第305話 チューリップと思い出

文字数 1,820文字

・4月11日 チューリップと思い出

ぴっかぴっかの青空の下で、チューリップの花がかすかな風に揺れている。

赤、白、黄色。
ピンクにオレンジ、紫。

見てると、気分が浮き立つような、幸せな気分になってくる。無意識に子供の頃のことを思い出すからだろうか。

いつも俺たち兄弟を幼稚園まで迎えに来てくれた母。片手に弟、片手に俺。三人で手を繋いで帰ったっけ。あちこちの庭先でチューリップの花が咲いていて、俺は何だかやたらにうれしくて。そうそう、覚えたての下手くそなスキップして転んだんだっけな。

もうあれから何年経ったんだろう。かつての幼稚園児が、一度は家庭を持って娘をもうけ、離婚して、今は独り暮らしをしている。それほどの歳月が過ぎてしまった。母も、父も既に亡く、双子の弟にすら先立たれて。

……そんなこと、考えても仕方ないのにな。

「おじさーん!」

俺のしょうもない感傷を、元気な子供の声が吹き飛ばしてくれた。胸に縮こまっていた息を、大きく吐く。助かった。こんな天気の良い日に、暗い気持ちでいたくなかったから。

あれは由良さんちの智彦くんだ。幼稚園の玄関脇の窓から、元気良く俺に手を振ってくれている。

俺、今日はこの子を迎えに来たんだ。働く娘夫婦の代わりにいつもお迎えを担当しているお祖母さんが、昨日足を捻ったんだって。家の中でちょっと動くくらいは大丈夫だけど、幼稚園から家までの間の道を歩くのはやっぱりきついらしかった。子供はスキップなんかしたりするしな。

「智彦くん、お祖母ちゃんの代わりに迎えに来たよ。先生は?」
「んー、ケンジくんがころんでケガしたんだー」
「そっか。先生は怪我の手当てしてるんだね。ちょっと待とうか」
「うん!」

幼稚園の敷地前に立つ俺と、窓越しの会話。ここの幼稚園はきっちりしてるから、先生がお迎えの人間を確認するようになってるんだ。園児も日頃から言い聞かされているので、先生もいないのに、知ってる人間が来たからといってすぐ外に出てきたりしない。

「あ、何でも屋さん!」

玄関奥から出てきたのは園長先生。うん、まあ、俺、何でも屋だけど。いいけど。こういう所でそう呼ばれると、なんだかこう……。

「由良さんから連絡受けてます。あなたなら安心してお預けできるわ」

園長先生、にこにこしながら智彦くんを連れてきてくれる。まあね。今年の節分にも鬼のボランティアしに来たしね。顔を知ってもらえる、信頼してもらえるっていうのは有り難いことだよ、うん。俺は地域密着型の何でも屋さんさ。

「はい、確かにお智彦くんをお預かりしました。由良さんのお宅まで責任持って送っていきます」
「お願いします。じゃあ、智彦くん、また来週月曜日にね」
「はい! さよならーえんちょうせんせー」

元気良く挨拶する智彦くんの手を引きながら、俺も笑顔で会釈する。

あ、何だかデジャブ。というか、娘のののかの幼稚園お迎えを思い出す。あの子も智彦くんくらいの頃があったんだ。子供ってすぐ大きくなっちゃうよな。

「おじさーん、ねこがいるー!」

走り出そうとするのを、握った手で止める。危ない危ない。子供は思い立ったらすぐ身体が動いちゃうからなぁ。

「猫かぁ。この時間なら、もう少し行った先の塀の上で、白いのとサバトラのが寝てるよ」

「ホント?」

ホントだよ、と笑いながら子供の歩幅に合わせて歩く。家出ペット探しもするから、猫がよくいるポイントはチェックしてるからな。

「あー、ちゅーりっぷー! いっぱいー!」

智彦くんの指さす先、階段状の外壁に色とりどりのチューリップが植えてあるのが見えた。行きには気付かなかったな。園芸好きのお宅なのかな?

「ねー、おじさん。ちゅーりっぷってわらってるみたいだねー」

繋いだ手をぶんぶん揺らしながら、智彦くんが笑う。

「そうだねぇ。智彦くんが笑ってるから、チューリップも笑ってくれるんじゃないかなぁ」

「おばあちゃんもそういってたー」

あははは、と笑いながら、今度は今日習ったらしきお遊戯の歌を歌う。子供は忙しい。

大きくなるのに忙しく、成長するのに忙しく。そして気がついたら、いつの間にか大人になってるんだ。

誰もが大人になってから気づく、自分も昔は子供だったのだと。

智彦くんが大人になった時、チューリップはこの子にとってどんな思い出になるんだろう。それが幸せな思い出だといいな。既に大人になってしまった俺が願えるのは、それくらい。


青空と、チューリップ。何も怖いことなんかなかった、幸せな、遠い日の思い出。
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