第153話 マレーネな夜 6
文字数 2,133文字
俺の言葉に、芙蓉はほぅっと溜息をついた。
「あたしだと、どうしてもディートリッヒのイメージにならないのよ。色々頑張ってみたんだけど、やっぱり無理だったわ。夏子は笑ってたけど、でも悔しいじゃない。だからリベンジよ」
両手を握り締め、芙蓉は何やら燃えているようだ。
いや、リベンジに俺を使わないでくれ。俺、赤の他人だし。関係ないし。そう思いつつも、アダプタ欲しさに何も言えない……。う、情けない。
それでも、ひと言言わせてくれ。
「このドレスとかコートとか、きみの方が似合うと思うんだけど?」
女装の芙蓉は、美女だ。俺なんかが着るより、芙蓉の方が絶対に似合うはず。
「……あなた、分かってないわね」
そう言うと、意見を求めるようにわざとらしく小首を傾げ、芙蓉は双子の弟を見やった。と、心得たように葵も頷いてみせる。
「俺も芙蓉と同じ意見。あなた、全然分かってないね」
「……何が?」
恐る恐る訊ねる俺に、葵はにこりと微笑んだ。
「メイクをすると、別人になるってこと。すっごい美人になるのに、鏡を見ても分からない?」
……分かるか、そんなこと!
「あのさ……」
俺は二人を睨んだ。
「俺、普通の男だよ? この場合の普通は、十人並みって意味な。特別不細工でないかわり、特別男前でもない。群集に埋没するっていうか、本当にどこにでもいるタイプっていうか」
……言っているうちに、自分で虚しくなってきた。
「ええ、確かにあなたは個性的でもないし、美男でもないわね」
だから、さっきからそう言ってるじゃないか。何か、こめかみがぴくぴくしてきたぞ。
今まで、自分の容姿について特にどうこう思ったことはない。同じ顔の弟についても同様。俺も弟も、柿ピーの中に入っているどれも同じ形のピーナツみたいに平凡だった。
「だけど、そこがいいのよ。元のつくりが自己主張しないから、お化粧が映えるの」
誉めてるんだかけなしてるんだか分からない芙蓉の言葉に、葵がうんうん頷いている。
「信じられないくらい、変わるものね、化粧で。普段のあなたを知ってる人が今のあなたを見ても、多分分からないと思うよ」
芙蓉のメイクテクが凄いのかもしれないけど、これだけ変わるとイリュージョンだよ、と葵はさらに失礼なことを言ってくれる。
俺はカッ○ーフィー○ドかよ!
胸の裡に怒りをふつふつと滾らせる俺に、芙蓉がさらに追い討ちを掛ける。
「女の顔はキャンパスだ、という言葉があるけど、あなたは本当に最高のキャンパスなのよ」
「……これが、そのキャンパスに描いた作品かよ?」
俺は憤然と、眉まで細く削られた自分の顔を指差してみせた。
確かに、絵を描くみたいに色んな色を塗ってくれたよな。緑の下地に黄色い下地、イエローベージュにピンクベージュ、色んなベージュのバリエーション。薄いブルー、濃いブルー、グレーにホワイト、ピンクに赤。
「ただの絵じゃないわ」
ふふん、と得意げに芙蓉は笑った。
「究極の騙し絵よ」
だ、騙し絵? ドアだと思ってドアノブを掴もうとしたのにただの絵だったり、猫が気持ち良さそうに寝ているから撫でてやろうとしたらただの絵だったり、階段だと思って下りようとしたら実は床に描かれたただの絵だったりする、あれか?
実はエッシャーの弟子だったのか、芙蓉。
「明るめの、不自然にならない程度に白っぽい肌色のファンデーションで整えて、両頬の下の方と鼻の両サイドに心持ち濃い目のバランスカラーを持ってくる。そうすると顔の彫りが深く見えるの。それから、睫毛の根元に濃いブルーのリキッドアイライナーを引いて、マスカラも同じ色で揃えると、どことなく憂いを含んだ目元になる。アイカラーはブルーのグラデーション。リップカラーはちょっとくすんだ感じのレッド。極めつけは、柳のような細い眉」
これで、退廃的美女の出来上がり。と彼(彼女?)は満足そうだ。
はあ。俺は一気に脱力した。
何かもう怒るのにも疲れてきた。段々バカバカしくなってくる。平たく言えば、開き直りというやつだ。
「で? 俺はどうすればいいわけ? リリー・マルレーンでも歌うか?」
投げやりな軽口を叩いた俺に、芙蓉が目を輝かせた。
「あら、あなた歌えるの? それならあたしがピアノ伴奏してあげるわよ?」
げげ。何言うんだ芙蓉。本気なわけないだろ。ってゆーか、ピアノまで弾けるのか。女装時のたおやかな見かけに反して各種武道を修めているというし、本当に計り知れないやつだな。
「……ドイツ語の歌詞で一番しか歌えないし、うろ覚えだからやめとく」
俺は早々に白旗を揚げた。
別にうろ覚えでもいいのに。と、芙蓉はやたらに機嫌良さそうだ。
「夏子に見せてあげたかったわ、あなたのこの艶姿。理想の女装だって喜んでくれたはずよ、絶対!」
俺のこめかみがまたひくつきそうな台詞を吐いた芙蓉は、いきなり「あっ!」と声を上げた。
「どうしたんだ、芙蓉? あ……そういうことか」
兄に問いかけた葵は、何故だか改めて俺の顔を見つめ、独りで納得して頷いている。何だ何だ。二人とも、どうしたんだ?
「あたしだと、どうしてもディートリッヒのイメージにならないのよ。色々頑張ってみたんだけど、やっぱり無理だったわ。夏子は笑ってたけど、でも悔しいじゃない。だからリベンジよ」
両手を握り締め、芙蓉は何やら燃えているようだ。
いや、リベンジに俺を使わないでくれ。俺、赤の他人だし。関係ないし。そう思いつつも、アダプタ欲しさに何も言えない……。う、情けない。
それでも、ひと言言わせてくれ。
「このドレスとかコートとか、きみの方が似合うと思うんだけど?」
女装の芙蓉は、美女だ。俺なんかが着るより、芙蓉の方が絶対に似合うはず。
「……あなた、分かってないわね」
そう言うと、意見を求めるようにわざとらしく小首を傾げ、芙蓉は双子の弟を見やった。と、心得たように葵も頷いてみせる。
「俺も芙蓉と同じ意見。あなた、全然分かってないね」
「……何が?」
恐る恐る訊ねる俺に、葵はにこりと微笑んだ。
「メイクをすると、別人になるってこと。すっごい美人になるのに、鏡を見ても分からない?」
……分かるか、そんなこと!
「あのさ……」
俺は二人を睨んだ。
「俺、普通の男だよ? この場合の普通は、十人並みって意味な。特別不細工でないかわり、特別男前でもない。群集に埋没するっていうか、本当にどこにでもいるタイプっていうか」
……言っているうちに、自分で虚しくなってきた。
「ええ、確かにあなたは個性的でもないし、美男でもないわね」
だから、さっきからそう言ってるじゃないか。何か、こめかみがぴくぴくしてきたぞ。
今まで、自分の容姿について特にどうこう思ったことはない。同じ顔の弟についても同様。俺も弟も、柿ピーの中に入っているどれも同じ形のピーナツみたいに平凡だった。
「だけど、そこがいいのよ。元のつくりが自己主張しないから、お化粧が映えるの」
誉めてるんだかけなしてるんだか分からない芙蓉の言葉に、葵がうんうん頷いている。
「信じられないくらい、変わるものね、化粧で。普段のあなたを知ってる人が今のあなたを見ても、多分分からないと思うよ」
芙蓉のメイクテクが凄いのかもしれないけど、これだけ変わるとイリュージョンだよ、と葵はさらに失礼なことを言ってくれる。
俺はカッ○ーフィー○ドかよ!
胸の裡に怒りをふつふつと滾らせる俺に、芙蓉がさらに追い討ちを掛ける。
「女の顔はキャンパスだ、という言葉があるけど、あなたは本当に最高のキャンパスなのよ」
「……これが、そのキャンパスに描いた作品かよ?」
俺は憤然と、眉まで細く削られた自分の顔を指差してみせた。
確かに、絵を描くみたいに色んな色を塗ってくれたよな。緑の下地に黄色い下地、イエローベージュにピンクベージュ、色んなベージュのバリエーション。薄いブルー、濃いブルー、グレーにホワイト、ピンクに赤。
「ただの絵じゃないわ」
ふふん、と得意げに芙蓉は笑った。
「究極の騙し絵よ」
だ、騙し絵? ドアだと思ってドアノブを掴もうとしたのにただの絵だったり、猫が気持ち良さそうに寝ているから撫でてやろうとしたらただの絵だったり、階段だと思って下りようとしたら実は床に描かれたただの絵だったりする、あれか?
実はエッシャーの弟子だったのか、芙蓉。
「明るめの、不自然にならない程度に白っぽい肌色のファンデーションで整えて、両頬の下の方と鼻の両サイドに心持ち濃い目のバランスカラーを持ってくる。そうすると顔の彫りが深く見えるの。それから、睫毛の根元に濃いブルーのリキッドアイライナーを引いて、マスカラも同じ色で揃えると、どことなく憂いを含んだ目元になる。アイカラーはブルーのグラデーション。リップカラーはちょっとくすんだ感じのレッド。極めつけは、柳のような細い眉」
これで、退廃的美女の出来上がり。と彼(彼女?)は満足そうだ。
はあ。俺は一気に脱力した。
何かもう怒るのにも疲れてきた。段々バカバカしくなってくる。平たく言えば、開き直りというやつだ。
「で? 俺はどうすればいいわけ? リリー・マルレーンでも歌うか?」
投げやりな軽口を叩いた俺に、芙蓉が目を輝かせた。
「あら、あなた歌えるの? それならあたしがピアノ伴奏してあげるわよ?」
げげ。何言うんだ芙蓉。本気なわけないだろ。ってゆーか、ピアノまで弾けるのか。女装時のたおやかな見かけに反して各種武道を修めているというし、本当に計り知れないやつだな。
「……ドイツ語の歌詞で一番しか歌えないし、うろ覚えだからやめとく」
俺は早々に白旗を揚げた。
別にうろ覚えでもいいのに。と、芙蓉はやたらに機嫌良さそうだ。
「夏子に見せてあげたかったわ、あなたのこの艶姿。理想の女装だって喜んでくれたはずよ、絶対!」
俺のこめかみがまたひくつきそうな台詞を吐いた芙蓉は、いきなり「あっ!」と声を上げた。
「どうしたんだ、芙蓉? あ……そういうことか」
兄に問いかけた葵は、何故だか改めて俺の顔を見つめ、独りで納得して頷いている。何だ何だ。二人とも、どうしたんだ?