第162話 マレーネな夜 15

文字数 2,070文字







俺はとぼとぼ朝の街を歩いていた。風が冷たい。

疲れた。すんごく疲れた。宿酔いでもないのに頭が重い。胸が重いのもやっぱり宿酔いのせいじゃなくて、自己嫌悪。

ずーん。

あれから、葵の言ってたとおりのドレスを着せられ、汚れ避けに絹のようなガウンを羽織って化粧直し。衣装の色に合わせてベースの色を修正し、目元や、口紅も全て塗り替えられた。ズラも変えてた。俺はもう鏡を見る気もしなかった。

今の俺はやっぱり美女なんだろうなー、と遠いところで思ってただけ。

ドレスに合わせた靴は、黒地に粉のような銀のキラキラが付いた、やっぱり十センチのハイヒール。胸元には銀色の透かし彫りみたいな首飾り。そこにグレーフォックスのショールをふわりと巻きつけて……。

芙蓉はもう、すっかりご機嫌だった。

こっちもシャツやタイ、ポケットチーフなんかを替えて、さっきとは雰囲気が違う。今度は自分でエスコートするためだろう、俺の着てるドレスを引き立てるかのように、全体的に控えめな印象になっていた。

そんな芙蓉に手を取られ、小舞台の袖から俺が現れると、また。


 キャーッ!


迫力のある悲鳴。BGMはやっぱり「リリー・マルレーン」。さすがにこの歌でパフォーマンス? はボロが出るので、芙蓉に動かされながらちょっとだけポーズを取ったりして、設えられていた雛壇みたいなテーブルに、レディのように椅子を引かれて座る。そのまま斜め後ろに芙蓉が控えるのが分かった。

酒(オリーブを浮かせたジンジャーエールだ)と煙草の載った銀のトレイを持って近づいてきた葵が、洗練された動きでそれらを俺の前に置き、やっぱり俺の後ろに控える。双子の美男と男装の麗人を侍らかせるマダムの図。

 
 ほうっ……


客席から溜息が洩れる。芙蓉からの指示通り、煙草の脇にある短めの煙草ホルダーを取ると、すっと跪いた葵がそこに煙草をセットしてポケットから取り出したライターで火を点けた。うわー、煙草の味ってしつこく残るんだよな、と思いつつ、何気ない表情を保ちながら燻らせてみせる。

ちなみに、爪には長すぎない自然な感じのネイルが施してある。色は口紅と同じ赤。

意味ありげに唇の端を上げ、煙草ホルダーを片手に持ったまま足を組み、くっ、と顎を上げる。手の動きは全て内側から外側に回すみたいに、という指示だ。ゆっくりと、優雅に。──この頃になると、おれはもう着ぐるみパフォーマンスの気分だった。

鬘に分厚いメイク、足を組んでも内側の見えない、直線的だけど裾のたっぷり取られたドレス。商店街のイベントで着た柏餅の妖精さんや雑貨マン、お花の妖精さんの着ぐるみと何も変わらない。それに合った動きをするだけ。

客席が落ち着くと、あらかじめ抽選で選ばれて別席に控えていた客が、一人ずつスタッフにエスコートされてくる。雛壇の前、客席から最も目立つ場所に立たされて、緊張する彼女(・・)たちに──。


「そのキャミソールとスカート、とっても似合ってるわ。色もいいわね。でも、髪はそうね、ストレートよりもう少し巻いてる感じがいいかも。あと、もう少し顔を上げて。大丈夫、あなたは可愛いわ」

「あなたには、フリルよりも大人っぽいラインのほうが似合うと思うの。背の高さを武器にしてもいいのよ? ファッション・モデルを思い出して。彼女たちも背が高いわ。ほら、背筋を伸ばして。ランウェイを歩くつもりで。そう。素敵よ」

「清楚でふんわりしたイメージが合ってるわ。あなたには言うことは無いわね。ただ、身体の動きには注意して。肩で歩いちゃダメ。腰で歩くのよ」

「初めてだと聞いてるわ。とても頑張ったわね。そのセンス、嫌いじゃないわ。方向性は合ってると思うの。メイクに慣れてきたら、もっと垢抜けるわよ。ウィッグは、もう少し馴染ませるといいわね」


女装アドバイス。

もちろん、その鋭い審美眼で実際にアドバイスしてるのは芙蓉。俺の役目はただ黙って対象者をじっと見つめ、背後に控える芙蓉に向かって何事か囁いてみせるだけ。俺の言葉を芙蓉が代わりに告げるという形を取ってるんだ。

客たちももちろんそれは分かっているんだろう。今夜のこの趣向を、ただ楽しんでいるのが分かる。俺から見たら、殆どが女装の男にしか見えないんだけど、芙蓉のちょっとしたアドバイスで格段に良くなるのは分かった。

この店は、女装初心者にもやさしいんだそうだ。他人の装いを貶すのはご法度で、目に余る場合は出入禁止になるらしい。だからあまり自信のない人でも入りやすいという。どこにも行き場の無い衣装倒錯者の、ひとときの避難場所──それが夏子さんの考えだったらしい。だから女装の男たちに混じって、たまに男装の女もいるんだよな。

お互いを思いやって、和やかに、まったりと。ここはそういう店なんだそうだ。いい店だと思うよ、うん。たまに視覚の暴力を感じたりもするけど、本人だって頑張ってるんだし。そう思うことにした。──俺、染まってないよな?
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