第58話 <風見鶏>の遊び心

文字数 3,868文字


まあいい。俺よりよほど扱いの難しい義弟など、放っておこう。
気を取り直し、俺は顔を上げる。

「思ったんだけど、<風見鶏>はそのことを知ってたのかな。だからわざわざ衣装まで用意してくれてたのかも……」

そういうふうに視点を変えてみると、なにやら感謝の気持ちが湧いてくるのが不思議だ。ちょっと考えただけでも、短時間のうちに大人三人+幼児一人用の衣装を調達するのは、楽な仕事ではなかったはずだ。

んー、と智晴は唸った。

「そうですね、あなたが危ない奴らにマークされているという情報は、多分掴んでいたと思います。それに彼ほどの<ウォッチャー>なら、あなたが持たされていたマンボウ発信機のことだって、把握していてもおかしくはない」

だけど、と元義弟は言った。

「今回、彼は楽しんでたんじゃないかな」

かなり面白がってたんじゃないかな、と智晴は溜息をつきながら呟く。なんだ、そりゃ。

どういう意味だと凄んでみると、特に隠すつもりもなかったらしく、智晴はすぐに自分なりの考えを教えてくれた。

「だって、義兄さんの衣装だけ、女ものだったんでしょう?」

「? 夏樹くんのも可愛いワンピースだったが」

どうしてこの人はこんなに無邪気かな、とか智晴は呟いたようだが、幸いというか、俺にはその言葉は聞こえてなかった。

「あのね、義兄さん。変装といっても服を変えるだけなら、何もわざわざ女の格好をする必要は無いと思わない?」

「う」

喉の奥で声が詰まってしまった。

あの時。謎の追っ手から逃れるため、変装するのが当然だと思い込んでたけど。

違ったのか、<風見鶏>? 実は変装どころか服を着替える必要さえなくて、あの赤い石のマンボウだけ部屋に置いて逃げれば、それで良かったっていうのか?

「げ」

「……何ですか、その、げ、っていうのは」

「げ、げ、げげげのげ」

そう暗く呟いて、俺はうつろに笑った。だってさ、真相を知ってしまったら、「う」とか「げ」としか言いようがないじゃないか。他に何か言葉があるか? 

四百字以内で述べよ、とか言われても無理だ。

智晴は、魂を飛ばしたようにぼんやり遠くを見つめる俺を面白そうに眺め、「ゲゲゲの鬼太郎って、またリメイクされるんでしたっけ?」などとほざいている。

「だから? それがどうした。何か関係あるか?」

俺は限りなく不機嫌だった。何がリメイクだ。けっ。ああ、鬼太郎の妖怪レーダーが欲しい。あれがあれば、<風見鶏>やら智晴やら、芙蓉みたいな変なのを避けて通ることが出来ただろうに。

それから砂かけ婆に頼んで、俺の女装姿を見た全ての人間の目に砂をかけてもらうのだ。ふ、ふふふふ。ぬりかべに塗り込めてもらうのもいいな。子泣き爺はダメだ。ヤツは一度に一人しか相手に出来ない。

「まあそう気落ちしないで」

智晴は続ける。

「女装しなくても良かったかもしれないけど、追っ手に対する目くらましという意味では、女装も無駄ではなかったと思います」

慰めてくれるのはうれしいけどな、智晴。声が笑ってるぞ。

「きっと、彼は芙蓉くんが女装のエキスパートだということを知っていたんでしょう。それでつい悪戯心を出してしまったんでしょうね」

「俺は楽しかったけどね、あなたを変身させるの」

芙蓉が加わった。

「自分で女装するのはもちろん楽しいけど、全然その気のない男性を美女に仕立てるのも楽しかったよ。思い出してもうっとりするなぁ」

つまり、相手の嫌がることをするのが好きだと。
芙蓉、お前Sの気があるな。

俺はつい芙蓉の女王様姿を想像してしまい、あまりのおぞましさに身体を震わせてしまった。似合いすぎてコワイ。ような気がする。計り知れないな、芙蓉……。

それにしても。

つるつるにされてしまった脛が切ない。スネ毛は社会の迷惑! とばかりに剃られてしまったけど、そこまでする必要はなかったのかもしれないと思うと、じんわりとした怒りがこみ上げてくる。

ムダ毛を処理してストッキングを穿くなんて! 何だかオトコとして生き恥をかかされたような気がする。

だいたい、女装さえしてなかったら、俺は足を怪我することもなかったんじゃないのか? あんなハイヒールなんか履かされてたから、攫われた(?)夏樹をとっさに追いかけるためには、靴を脱ぎ捨てるしかなかったんだ。

むむむむ。ムカつく。

ん? 夏樹。

「……俺のことはもういいよ。それより、夏樹くんをベッドに寝かせてあげてくれ。風邪を引く」

夏樹はぬいぐるみの<はんぺん>を抱えたまま、葵にもたれるようにして眠っていた。あどけない寝顔。それを見ていると、娘のののかを思い出す。眠る子供の顔は無防備で愛らしく、見ているだけで癒されると思うのは俺だけだろうか。

「疲れたんだろうな。かわいそうに……」

ふっくらとしたほっぺが、心なしか色を失っているように思える。今日は本当にいろいろあって、大人の俺でも疲労困憊している。それなのに、こんな小さな子供が疲れていないはずがない。

「そうだね。ベッドルームに寝かせてくるよ」

芙蓉は愛しげに弟の膝から息子を抱き上げると、主寝室と思しきドアの向こうに消えていった。この部屋にはベッドルームが最低二つはあるようだ。さすがスイートルームは違う、と俺は妙なところで感心してしまった。

と。

 ぐぐーっ。

いきなり俺の腹の虫がぎゅーっと鳴った。少し気の抜けたところで、身体が空腹を思い出したらしい。

智晴が肩を震わせて笑いを堪えている。俺の腹の音が聞こえたらしい。

「なあ、腹がへらないか?」

憎たらしい元義弟は無視して、俺は葵に訊ねた。午後にブルーベリーマフィンを食べたきりだ。かわいそうに、夏樹は空腹のまま眠ってしまったんじゃないかな。

「でも、部屋から出られないしね。ルームサービスも避けた方が無難だと思う」

葵は言う。それはそうかも。ドアを開けた途端、ルームサービスに化けた敵に襲われて、というのはサスペンス映画なんかでよくあるパターンだ。だいたい、俺たちはつい数時間前、タクシーに化けた怪しい奴に拉致されかけたばかりじゃないか。

あ、タクシーに化けた、って言葉のアヤだからな。人間が車に化けられるわけないだろ。まあ、かの有名な怪盗ならそれくらい朝飯前かもしれんが……。

椅子にも化けてたよな? え? あれは違う話か?

かの怪盗、好敵手の探偵の前から逃げる時には何故か気球やアドバルーンを愛用していたようだが、あれはどういう拘りだったんだろうか。せっかく変装の達人なんだから、別人に化けてそ知らぬ顔でその場から離れてしまえば良かったのに。

俺ですら、女装という変装をしたというのに、根性ナシ!
……などと、現実逃避をしてしまうのは、空腹が極まってきたからだろうか。

「用意周到な<風見鶏>のことだから、夜食くらいは用意してくれているかもしれません」

智晴は言い、ミニキッチンというかミニバーの冷蔵庫をのぞきに行った。何やら楽しげな口笛が聞こえてくる。ややあってこちらに戻ってきた智晴の手には、美味そうな料理の盛り付けられた皿が載っていた。

「さすが、と言っていいでしょうね。いつの間に用意したのやら」

冷めてもなお食欲をそそる料理が、彩りも美しく白い皿を飾っている。それを見たとたん、意思とは関係なくまた盛大に鳴く腹の虫。ちっ、智晴のやつ、また笑ってやがる。あ、葵まで。

何だよ。腹へってるの、俺だけじゃないだろ?

智晴はパンも見つけてきた。というか、分かりやすく籠に盛ってあったらしい。乾燥させないためか厚手の布が掛けてあったため、この部屋に入ってすぐ芙蓉がハーブティーを淹れてくれた時には気づかなかったようだ。

主寝室から戻ってきた芙蓉は、葵と智晴の手によってご馳走が並べられたテーブルを見て驚いていた。

「夏樹くんは?」

俺が尋ねると、ふっと優しい笑みを見せる。

「今日は汗をかいたからね。風呂に入れてやりたかったけど、もう起きてられないみたいだったから、服だけ着替えさせて寝かせてきた。ベッドサイドに子供用のパジャマまで用意してくれてあったよ……。ここまで来ると却って怖いくらいだね、<風見鶏>って人は」

「まあ、意外に気配りの人なのかもな」

俺は気の無い返事を返した。

悪意を持つやつらから助けてくれたのは有り難いよ、<風見鶏>。だけど、俺の変装用衣装(?)だけ女ものにしたり、俺の携帯の着メロを勝手に変えたりするのはやめてくれ。

『犬のおまわりさん』はまだ分からなくもないけど(いや、ホントは分かりたくないけど)、『野生のエルザ』や『ラバウル小唄』は分からん。どういうセンスだ、<風見鶏>。

って抗議しても、どうせ聞く耳持たないどころか、面白がるだけなんだろうなぁ。気配りの人というより、単なるマイペースの人だと思うぞ、あれは。

「まあ、とりあえず夜食にしましょう。今夜はこの部屋から出るなということは、裏を返せば、明日には出て良いってことなんだろうし、……多分、その時には色んなことにカタがついているんじゃないかと僕は踏んでいます」

ミニキッチンからさらに取り皿を見つけてきた智晴は、淡々と言葉を紡ぎながら俺たちの前にそれらセッティングしてくれた。

「あ、ペストリーがある。夏樹向けのもの入れてくれたんだな」
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