第98話 桃の節句 智晴くんの誕生日

文字数 3,313文字

今日の一番仕事は、迷いペットの捕獲。

迷いインコのモモちゃんは、寒の戻りで弱っていた。
お陰ですぐに捕まえられたんだが、大丈夫かな。飼い主の梅田さんが大切に懐に入れていたから、すぐにまた元気になるかも。いや、なってくれ。

俺はデコに出来たタンコブを押さえた。

モモちゃんめ、保護しようと近づいた瞬間、止まっていた木から飛び立とうとするから慌てたじゃないか。咄嗟にジャンプして彼女を捕まえたはいいものの、張り出した木の枝で思いっきり額を打った。痛みに呻きつつ、でも掌に包んだモモちゃんの小さなからだは離さなかったぜ。

ふっ、どうだ、この何でも屋根性!
もう逃げるなよモモちゃん。箱入り手乗りインコの身には、世間の風は冷たすぎて生きていけないぜ。

てなことをつらつら考えながら、自宅兼事務所へのコンクリート階段を登っていたら、誰かがそのドアを叩いている音が聞こえてきた。

 コココココッ コココココッ

……こんなキツツキみたいな叩き方するの、あいつしかいない。
俺の元義弟、智晴。

「なんだよ、智晴。何か用か?」

背後から聞こえた俺の声に驚くそぶりも見せず、背の高い男前の元義弟はゆっくり挨拶を返した。

「こんにちは、義兄さん。仕事に出てたんですか?」

「ああ。手乗りインコのモモちゃん捜索。無事に見つけて捕まえた──」

けど、枝にぶつけてタンコブが出来てさあ、てなことを言うと智晴にバカにされそうでやめておいた。代わりにドアの鍵を開け、突然訪ねてきた元義弟を中に招き入れる。

「今日はどうしたんだ? 行き違いにならなくてよかったけど、どっか行った帰りか?」

智晴は力なく首を振った。

「そうじゃないです」

「んじゃ、何だよ? 株で失敗でもしたのか?」

景気づけにからかってみただけなのに、デイトレードとかいう個人投資をやってる智晴は物凄く嫌そうな顔をした。

「それ、今シャレになりませんから。ニューヨーク株式市場のダウ工業株のこと知らないんですか? ま、しばらくは静観ですよ。持ち株を売らなきゃ損にはならないし、塩漬けにしなきゃならないような株は元から買ってません」

「そ、そうなのか?」

智晴の不機嫌オーラに負けて、俺はこそこそと部屋の隅の小さな台所に立ち、薬缶に湯を沸かしてコーヒーを淹れる用意をした。俺、株のことなんか分からないし。ってゆーか、主の俺がなんでこんなに小さくならないといけないんだよ。

それにしても、機嫌悪いな、智晴。いつもはどっちかっていうと穏やかに微笑んでる(胡散臭い笑顔だが)印象なので、こんなふうに感情を露わにされるとちょっとびびってしまう。

「ほ、ほら。以前お前のくれたコーヒー。ちゃんとブリタの水を沸かしたから、そう不味くないと思うぞ?」

俺はキャラクター入りマグカップを智晴の前に置いた。俺も自分のカップを持ってその向かいの椅子に座る。スプリングがイカれてるから、ここ座るの嫌なんだけどな。

「すいません、義兄さん……」

智晴は深く息をつき、マグカップを手に取った。何があったか知らないが、キティちゃんとにらめっこするのはよせよ、おい。

「今日、何の日だか知ってますか?」

黙りこくっていた智晴から、いきなりの質問。

へ? 三月入って三日目だが、何か?
何だ? これが元妻のセリフなら分かるんだが。女は記念日にこだわるからなぁ。結婚記念日じゃないよな。まさか、離婚記念日か? でも離婚したのは、三月じゃないぞ。えーと……。

「全然分かってない顔ですね。今日は桃の節句。お雛様でしょう」

「あ!」

俺は娘のののかの顔を思い出した。今月の面会日はまだ先だから、女の子の節句のことなんか忘れてた。

「ののか、何か言ってたか?」

恐る恐る訊ねる俺に、智晴は首を振った。

「いーえ。何にも。今頃は姉さんと一緒に実家の父母と楽しくひな祭りしてるはずですよ。何段飾りかな、あれ……」

「じゃ、叔父さんのお前も混ざってればいいじゃないか。家族水入らず」

家族、という言葉にチクリと胸の痛みを感じながら、それでも発した俺の純粋な問いかけに、智晴はギロリとこちらを見た。……コワイ。

「姉さんにいじめられるから、イヤです」

元妻が智晴をいじめる? 俺が首を傾げていると、智晴は大きな溜息をついてみせた。

「僕の誕生日、今日なんですよ。毎年、子供の頃からどれだけ姉さんにいじめられたか。男のくせにひな祭りが誕生日だなんてっ、て。……ふーん、義兄さんあなた、僕の誕生日なんかちっとも覚えてくれてなかったんですね」

「い、いや、そんなことないぞ!」

俺は慌てて否定した。確かに覚えてなかったけど、ここは否定するところだろ。単なるイヤミか八つ当たりだろうけど。

「いいんですよ、別に。誕生日がうれしい年でもないし、だいたいいつも姉のひな祭りのついでに僕のお誕生会でしたから。ケーキなんて、毎年桃色のひし形ひな祭りケーキでした。飲み物はもちろん甘酒」

智晴はやけに爺くさく背中を丸めてコーヒーを啜った。

「そ、そうなのか……」

俺は、なんてことのない夏の日が誕生日なので、特に何も感じたことはないが、十二月二十四日や二十五日が誕生日だっていうやつは、毎年クリスマスと一緒にされるから嫌だって嘆いてたっけ。

そういえば、一度でいい、クリスマスケーキじゃない自分だけのバースディケーキが食べたいって、酔って涙ながらに訴えてたむさい男の後輩がいたな……自分で買えばいいじゃないかと言うと、誰かに祝ってもらってこその誕生日なんです! とよけいに泣かれたので、俺がバースディケーキ買ってやるから、と宥めたんだっけ。

それにしても、このカンペキな義弟にそんな悩みがあったなんて。いつもは憎たらしいけど、ちょっと可愛いかもしれない。ショボイけど、コンビニでケーキでも買ってやるか。

「じゃ、じゃあ俺がお前の誕生日を祝ってやるよ」

「別にいいです。お気持ちだけもらっておきますよ。実をいうと、実家に行かなくったって、姉さんからお祝いなんだかイヤミなんだか分からない電話がかかってくるんです。だからここに逃げてきたんですよ。もう、家電解約しようかな……」

まったく年甲斐もなく、と智晴はコーヒーを啜りながらブツブツ言っている。なんてどんよりしてるんだ、智晴。姉はそんなにいじわるだったのか? ……まあ、それも姉弟の一種のコミュニケーションなんだろうと思うが。

ま、そのうち立ち直るだろう。
俺は放っておくことにした。さあ、確定申告のための領収書整理でもするか。

と。玄関の鉄の扉の叩かれる音が。「宅急便で~す!」やたらに元気のいい兄ちゃんの声が聞こえる。へーいへい。俺はちょうど手元にあった判子を持って受け取りに出た。だけど、何だろう? 宅急便の来る様な心当たりはないけど。

「クール便?」

受け取った箱に貼られているシールに、俺は首をひねった。宅急便屋の兄ちゃんに労いの言葉を掛けて部屋の中に戻ると、智晴が難しい顔をしていた。

「クール便て、義兄さん。それ、差出人は?」

「ん? ののか?」

ののかからクール便? 五歳の女児がなんで?

「それ、きっと姉さんですよ。行き先を読まれてたか……」

智晴はなにやら悔しげに唇を噛んでいる。

テーブルに置いた箱を開けた俺は、智晴のそんな様子に深く納得した。

大きなピンクのひし形ケーキの上に、お内裏様とお雛様。白いチョコレートのプレートには、ピンクの文字で『ともはるくん おたんじょうび おめでとう』。

ついていたカードには、元妻の文字で『私の代わりに、可愛い弟の誕生日を祝ってあげてね』。……ハートマークはよせよ、ハートマークは……。

俺は元妻のセンスに複雑な気持ちになったが、つい。

「智晴、ハッピーバースディ! お雛様ののってる方がいい? それともお内裏様がいい? プレートつけてやるから!」

姉にいぢめられて悔しそうにしている元義弟を、い()めてしまった。
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