第74話 セレブのノブレス・オブリッジ

文字数 3,678文字


そういえば、件の会員制クラブでは、ドラッグを楽しみたい会員にはメディカル・チェックが義務付けられているっていう話だったっけ。

ある薬品に対し、体質的に合うか合わないか、また、それに対する耐性がどれくらいあるのか確認してからでないと、ドラッグカクテルバー・サービスを受けることは出来ない、とか……だから、安易、というわけではない。のかもしれない。

けど、薬物中毒で自我を破壊された男に両親を惨殺された俺からしてみれば、“日常のスパイス”にしろ“ちょっとしたお楽しみ”にしろ、ドラッグに手を出すなんて正気の沙汰とは思えない。どんなに頭が良くたって、ドラッグをやろうという時点でバカだ。どこかが狂ってると思う。

「あと、ドラッグをカクテルにする<シェイカー>の腕の確かさと、原材料の質の良さもあるだろうね。<シェイカー>は会員個人のメディカル・チェックの結果を全て頭に入れているし、シェイクする前に客のその日の体調も見る。だからよほどでないかぎり、あのクラブでドラッグ依存になるのは難しいかもね」

「そ、そうか……」

危険は事前に排除済みってことね。そういう辺り、本当の「セレブ」っぽいかな。成金だと、そうスマートにはいかなそうなイメージ。

「あんたが……ドラッグをやらないっていうなら、どうして<ヘカテ>のことを気にするんだ? 関係ないんじゃないのか?」

友人は困った顔で微笑んだ。

「うーん、それがねぇ、そうでもないんだよ」

「何でだ? あ、もしかしてあんたがヘカテ・オリジナルを持ち出したとか?」

「まさか」

呆れたように友人は言った。

「持ち出したのは会員ではなくゲストだったし、その人はとうに死んだはずだよ」

「あ、と。そういえば、芙蓉と葵もそんなこと言ってたな……」

確か、ドラッグの過剰摂取で死んだという話だった。

「僕はね、あのクラブの運営にかかわってるんだよね」

「え、オーナーなのか?」

俺は驚いた。
こ、こいつ。金持ちだとは知ってたけど、ハイパー金持ちの集うらしい超高級会員制クラブのオーナーって、どんだけミリオネアなんだよ?

「僕はオーナー、ではないよ。あそこは複数人による合議制なんだ。詳しいことは教えてあげられないけど」

「そ、そのうちのひとりってことか?」

俺の問いに友人は頷いた。

「そこで生まれたドラッグのレシピが外部に流出したことで、劣化コピーが作り出されたことも知ってるよね? 君の弟さんが追いかけてたのはそれだ」

「うん……。それは聞いた」

「そのヘカテ劣化コピーで多数の犠牲者が出てしまったことに、我々は責任を感じている。アレを利用する組織が生まれたこともね」

「なあ、その組織の目的は、結局何だったんだ?」

<ヘカテ>組織は、ただ金を儲けたかったわけではない。俺にはそんな感じがしたんだ。何だろう、もっと邪悪な目的を持って動いていたような気がする……。それが何かは分からないけど。

「それはナイショ。世の中には知らない方が幸せなこともあるって言ったでしょ?」

だから教えない。友の目がそう語っている。しばらく見詰め合った後、分かったよ、と俺はやさぐれた気分でお茶を飲んだ。にらめっこに負けた気分だ。

「我々はヘカテ劣化コピーを利用されたくなかった。君の弟さんはあのドラッグを撲滅したかった。その点で利害が一致したから、我々は弟さんに協力することにしたんだ」

「その代表があんたというわけか」

「そういうこと」

良く出来ました、とばかりに友人は慈愛に満ちた表情で頷いてみせた。

「弟のビデオレター? によると……」

束の間俺は、自動的に壊れてしまったあの不思議なPCと、そのモニターの中にいた弟の姿を思い出していた。俺にしか答えられない質問と、一卵性双生児ならではの生体遺伝子ロック。……まだほんの数時間前のことだ。

はっ! いかんいかん。俺にシリアスは似合わない。

「<ヘカテ>組織の情報を開放する時期は、協力者のあんたが見極めてくれるだろうってことだったけど、その決め手となったのは何だったんだ?」

「決め手かぁ」

友人は苦笑する。

「強いて言えば、高山の双子が君に関わって来たから、かな?」

くい、と首を傾げて俺の顔を見つめてくるけど……、かな? って聞かれたって俺に答えられるわけないだろ、おい。

「芙蓉と葵が?」

「うん」

「何で?」

友人は困った顔で笑った。

「だから言ってるでしょ? 高山の双子って」

「あ……」

俺ってば、間抜け。そういえば彼らは、ひまわり金融代表取締役の、あの高山昇の息子なのだった。そして、高山昇は裏でドラッグ<ヘカテ>の組織に深く関わっている──。

「けど、彼らはもうあの<笑い仮面>とは決別してるはず……」

俺の言葉に、友人は噴き出した。

「笑い仮面かぁ。高山昇のこと? 君らしいネーミングだね」

僕のことも、<ひまわり荘の変人>て呼んでたよね? そう言って、笑う。

「まあ、今の彼らは、ひまわり荘とひまわり金融くらいに関係がないけれど」

友人は続ける。

「現在<日向芙蓉>となってる兄の方が、高山の裏情報を握っているからね。あれは本人が思っている以上に危ない情報なんだよ。なんたって、<ヘカテ>の流通経路まで含まれてるんだから」

「えっ?」

俺は慌てた。あの<ヘカテ>の流通経路?

「そ、それ、芙蓉は知ってるのか?」

「ううん。気づいてないよ、全然」

気づかなくて幸いだったよ、と友人は軽く肩をすくめる。

「もし彼がそれに気づいていたら、彼も君と同じようにあの組織から狙われることになっただろうからね」

「え? ということは、組織はそれを知らないってこと? つまり、その、笑い、いや、高山が、追い出した自分の息子に、裏情報を盗まれたっていうことを……」

「うん。知らない。そのことについて、高山は組織にひた隠しにしてるから」

俺は唸った。頭がこんがらがってくる。

芙蓉が家を出る時、コピーして持ち出したという高山の裏情報。それは衣装倒錯癖のある息子を「欠陥品」として追い出し、あまつさえ、戸籍まで抹消するという冷酷な仕打ちをした父に対抗するための、芙蓉なりの自衛策、つまり保険だったはずだ。

戸籍上別人となり、それでもまだ生きている自分、あるいは、家に残る双子の弟、葵を害するような何かを父がしようとした時に、芙蓉が出すつもりだった、切り札。

今回は、父に捨てられた自分を助け、愛してくれた人の遺してくれた大切な店を守るために、芙蓉はそれを使おうとしたんじゃなかったっけ? そう、高山が代表取締役を務めるひまわり金融が、その店の入っているビルを違法な手段で差し押さえようとしたから……。

「何故組織にそれを隠したんだろう? ……芙蓉が組織に追われることを恐れたから?」

血も涙もなさそうな<笑い仮面>だけど、息子に対する愛情のひとかけらくらいは持っていたんだろうか。それなら、実の父に最低のやり方で捨てられ、傷ついた芙蓉の心も、少しは……。

「まさか! 君は本当にやさしい人間だね。そんなふうに考えられるなんて」

友人は苦笑する。

「どうしてひた隠しにしていたかって、もし組織にそのことを知られたら、自分が消されるからだよ。結果的に情報漏洩を許してしまったんだから」

友人の言葉に、俺は言葉を失った。
そうか、そういう理由か……。

「高山が自分の会社の裏情報を盗まれていたことに気づいたのは、ごく最近のことのようだね。きっかけは、日向芙蓉の店の入っているブルーノア・ビル債権問題かな。ひまわり金融がせこい手を使って巻き上げようとしたのが、高山の運の尽きだったというわけだ」

「そ、そんなことまで知ってるのか?」

俺はこの友人に対して改めて畏怖の念を抱いた。

芙蓉のことや、ビルのこと……。この分じゃあ、今の芙蓉の戸籍がかなりややこしくて違法な手段で取得されたことだって──。

「知らないとでも?」

穏やかに聞き返されて、俺は思わず震え上がった。
怖い。何か怖いよ、あんたが。

「い、いや、そんなことないよな。知ってて当然っていうか、全知全能の神というかビッグブラザーというか」

ああもう、自分でも何を言っているのか分からない。

「ゼウスやビッグブラザーには劣ると思うけど? 僕はあんなに好色じゃないし、ビッグブラザーのように、この世界で交わされる会話を全て盗聴したいとも思わないしね」

う、声が冷たい。たとえがお気に召さなかったようだ。
美女や少女や少年に手を出しまくりの神様と、いたるところにセンサーを張り巡らすコンピュータ。

「ご、ごめん……」

でも、ビッグブラザーにはちょっとだけ似てないか? インターネットの情報屋、<ウォッチャー>って。

マルチバックにも似てるかもしれない。こっちはマイナーだが。
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