が! あんたに見つけてもらって良かったよ。ちょっと油断した隙にドアから飛び出してしまって……去勢したんだから、もう外遊びは危ないのに」
太田さんは盛大な溜息をついた。
「名前が悪いんじゃないですか?」
俺はつい苦笑いしてしまった。
「君もそう思うか?」
太田さんは言い、がっくり肩を落とした。
「まあまあ。獣医に行くのが先ですよ。傷が膿んだら後が大変だ」
「そ、それもそうだな。これからすぐ連れて行くよ。悪いね、今はとにかく急ぐから、お礼はまた後日」
いつでもいいですよ~、と、ダンボール箱を大事にを抱えてせかせかと歩いていく太田さんを俺は気分よく見送った。責任のある飼い主には好感が持てる。トラさんの怪我は酷かったけど、ちゃんと手当てすれば大事なさそうなのも良かった。あれが瀕死の重体とかだったら、俺だって気分が暗い。
ああ、トラさんのお陰で時間が潰れた。早く買い物に行かなくちゃ。何を買うかというと、もちろんバレンタインデーのお返しだ。離婚後、娘のののかは母親である元妻に引き取られたが、離れて暮らす父親の俺のことも慕ってくれてるやさしい子だ。
ふっ、当然ながら娘はトラさんよりずっとかわいい。
俺はにやけた。
うーん、プレゼントは何がいいかなぁ。そんなことを考えながらふと尻ポケットに手をやって──俺は青くなった。
財布が、無い。
ヤバイ。落とした? 一体どこで?
トラさんを保護したあの公園か? それともここまでの道のどこかか?
オオマイガッ! 俺の財布! クリスチャンじゃないけど、ついそう叫んでしまった。道行く人の目が痛い。うう。これじゃあ俺、怪しい人じゃないか。
公園から太田さんに出会った住宅街まで何度も往復してみたが、俺の財布は見つからなかった。がっくり……。ののかにホワイトデーのプレゼント買いたかったのに。ああ、俺ってダメな父親……。
ずーんと落ち込みながら、俺は一応最寄の派出所に財布を落としたことを告げ、もし心ある人が拾って届けてくれたら連絡をくれるように頼んで帰ってきた。生活費以外の俺の全財産。大した金額は入ってなかったけど、俺のふところ大打撃。
とぼとぼと何でも屋事務所兼自宅のボロビルに引き返す俺は、生ける屍だった。
まさにリビングデッド?
「……」
信号待ちをしていると、向かいに洋品店がある。魂が抜けたようにその色とりどりのディスプレイをぼんやり眺めていた俺の頭に、闇を切り裂くようにして唐突に明るい光が閃いた。あれだ!
俺は帰宅の足を速めた。豚の貯金箱を割れば、あれを買うくらいのお金は貯まっているはず。ホワイトデー当日は一週間後。待ってろよ、ののか。パパ、がんばる!
その日から、何でも屋の通常業務(?)をこなしつつ、俺は夜なべしてがんばった。寝る間も惜しみ、涙ぐましい努力をして何とか今日のホワイトデーに間に合わせることが出来た。偉いぞ、俺。
が、ここ一週間の疲れがどっと来て、眠くて眠くてたまらない。せっかく間に合わせたんだから、今日中にののかにプレゼントを渡したいじゃないか。こういう時は、あれだ。しょっちゅう元義兄をからかいに来る智晴君に骨を折ってもらおうじゃないか。