第166話 への6番

文字数 1,011文字

三月十八日

轢き逃げを目撃してしまった。

ぽーん、と宙に飛んだ郵便の赤いバイク。配達員さんは無事だった。田中さんちの郵便受けの前で、今まさに配達しようとしていたハガキを握ったまま固まってる。

ぶつかった音だけは、すごく派手だった。

なんか映画みたいだな~とか思いつつ、ショックを受けてる配達員さんを田中さんに任せてすぐに警察に通報。轢き逃げ車の車種とナンバーを告げる。

よくとっさに覚えられたな、って?

だって、「への6番」だったんだよ……。





三月二十日

一昨日の「への6番」は、その日のうちに発見された。轢き逃げ犯も無事逮捕。

……みんな、やっぱり一度見たら忘れられなかったみたいだよ、「への6番」。ご近所(犯人のな)でもほとんどの人が覚えてたみたいだし。バイク引っ掛けた時、バンパーもかなりへっこんたから、それも決め手になったようだ。

警察に轢き逃げを通報してナンバーまで告げた俺は、スピード逮捕の功労者として一応表彰の対象になるらしいけど、丁重に辞退した。ちょっと前の大麻のこともあるし、良いことをしたとはいえ、あんまり警察づくのもな。

派出所はともかく、市の警察署に出向いて、そこで死んだ弟と面識のあった警察関係者と出くわしたりしたら……。

ダメだ。また逮捕術の模範演技をするよう頼まれてしまう。あの時の俺は俺じゃなかったんだっていうのに。




四月二十六日

グレートデンの伝さんの夕方の散歩に付き合っていたら、警邏中だったらしい警官に声を掛けられた。

言っておくが、不審者扱いの職務質問ではない。

「警察の道場に来てくださいよ」

そう誘われた。

「あの時の華麗な逮捕術、是非、模範演技してください」

いやいやいや。無理だから。あの時の俺は、俺であって俺ではなかったんだから。……死んだ弟が乗り移ってたんだって言っても、信じてもらえないだろうけどさ。

弟が俺の身体でその“華麗な逮捕術”というのをやらかしてくれた後、俺はしばらく酷い筋肉痛に苛まれた。だって、普段使わないような筋肉を勝手に使われたんだから。

伝さんの散歩を理由に警官を振り切って帰ってきたが(俺が困っているのが分かったのか、伝さんが軽く唸ってくれたら、彼は速やかに俺を解放してくれた。そして、そそくさと去って行った)、顔を見るたび誘われそうで、ちょっと憂鬱だ。

俺たち、全く同じ顔だもんな……。
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