第17話 話せない理由
文字数 3,337文字
ふう、と満足の溜息をついて、俺はカップを置いた。ハーブティーの爽やかな後味が、ピザのこってり感をぬぐい去ってくれたようだ。
「ごちそうさま」
ここは素直になっておく方がいいよなぁ。そう思って俺は元義弟に頭を下げた。
「どうしたしまして」
ポットの中身をきれいに洗った小鍋の中に移しかえながら、智晴は答える。
「冷蔵庫に入れておきますから、明日また飲んでください。冷たくしても美味しいし、身体に良いお茶ですからね」
「けっこう所帯染みてるな、お前……」
「しょうがないでしょう。他に入れておけそうなものがないんだから。ポットは返さないといけないし」
猫のポット、ちょっと欲しいかも。ののかが喜びそうだ。どこに売っているのかな……。いや、無駄遣いをしてはいけない。今は目の前の問題だ。
「あのマンボウのピアスの意味は何なんだろう?」
俺は疑問を口にしてみた。
「元々の一対ではないと思うんだ。石の色が違うから」
「そうですね。一対なら普通は同じ色です。別の一対の片方ずつか、それぞれ片耳用ピアスだったか。そのどちらかだと考えるのが妥当でしょう」
「高山葵の大学の友人たちの話によると、彼は青い石の方をつけていたらしいんだ。だが、高山父が言うには、居所の分からなくなった葵の部屋のベッドに残されていたのは赤い石の方で、俺が預かったのもそっちだ」
「僕の見た彼の写真そっくりな女は、赤い石のマンボウ・ピアスをつけていました。……そういえば」
智晴はハッとしたように俺の顔を見た。
「今夜あなたが会った女は? ピアスをつけていましたか?」
俺はうっ、となった。
「覚えてない……」
智晴は目を逸らせてわざとらしく溜息をついてみせた。
「お前、今、使えねぇ、って思っただろ?」
「ま、済んでしまったことは仕方ないですね」
ってことは、やっぱり『使えねぇ』って思ったってことじゃないか。
「そうですね、バナナの皮よりは使えるんじゃないかなと思ってますよ」
智晴のイヤミに、俺は鼻を鳴らした。
「俺はただの何でも屋だからな。人探しは専門じゃない。猫の模様ならすぐに覚えるぞ」
「それって、自慢になると思いますか?」
「思う!」
俺は即答した。犬猫の特徴ならすぐに覚えられるし、お蔭で不明ペット探しは楽勝、とは言わないが、得意とする方だろう。
「いいですけどね、あなたがそう思っているなら」
智晴はやれやれとでもいうように肩をすくめた。
「面白い能力ですよ。──世の中、役に立たない意味のないことも多いですけど」
役に立たない意味のない、って俺の事かよ? ムッとしたが確認するのはやめた。そんなこと、わざわざ肯定されたくはない。
「今夜の女は、とにかく高山葵の写真と似ていた。それだけだ」
俺の言葉に、智晴は大袈裟なアクションで空、いや、天井を仰いでみせた。蚊取り線香の煙もいつの間にか消えている。洗濯ばさみで挟んでおいたところで消えたんだろう。
「だけど、細かいことを観察しなくても分かることはある。あの女は、俺があの店にいることを知っていて現れたんだ」
智晴は打って変わってにっこりと笑い、俺の顔を見た。
「もしかしたら、あなたはそのことに気づかないかと思いましたよ」
「お前、サイテー」
俺はパンチを出すふりをした。力を入れていない右ストレートはすぐに掌で受け止められる。元義弟のくせに余裕の表情をしやがるのが悔しくなって、俺はその手を掴んで引いて、ヤツの左耳に思いっ切り息を吹き掛けてやった。
「何するんですか!」
耳を押さえて硬直する智晴に、俺はニヤッと笑ってやった。
「嫌がらせ」
智晴は耳が弱い。猫と同じだ。猫は耳の中にふぅっと息を吹き掛けると、くすぐったがって必ず首をぷるぷる振る。それが面白くて、行方不明のところを捕獲した猫には必ずやってやる。
面倒かけさせやがって、という意趣返しの気持ちもあるが、くすぐったがるのが可愛いし害がない、というのが大きい。ま、ちょっとした意地悪である。
「あのなぁ、智晴。他にも席が空いてるのに、わざわざ俺の隣に座って話しかけてきたんだぜ? 誰だって分かるだろう、そんなこと。言葉がまたいちいち意味深だったし」
智晴はしばらく耳を擦っていた。恨みがましくこちらを見るが、俺は知らないふりをした。
「まったく。いいトシをしてこんなことをするのはあなただけですよ」
「いいじゃないか、童心を忘れなくて」
「あなたの場合、少しは忘れた方がいいと思いますよ。その、子供のように無防備な心が! 今回のようなことを招き寄せたんじゃないですか?」
「……人のこと、ガキっぽいって言いたいんだな?」
「そう聞こえたなら、そうなのかもしれませんね」
ツンとそっぽを向く智晴。イカン。ちょっと怒らせたみたいだ。耳に息を吹き掛けられたくらいでうろたえた姿を見られたのが、自分で許せないらしい。ややこしいヤツだ。
ナルシストなところがあるからな、こいつ。プライド高いし、猫みたいだ。そう思うと可愛い、かもしれない。と、いうことにしておこう。
「一番の問題は、高山父子の関係ですね」
そっぽを向いて怒っているかと思われた智晴が、考え込むように呟いた。
「共謀しているのか、それとも別々の思惑で動いているのか」
智晴は俺の方を向いた。
「高山葵とその父に初めて会ったと思われる時──あなたは酔っていたわけですが──彼らはケンカをしていたんでしたね?」
「ああ。朧げにしか覚えてないけど、かなり険悪な感じだったと思う……」
他にも何か思い出せないかと頑張ってみたが、ダメだった。どうしてもそれ以上思い出せない。うう、俺の脳味噌にメモリーカードがついていれば良かったのに。
「今夜<サンフィッシュ>に行ったのは、高山葵の大学の友人から、ひと月前にあの店で葵と彼そっくりな人間が話しているのを見たと聞いたからなんだが、葵はどうも、そのことを父親に話してなかったみたいなんだ。つまり、五年前に行方不明になっていた兄に会ったということを」
「何か話せない理由があるということでしょうか」
「分からない……」
俺は高山父の顔を思い出した。にこにこ笑いをはりつかせた、<笑い仮面>の顔を。
「五年前、高山は、警察に捜索願を出すほど、行方不明になった兄息子のことを心配していたのは確かだ。それなのに、葵は失踪したはずの兄と会ったことを話していない。話せないのか、話したくないのかどちらかは知らないが、ケンカの原因は、もしかしたらその辺りにあるのかもしれない」
「今回、二人目の息子の捜索願は出していないわけですね。実際にはケンカするほど近くにいたわけですから、警察に届けるも何もないですけれど」
智晴は唸った。
「ほんの二日ほど前には一緒にいたはずの息子の居所を、ひと月も前から行方が分からないと偽ってあなたに捜索を依頼した、その理由がわからないですね。Why done it? が分からない」
「結局はそこに行き着くのか」
俺はうなだれた。
「何故、というなら、あの死体だ。何故俺の隣にあったんだ。何故俺は何も覚えていないんだ……」
どんどん声が暗くなっていくのが分かる。どうしようもなく滅入ってきた。出口の分からない迷路をぐるぐるぐるぐるしている気分だ。
そんな俺に、明るくからかう口調で智晴が言う。
「夢遊病の気があるのかもしれませんよ? 眠ったまま知らない場所に入り込んでしまったのかも」
「夢遊病か……」
そんなわけはないのは、智晴も分かって言っている。冗談で俺の気分を引き立てようとしてくれているのだろう。
だが、あんな悪夢は無い。目覚めたら隣に死体が転がっているだなんて。『エルム街の悪夢』かよ。チェーンソー持って追いかけてくるのか、って、それは『13日の金曜日』か。俺はジェイソンじゃねぇ!
……一人でノリツッコミしてる俺。たとえ、世界に千体しか無いジェイソン限定フィギュアをもらったとしても、これは虚しい……。