第26話 癒し系?

文字数 4,367文字


双子の小悪魔どもめ。可愛くないったら可愛くないぞ。

心の中でぶつぶつ悪態をつきながら、俺は新しく淹れられた紅茶を啜った。芙蓉は氷のいっぱい入ったグラスでアイスティ。ストローを摘む指の先、ネイルがきれいに塗られているのをぼんやりと眺める。

「まだあるよ、マフィン。もっと食べる?」

自分用のティーカップをテーブルに置いて、葵が言う。俺は首を振った。

「もう充分だよ、ありがとう」

カップを皿に戻す。かちゃりと小さな音がした。

「今回、俺は一応、高山氏から葵くんの行方を捜してほしいと頼まれたんだが……」

ああ、溜息が出る。

「どうするべきなんだろうな。どうやら高山氏の言う『葵くんはひと月前から行方知れず』というのは嘘みたいだし」

葵は面白そうな顔をしているし、芙蓉は謎めいた微笑みを浮かべているだけだ。……どうしてやろうか、こいつらは。俺は軽く腹が立ってきた。

「葵くんは今ここにいますと高山氏に報告しても、意味がないような気がするのは俺だけじゃないと思うんだけど?」

俺は交互に二人を見やった。

「君たち兄弟と高山氏が対立しているのは分かったよ。分からないのは、君たちにしろ、高山氏にしろ、俺にどんな役割を求めているかだ──俺を駒にして、どんなゲームをやってる?」

 俺はポーンか? ルーク? ナイト? それともビショップか? 少なくともクィーンやキングではなさそうだ。

「……<歩>かな?」

しばらく考えて、葵が言う。将棋かよ。しかも一番下っ端か。

「それでもいいさ。『歩の無い将棋は負け将棋』っていうしな」

俺は嘯いてやる。

「なあ、一体俺に何をさせたいんだ? 猫に嬲られてるみたいな気がして不愉快だ。少しは事情を話してもらえないのか?」

「別に嬲ったりしてるつもりはないんだけど」
「そう、弄んだりしてるつもりはないんだけど」

ハモるように二人が言う。お前らはマナカナか。
俺は疑いの目でじっとヤツらを見つめた。

「ほんっとうに百パーセントそんなつもりはなかったって、誓えるか?」

俺の問いに、そっくりな二人は揃って微笑みだけを返した。微笑返し? キャンディーズか、お前らは。

「……三十パーセントくらいは俺のこと、嬲ったり弄んだりしたって顔してるぞ、二人とも」

俺は小悪魔兄弟を睨みつけた。にもかかわらず、葵も芙蓉も楽しそうに笑っている。忌々しい。

「そういえば、変な電話もよこさなかったか?」

「変なって……? ああ、あれか。『夏至のあの日、芙蓉を殺したのはお前か?』ってやつでしょ?」

事もなげに葵は答える。

「うん。あの電話は俺。ウケた?」

「ウケるか、アホ!」

俺はテーブルを叩いた。痛っ! 強く叩きすぎた。思わず打ちつけた手をさすりたくなったが、根性で耐える。

「だってさ、あなたちっとも思い通りに動いてくれないんだもん」

「思い通りって、どんなふうに」

痛みにうっすらと浮かんだ涙を無視して、おれは訊ねる。
うーん、と葵は唸ってみせた。芙蓉と目を見合わせる。

「もっと慌てて大騒ぎすると思ったんだよね。死体を見つけたら」
「それなのに、静かに逃げて行ったわね。あの人の兄さんとは思えなかったわ」

あの人の兄さんって……え? 俺はまじまじと芙蓉のきれいにメイクアップされた顔を見つめた。

「俺の弟を知っているのか?」

ようやく出た声は、自分でもしわがれていると思った。

──弟は、俺のことを兄さんと呼んでいた。小さな頃はお兄ちゃん、と。同じ顔なのに、同じ背丈なのに、何も変わらないのにそう呼ばれることが、俺は本当は苦手だった。

「もちろん知ってるわ。お世話になったもの」

俺の問いに、芙蓉は頷く。

「あの人、兄さんがいるって言ってたし。あなた、瓜二つみたいにそっくりよ。私たちも他人のことはいえないけれど」

あなたの顔を見た時はびっくりしたわ、と面白そうに続ける。

「夏至の前の夜、あたしは父と葵の話し合う様子を離れた場所から見ていたの。だんだん険悪になってきて、ハラハラしてたのよ。そこにあなたが現れた……」

俺を見るその目に、何かを思い出すような色が浮かぶ──。一瞬のそれは、どこか懐かしそうだった。

「あたしの居た場所からは、何を言ってるのかまでは分からなかったわ。だけど、今にも音を立てて千切れてしまいそうなくらい緊張していた二人の雰囲気が、いきなり緩んだような、解けたような感じになったのがはっきり分かったの」

「……」

微笑まれても、意味わからん。なんだ、それは。

「父も葵も、あなたを見て気が抜けたような顔をしていたわ」
「だって彼、癒し系だし」

葵はうんうん頷いている。だから、癒し系って言うなって!

癒し系っていうのはな、俺の可愛いののかみたいな子のことを言うんだ。ののかに、「パパ、大好き!」って言われたら、それだけでどんなに心が癒されるか。うう、ののか。今月は会えないんだったな。次回面会日は来月だ……。

すぐおねむになってしまったけど、夏樹くんも可愛い。癒し系だ。積み木で遊んでる姿を想像すると微笑ましい。父親と叔父がアレだが、性格は似ないでほしいな。

そんなことを考えている俺をよそに、芙蓉も同意している。

「そうねえ。父みたいに貼りついたような作り笑顔じゃなくて、本当に素直で自然な感じで笑ってたもの。あんな腹黒い笑顔を見続けた後だったから、よけいに癒されたわ」

……俺はたれぱんだか、リラックマか。こんなオジサンつかまえて、よくそんなふうに褒められるな。

不機嫌に黙り込んだ俺を見て、葵は苦笑した。

「そんなに怒らないでよ。ホント、あの時、助かったんだからさ」

「……別に、怒ってない」

っていうことにさせておいてくれよ。俺も大人気ないってわかってるんだから。

「いや、本当にさ──」

ふう、と溜息をついて葵は続けた。

「父と口論になってしまった時、もうダメだって、そんな言葉がぐるぐるしてて、俺、本当に辛かったんだ。父の、俺たちに対する気持ちを、どう考えていいのか分からなくて……」

言いながら視線を落とし、空になったカップを手の中で玩ぶ。

「ダメだ、ダメだ、俺も、芙蓉も、この人にとっては意味がないんだ、そんなふうにしか考えられなくて、気持ちがぐちゃぐちゃになってた。そこにあなたが突然現れて言ったんだよ。『どうしてケンカしてるの』って」

わ、何て捻りの無い。俺は内心自分の言動に呆れたが、表面上はなんとか耐えて言葉の先を聞いていた。

「にこにこして、でもちょっと心配そうに首傾げてさ。見たまんまのことを訊ねてきたんだ。──もういいオトナなのに、本当に子供みたいな純真さで」

俺は赤面した。子供みたいな純真さって何だよ。

……そういえば、酔っ払うと子供返りするって元同僚や智晴にも言われたことがあるような。元妻も同じことを。

思えば、大学生の頃はよくみんながタダ酒を飲ませてくれたが、そういうこと、だったんだろうか。

俺が、癒し系?

例えば、飲むとやたら怒りっぽくなる先輩のいる空手部のコンパとか。
例えば、物凄く仲悪い二人がいるけど、どちらも外せない飲み会とか。
例えば、失恋に荒れ狂う男を慰める会とか。俺は全然知らない奴だったんだが。
例えば、ぎくしゃくして雰囲気悪い学部のコンパとか。俺、全然別の学部だったんだけど。

どれもこれも、誘われたり頼まれたりして参加してた。……空手部の奴は、泣き落としで来たな。バイトが入ってたから最初は断ったんだけど、何か必死だったから。

店の予約人数でも間違えて先輩に怒られたのか~? とか思ってたんだが。……考えてみたら、予約といっても一人くらいの増減はあまり影響しないよな。大所帯な部だったし。

基本的に賑やかなのは好きだし、タダで飲み食いできて俺もありがたかったんだけど、……そういう理由だったのか?

空手部の先輩は、酒が回る頃には強面の顔の、への字の唇がゆるんでた。

仲の悪い二人と俺は、なぜか三人で部屋の隅で固まって飲んでいて、つまらないことで爆笑してた。最後は揃って笑い上戸になってたな。

失恋男を慰める会では、面識もないそいつのために『失恋レストラン』を熱唱したら、なんか泣き笑いしてたっけ。

雰囲気悪い学部コンパでは、最後はみんなで肩を組んで大学に伝わる古い逍遥歌っていうのを歌ってた。なんでみんなあんな古い歌を知ってたんだろう……。あ、そうだ。老教授が歌いだしたんだ。メロディも歌詞も簡単だったから、みんなすぐに覚えたんだった。

そういやあの時、老教授から「君はこの学部のマスコットだ!」とにこにこしながら頭を撫でられて……酔っ払ってむやみに楽しかったから、俺も老教授の頭を撫で返した、ような気がする……思い出すと、怖い。いや、だから俺は違う学部だったから、マスコットとか言われても。

俺に破格の条件で今の自宅兼事務所を貸してくれてる友人は、俺のことを<コンパの座敷童子>と呼んでいた。あちこちでしょっちゅうタダ酒飲んでたから、そのせいかと思って聞き流してたんだけど、揶揄ではなくて本気でそう思ってたのか……?

なんだよ、人を幸運のお守りみたいに。

元妻には、子供の笑顔みたい、って言われた。酔っ払った時の、俺の顔。
そう言って笑った彼女が俺にキスしてきたのが、俺たちの始まりだったっけ。終わってしまったが。

あれって実は、「このぉ、愛い奴め!」とばかりに、俺が猫の耳に息を吹きかけてくすぐったがるのを、にこにこニヤニヤしながら見てるのと、同じ感覚だったのかも……。

俺、猫? 智晴はなんだかやたらに俺に飲ませたがるし。

顔は瓜二つ、美男と美女に見える双子の兄弟が、二人して目の前でにこにこ俺を見てる。彼らにとって、俺は夏樹くんと同じレベルなのかもしれない。さっき俺、やたらうれしそうにブルーベリーのマフィンを頬張ってたし。

はあ。……あんまりうれしくない。俺自身はそういうこと考えたこともなかったし。でも、大学時代一緒に飲んでた人間は、みんな楽しかったみたいだし、こいつらも喜んでいるみたいだし。

ま、いっか。

俺の表情がゆるんだのを見てか、葵が言葉を続けた。

「あの時、あなたに『どうしてケンカしてるの』って聞かれた時、俺はなんだかふっと気持ちが軽くなったんだ。どうしてかわからないけど。あなたが、あんまり不思議そうな顔をしてたからかもしれないね」

だから、あんなつまんないことでぐるぐるしてる自分が、馬鹿らしくなったんだ。葵はそう言った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み