第135話 霜柱は、死体の上に育つ。 1
文字数 2,558文字
それが目に入った時、無意識に立ち止まってしまった。
「おぅん?」
不審げに俺を見上げるグレートデンの伝さん。ごめんごめん、車は急に止まれないけど、伝さんだって急に止まれないよな。リード、いきなり引っ張る形になっちまった。
「悪い、伝さん」
謝りながら、俺は伝さんのつやつやとした被毛に覆われた背中を撫でる。いいぜ、気にすんな、とばかり、伝さんは俺のほっぺたをぺろりと舐めてくれた。
北風過ぎ行く寒い朝、俺と伝さんの散歩コース。昨日は豆柴の福ちゃんと違う道を散歩したから、ここを通るのは三日ぶりだ。その時には、公園の奥のあの斜面はあんなんじゃなかった。
そう。
忽然と現れた霜柱。それも、畳にして一畳分くらいの広い範囲にびっしりと。俺、早朝に何度もこのコース通ってるけど、あんな風になってるの、今までに一度も見たこと無い。
伝さんと一緒に、ゆっくりとその場所に近づいた。二メートルくらい手前で止まる。ぐっと土を盛り上げ、その場に広がる霜柱は、不自然なほど背が高くて、まるで地面に張り付いた瘡蓋みたいだ。
何だか、気味が悪い。
そう思った途端、俺の背中にいきなり冷たいものが走った。
この間ネットで見つけた、あさま山山荘事件、というか、連合赤軍事件を思い出したんだ。
あの事件では、彼ら、仲間のうち半数をリンチして、殺して群馬県の山中に埋めたんだった。中には妊婦もいたらしいが……仲間を殺した彼らの言い分、その理由。いくら読んでも、俺には全く理解出来なかったけど。
当時、真冬の遺体発掘に携わった警官の談話も、また別のところで読むことが出来た。曰く、一度掘り返した地面には、必ず霜柱が立ち上がると──。
も、もしかして。俺が今見ているこの霜柱の下には、死体が埋まってるんじゃないだろうか?
そんなことを考えたら、怖くなってきた。
「で、伝さん、そろそろ戻ろうか。な?」
「おん?」
伝さんは、どうしたんだ相棒? てな感じに首を傾げてじっと俺を見上げてくる。──声、震えてるのに気づかれたかな?
「って、おい、伝さん!」
俺は慌てた。だって、伝さんがいきなりその霜柱を蹴散らして、そのぶっとい前肢で地面を掘り始めたんだ。
ふん、ふん、と鼻息も荒く掘り続ける伝さん。……ホントに何か埋まってる? や、やっぱり死体? ……俺は止めることも出来ず、ただ見守るしかなかった。
と。
いきなり霜柱混じりの土の中に鼻を突っ込んだかと思うと、伝さんは何かの入ったビニール袋のようなものを咥え上げた。
「え、何だ、それ……」
呟く俺の、無意識に出した掌の上に、伝さんがそれを乗せてくれる。土に汚れた透明な袋の中に、草を丸めたようなものが入っていた。
「よ、よもぎ?」
モスグリーンの塊の所々に、枯れたように茶色い根っ子のようなものが混じってる。よもぎだとして、何でこんなところに意味ありげに埋めてあるんだろ?
って、あ!
その時、俺の脳裡に閃いたもの。それは。
「も、もしかして、これって、乾燥大麻?」
しばらく呆然とそれを見つめていた俺だったが、伝さんの濡れた鼻に片方の手をつつかれて我に帰った。
「わぅん?」
行儀良く座って俺を見上げる伝さんは、まるで「大丈夫か、相棒?」と言っているみたいだ。
「ごめん、伝さん。大丈夫だよ」
俺はしゃがみこみ、よしよし、とその頭を撫でた。超大型犬の伝さんが気持ち良さそうに目を細める姿はいつ見ても可愛い。
が。
今はこの「乾燥大麻(?)」が気になる。もしかしなくても、伝さんの掘り返したあの霜柱の下には、同じものがもっと埋まってるんじゃないだろうか。そう考え、俺はそろそろとそこに近づいた。埋もれてるのが死体じゃないなら、怖くはない。
「……」
俺は無意識に詰めていた息を吐き出した。案の定、掘り返された土の中から、今俺が手に持っているのと同じような袋が、いくつものぞいている。
「ん?」
その中に、乾燥した葉っぱじゃなくて、膠?に似た塊が入っているのを見つけた。もしかして、これは……。
「大麻樹脂?」
気づいたら、口の中がからからに乾いていた。背中には冷や汗をかいてるような気もする。風邪引いたらどうしてくれんだよ、てのは置いといて。
「けけ、けーさつ!」
手の中の物騒なものを放り出し、震える手でウィンドブレーカーのポケットから携帯を取り出す。
俺の死んだ弟は、警察官だった。誰よりも麻薬を憎んでいた。……俺たちの両親は、薬剤過剰摂取で精神に異常を来たした男に惨殺された。ただ、そこにいたというだけで。
両親の流した生々しい血の赤さ、今も忘れない。
大麻は煙草より害が無いなんて言う奴がいるけど、俺はそうは思わない。弟も言っていた。「大麻は次の薬物への入り口になる」って。
軽い気持ちで手を出して、慣れたらもっと刺激を求めて。大麻からいきなり覚醒剤に行っちまったなんて良くある話。そうなったらもう、簡単には止められない。
あれは、最初から「手を出して」はいけないんだ。
錠剤や粉になった麻薬は、素人目にはそれが何なのか分からないけど、大麻草は違う。だから俺、大麻草の特徴なんかは調べて覚えた。たまに自分で栽培するやつがいるから、そういうのを見つけるために。芥子もそうだ。阿片の取れる芥子とそうでない芥子を、俺は見分ける自信がある。
今まで、そんなものを見つける機会は無かったけども。
とにかく、警察。警察に連絡だ。こんなもの、知らないふりなんて絶対出来ない。
俺は携帯に登録してある近所の派出所の番号を呼び出した。何故そんなもんまでマメに登録してあるかっていうと、このあたりを警邏するお巡りさんともそれなりに顔繋ぎしておかないといけないからだ。
だって、俺、小さい子の塾の送り迎えとかもやってるんだぜ。子供を連れまわす不審者とか思われたら、目も当てられない。俺は地域密着型の何でも屋だからな。そんなわけで、派出所のお巡りさんとも顔なじみだ。
番号を表示させて、受話器のマークのボタンを押す。呼び出し音。早く。早く誰か出てくれ──
その時だった。伝さんの低い唸り声が聞こえたのは。
「おぅん?」
不審げに俺を見上げるグレートデンの伝さん。ごめんごめん、車は急に止まれないけど、伝さんだって急に止まれないよな。リード、いきなり引っ張る形になっちまった。
「悪い、伝さん」
謝りながら、俺は伝さんのつやつやとした被毛に覆われた背中を撫でる。いいぜ、気にすんな、とばかり、伝さんは俺のほっぺたをぺろりと舐めてくれた。
北風過ぎ行く寒い朝、俺と伝さんの散歩コース。昨日は豆柴の福ちゃんと違う道を散歩したから、ここを通るのは三日ぶりだ。その時には、公園の奥のあの斜面はあんなんじゃなかった。
そう。
忽然と現れた霜柱。それも、畳にして一畳分くらいの広い範囲にびっしりと。俺、早朝に何度もこのコース通ってるけど、あんな風になってるの、今までに一度も見たこと無い。
伝さんと一緒に、ゆっくりとその場所に近づいた。二メートルくらい手前で止まる。ぐっと土を盛り上げ、その場に広がる霜柱は、不自然なほど背が高くて、まるで地面に張り付いた瘡蓋みたいだ。
何だか、気味が悪い。
そう思った途端、俺の背中にいきなり冷たいものが走った。
この間ネットで見つけた、あさま山山荘事件、というか、連合赤軍事件を思い出したんだ。
あの事件では、彼ら、仲間のうち半数をリンチして、殺して群馬県の山中に埋めたんだった。中には妊婦もいたらしいが……仲間を殺した彼らの言い分、その理由。いくら読んでも、俺には全く理解出来なかったけど。
当時、真冬の遺体発掘に携わった警官の談話も、また別のところで読むことが出来た。曰く、一度掘り返した地面には、必ず霜柱が立ち上がると──。
も、もしかして。俺が今見ているこの霜柱の下には、死体が埋まってるんじゃないだろうか?
そんなことを考えたら、怖くなってきた。
「で、伝さん、そろそろ戻ろうか。な?」
「おん?」
伝さんは、どうしたんだ相棒? てな感じに首を傾げてじっと俺を見上げてくる。──声、震えてるのに気づかれたかな?
「って、おい、伝さん!」
俺は慌てた。だって、伝さんがいきなりその霜柱を蹴散らして、そのぶっとい前肢で地面を掘り始めたんだ。
ふん、ふん、と鼻息も荒く掘り続ける伝さん。……ホントに何か埋まってる? や、やっぱり死体? ……俺は止めることも出来ず、ただ見守るしかなかった。
と。
いきなり霜柱混じりの土の中に鼻を突っ込んだかと思うと、伝さんは何かの入ったビニール袋のようなものを咥え上げた。
「え、何だ、それ……」
呟く俺の、無意識に出した掌の上に、伝さんがそれを乗せてくれる。土に汚れた透明な袋の中に、草を丸めたようなものが入っていた。
「よ、よもぎ?」
モスグリーンの塊の所々に、枯れたように茶色い根っ子のようなものが混じってる。よもぎだとして、何でこんなところに意味ありげに埋めてあるんだろ?
って、あ!
その時、俺の脳裡に閃いたもの。それは。
「も、もしかして、これって、乾燥大麻?」
しばらく呆然とそれを見つめていた俺だったが、伝さんの濡れた鼻に片方の手をつつかれて我に帰った。
「わぅん?」
行儀良く座って俺を見上げる伝さんは、まるで「大丈夫か、相棒?」と言っているみたいだ。
「ごめん、伝さん。大丈夫だよ」
俺はしゃがみこみ、よしよし、とその頭を撫でた。超大型犬の伝さんが気持ち良さそうに目を細める姿はいつ見ても可愛い。
が。
今はこの「乾燥大麻(?)」が気になる。もしかしなくても、伝さんの掘り返したあの霜柱の下には、同じものがもっと埋まってるんじゃないだろうか。そう考え、俺はそろそろとそこに近づいた。埋もれてるのが死体じゃないなら、怖くはない。
「……」
俺は無意識に詰めていた息を吐き出した。案の定、掘り返された土の中から、今俺が手に持っているのと同じような袋が、いくつものぞいている。
「ん?」
その中に、乾燥した葉っぱじゃなくて、膠?に似た塊が入っているのを見つけた。もしかして、これは……。
「大麻樹脂?」
気づいたら、口の中がからからに乾いていた。背中には冷や汗をかいてるような気もする。風邪引いたらどうしてくれんだよ、てのは置いといて。
「けけ、けーさつ!」
手の中の物騒なものを放り出し、震える手でウィンドブレーカーのポケットから携帯を取り出す。
俺の死んだ弟は、警察官だった。誰よりも麻薬を憎んでいた。……俺たちの両親は、薬剤過剰摂取で精神に異常を来たした男に惨殺された。ただ、そこにいたというだけで。
両親の流した生々しい血の赤さ、今も忘れない。
大麻は煙草より害が無いなんて言う奴がいるけど、俺はそうは思わない。弟も言っていた。「大麻は次の薬物への入り口になる」って。
軽い気持ちで手を出して、慣れたらもっと刺激を求めて。大麻からいきなり覚醒剤に行っちまったなんて良くある話。そうなったらもう、簡単には止められない。
あれは、最初から「手を出して」はいけないんだ。
錠剤や粉になった麻薬は、素人目にはそれが何なのか分からないけど、大麻草は違う。だから俺、大麻草の特徴なんかは調べて覚えた。たまに自分で栽培するやつがいるから、そういうのを見つけるために。芥子もそうだ。阿片の取れる芥子とそうでない芥子を、俺は見分ける自信がある。
今まで、そんなものを見つける機会は無かったけども。
とにかく、警察。警察に連絡だ。こんなもの、知らないふりなんて絶対出来ない。
俺は携帯に登録してある近所の派出所の番号を呼び出した。何故そんなもんまでマメに登録してあるかっていうと、このあたりを警邏するお巡りさんともそれなりに顔繋ぎしておかないといけないからだ。
だって、俺、小さい子の塾の送り迎えとかもやってるんだぜ。子供を連れまわす不審者とか思われたら、目も当てられない。俺は地域密着型の何でも屋だからな。そんなわけで、派出所のお巡りさんとも顔なじみだ。
番号を表示させて、受話器のマークのボタンを押す。呼び出し音。早く。早く誰か出てくれ──
その時だった。伝さんの低い唸り声が聞こえたのは。