第55話 俺と<風見鶏>の出会いは、ブラウザクラッシャー

文字数 4,628文字


「それはないと思いますよ」

ゆっくりと智晴は言った。

「なぜなら、彼は<ウォッチャー>だから」

「それって、どういうこと?」

芙蓉が不審そうに訊ねる。その問いに、俺も無言で頷き同意した。ぶんぶんぶんと首を振る、気分は張子の虎だ。一体何を知ってる、智晴?

「<ウォッチャー>というのは……そうですね、基本的に『見てるだけ』なんです。各地から情報という水が流れ込んでくる、湖みたいな存在。いや、その管理者かな」

湖の管理者? 奇妙な喩えに、俺は首を傾げた。
芙蓉はといえば、何か考えるような表情で智晴の言葉を聞いている。

「つまり、流れ込んでくる情報をプールして、それをどこへ流すかは<ウォッチャー>の気分次第ってヤツ?」

話が早い、とばかりに智晴はにっこり頷いてみせた。

「そう。<ウォッチャー>は情報の中継者です。どれだけ有用な情報を集められるかは、個々のウォッチャーの力量次第。それで言えば、義兄さんと僕の知ってる<風見鶏>という<ウォッチャー>は、かなりレベルが高い」

レベルって言われてもな……。俺は何だか半信半疑だった。
迷い猫の柄や犬の種類、ご近所の九官鳥の名前を知ったところで、それがどんな役に立つのだろう。

俺の困惑に気づくこともなく、智晴は話を続けていた。

「そして、<ウォッチャー>という存在は、情報を得るためには動いても、それ以外のことでは指一本動かさないものなんです。ある物事について、訊ねれば教えてくれるかもしれない。でも、自分自身は動いたりしないものなんです。ただ情報を回してくれるだけ」

「だけど……」

芙蓉は反駁した。

「今回、俺たちごと助けてくれたのはどうして?」

智晴はかすかに笑った。

「緊急事態だったからじゃないですか? 僕にはよく分からないけど、義兄さんは彼にとってはとても役に立つ情報提供者らしいから」

「あー、そういえば」

俺は<風見鶏>とのチャット内容を思い出していた。

「今回、俺本当に初めて<風見鶏>にお願いしたんだよ。そしたら、俺の質問には答えてくれるって言ってた。俺の知りたいことだけ、教えてくれるって」

君らの行方を訊ねたんだよ、と俺は芙蓉と葵をじろりと睨んだ。
俺の言葉に、芙蓉と葵は互いに目を見合わせる。

「そんなこと言われても……元々、俺たちはすぐにあなたと連絡を取ろうと思っていたんだし……」

もう少し待っていてくれれば良かったのに。少々後ろめたそうに芙蓉は言った。

俺はちょっとムッとする。

「俺にそんなこと分かるわけないだろ? あの時の俺には、そうするのが最善の策だったんだよ」

ったく、人の気も知らないで。俺は一応、お前たち双子のことを心配してたんだっちゅーの。

と、何やら考えていた智晴が訊ねてきた。

「彼はあなたに、君の知りたいことだけを教えてくれる、と言ったんですか?」

「そうだよ。つまりはそれ以外のことは教えないってことだ。それくらい、俺だって分かるさ」

ふん。俺は鼻を鳴らした。

「<風見鶏>はもっといろんなことを知ってるんだと思うよ。だけど、どういう質問をすれば彼の持つ情報を有効利用できるのか、俺にはからきし分からない。──つまり逆説的に考えれば、そんな俺だからこそ<風見鶏>は協力してくれる気になったんだと思う」

「まあ、そういうことでしょうね」

智晴は納得したように頷いている。……失礼な奴だ。

「何にせよ、義兄さんが事前に彼に相談していたからこそ、今日の誘拐を未然に防ぐことが出来たんです。君たちは義兄さんに感謝した方がいいですよ。義兄さんがいなかったら、君たちは今頃どうなっていたことか」

彼にとって、君たちは義兄さんほど利用価値はなさそうだから、綺麗にスルーされていたかもね。

しらっとした顔で智晴はそう言った。

その瞬間、芙蓉のこめかみに青筋が浮かんだような気がしたが、──いや、気のせいだろう、多分。一瞬にして能面のようになったこいつのキレイな顔が、なんというか……。

「そうだよねぇ。あなたにもお礼を言わなきゃねぇ、智晴さん。彼に使い走りさせられて、大変だったでしょ?」

うっわー、芙蓉ねーさまったら怖いわ。
って、何でオカマ口調だよ俺。だいたい芙蓉は今女装してないし。

今度は智晴の眉がぴくっと上がった。こっちはこっちで、目に見えるくらい機嫌が急降下。何だかバ○ル二世とヨ○の戦いみたいじゃないか。オーラだかなんだか分からないけど、赤と青の光がバシバシぶつかり合ってるみたいな。

俺は、なんだか三つのしもべに助けを求めたくなった。けど、こいつらどっちがバビ○二世でどっちが○ミなんだろう?

「あなたの言うことも分かるけど、結局この人はその<ウォッチャー>に特別扱いされてるわけでしょ? それは異例なことなんだよね?」

智晴はしぶしぶ頷いた。

「まあ、そうでしょうね。君たちが拉致される寸前の、間一髪のタイミングで僕を助けによこしたわけだから」
 
「じゃあ、やっぱり彼──<風見鶏>がこの人の弟さんの知られざるパートナーだって考えられない? でなけりゃ、どうして彼はこの人だけをそんなに大切にするの? 考えてみてよ」

芙蓉は俺にも問いかけるような眼差しを向けてくる。

そんなん、しがない何でも屋の俺に分かるかよ。俺は芙蓉の真剣な目が怖くて、つい目を逸らせてしまった。

「義兄さん?」

どういうことですか? 智晴の目がそう言っている。非難するような色が見え隠れするように思えて、俺は落ち着かなくなる。

一体、何なんだ。

「俺に聞くなよ。分かるわけないだろ、あの<風見鶏>がどうのこうのって。狙われてるだの、護られてるだの、聞いたのだって今日が始めてなんだから」

そうだよ。<風見鶏>が何者かなんて、俺が知らなくたって当然じゃないか。何しろ、相手は<ウォッチャー>だ。しがない何でも屋風情(ふぜい)に、その正体どころか尻尾ですら摑ませるもんか。

「俺が<風見鶏>と知り合ったのだってさ、そんなに前じゃないぜ。せいぜい一年ってとこだ」

「その知り合ったきっかけは?」

鋭く智晴が訊ねる。俺は一瞬沈黙した。
うーん、それにはちょっと答えたくない……。

「あー、えー、いいじゃないか別に、そんなこと」

俺は智晴から視線を逸らせた。

<風見鶏>と知り合ったきっかけなんて、話したくない。俺があんなサイトを見に行ったなんて、誰にも知られたくない。

言っておくけど、好きでそこを開いたんじゃないからな。知ってたら見になんて行かなかったよ、あんな特殊な性癖のサイト……。

あの時は、迷い犬や迷い猫の捕獲対策資料を求めてネットサーフィンしてたんだ。探す時、その特徴とか性質、生態とか知っておいたら役に立つだろ? キーワードは主に「犬 猫」だ。そしたら、「犬」で変なサイトに迷い込んでしまったんだよ……。

そりゃ俺だって男だから、ちょっとくらいエロいサイトだって見るさ! でもごくフツーのやつな。○○が×××だとか、△△△で※※※な****が#####とか。・・・☆☆☆で♪♪♪なんかもまあギリギリでいいとしよう。あんまり過激なのは好みじゃないんだ。

だけど、そのサイトは過激を超えていた、俺にとっては。「なんだこの小さい画像は?」とうっかりクリックしたことを後悔したよ。いや、それ以前にまず脳がその情報を処理するのを拒否したね。

いや、詳しくは語りたくない。とにかく俺はパソコンの前で固まった。
これ、ジョーダンだよな? 本当じゃないよな? 誰か嘘だと言ってくれ! 頭の中で、俺は必死に叫んでいた。

その画像の下には、感想なり評価なりを書き込むBBSがあったんだ。
『これ、嘘だよね?』
気がついたら、俺はそう書き込んでいた。 

すると即座に
『本物だよ、当然じゃないか』
と誰かが書き込んだ。俺は、え? と思った。BBSだと思ってたけど、これチャット形式?

俺は相当慌てていたらしい。無意識に指に力が入って、うっかりマウスをクリックしてしまてっていた。その時、カーソルがどこにあったかは覚えていない。

すると、いきなり窓がバババババッといっぱい開いた。俺にとってはグロだとしか思えない画像が一気に増殖して、頭が真っ白になった。

窓が増殖する現象は、俺には未知の体験だった。怖かった……。

完全に硬直したまま、俺は画面を凝視していた。傍から見たら、夢中でその画像を堪能しているように見えたかもしれない。が、実際は「どうしよう、どうしよう、どうしよう」が頭の中をぐるぐるループしているだけだった。

こんな時はどうすればいいんだ? 皆目分からない。パソコンを使ってはいるが、俺は中身のことは全然分からないんだ。設定? をやってもらった智晴に助けを求めるべきだろうか?

いや、いやいやいや。
元義弟に、こんなマニアックなサイトを好んで見ていたなんて思われたくない!

その時の俺は、「息子や娘に黙ってこっそりアダルトサイトを閲覧していたら、パソコンがそこで固まったしまったどうしよう!」なパソコンオンチな世のオヤジどもと全く同じ悲哀を背負っていた。独り暮らしだけど。

だ~れ~か~、助けて~!

ひとり静かに(?)パニックしていると、さっきのBBSだかチャットだか分からない書き込み画面がふと目に入った。こんな窓だらけの状態で使えるんだろうか? だが、おれにはそれを試してみるしか方法がなかった。

分からないことは、誰かに聞くしかない。

窓のひとつ、細い文字入力画面。文字が打ち込めるか?

『誰か助けてください。どこをクリックしてしまったのか分かりませんが、画面が窓だらけになってしまいました。どうすればいいですか? どなたか教えてください』

何とか打ち込めたようだ。が、答えてくれる人がいるのか? じりじりとした不安に耐えて数秒。書き込み画面が自動更新された。

『再起動しなさい。次の三つのキーを同時に押すこと。Ctrl+Alt+Delete』

俺はびくびくしながらそのアドバイスに従った。
三つのキーを押したらパソコンの指示が出て、メニューの中の「再起動する」を選ぶと、パソコンは勝手に再起動を始め、元のWindowsの画面に戻った。

俺はホッとした。手にはじっとりと汗をかいている。はー、怖かった。

その時、俺はもうパソコンを終了しようと思ったが、習慣でメーラーを立ち上げていた。しょうがない。終了は新着メールを確認してからにしよう。俺宛てのメールは滅多にないが、迷惑メールが多いので、それを削除しておこうと思ったのだ。

と、迷惑メールの中にあって、ひときわ強く俺の目を惹く件名を発見した。

『再起動はうまくいきましたか?』

さっき助けてくれた人だ、と瞬間的に悟る。

なんで俺のメールアドレスが分かったんだ、と一瞬焦ったが、どうも以前智晴から注意されていたクッキーとかいうもののせいで、俺のアドレスがさっきの怪しいサイトのBBS/チャットに残っていたらしい。

げげっ! クッキーはモンスターだけでいいってば。

その時俺を助けて、さらにアフターケアのメールをくれたのが、彼、<風見鶏>だったのだ……。
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