第64話 俺の大家は<ひまわり荘の変人>

文字数 3,356文字


『ひまわり荘の変人』

弟は言った。どこか悪戯っぽい瞳で。

「え……?」

俺は声を失った。え? あいつ? 弟と面識あったっけ? 

って、弟は俺と同じ顔をしてるから、あいつの方は弟の顔を知ってるか。俺に双子の弟がいること、あいつに話したことあるし。いやいや、だからさ、えっと、弟の方はあいつに会ったことあったっけ?

『兄さん、話してくれたことがあったろう? 大学で知り合った変り種。英国の有名大学を卒業した後、何故か国内の三流大学に入り直したっていう。しかも、家が資産家で、本人もかなりの個人資産を持っているにもかかわらず、大学の四年間を安アパートで過ごした、あの彼だよ』

弟はくすくす笑う。

『兄さん、よく言ってたじゃないか。金も力も何でもある色男のくせに、あんな六畳一間のボロアパートで好き好んで隠居生活みたいなことしてる、オペラ座の怪人ならぬ、ひまわり荘の変人だって』

言った。確かに。
だって、他に表現のしようがなかったし。

ひまわり荘の変人。大学時代、一番親しくしていた友人のひとりだ。

留学を終えて国内の大学に入り直すにしろ、あいつなら最高レベルを目指せたはず。それなのに、何を思って俺の通っていたような三流どころを選んだのか、まずその辺りが理解出来ないし、金持ちのくせに、西日のよく当たるあんなボロアパートに四年間ずっと住み続けていたのも謎だ。

ちなみに入居時、敷金・礼金・四年分の家賃を一度にまとめて振り込んだものだから、大家にはたいそう喜ばれたということだ。

そんなかつてのひまわり荘の変人は、今では俺の家主だ。俺の借りてるあの事務所ビル、あれは彼の持ち物なんだから。

大学生の頃は、ビールと柿の種を土産に、よくあいつの部屋に遊びに行ったものだ。柿の種をポリポリ齧りながらあいつとビールをちびちびやる、あのまったりとした雰囲気が好きだった。

たまにチーズ鱈やチーかまを奮発すると、あんまり表情を変えないあいつがうれしそうにするのがなんだか楽しくて、バイト代が入った時は必ずそれを買っていったものだ。ジャンクなつまみが珍しかったのかもしれない。そういえば、あいつはよくキュウリとニンジンとセロリの野菜スティックを作ってくれたっけ。

俺はよくあちこちの飲み会やコンパに誘われて、それはそれで楽しかったんだけど、あいつの部屋で何を話すでもなくぼんやり過ごす時間が、好きだった。

あの頃は、まさか住むところを世話してもらうようになるなんて、考えたことも無かったなぁ……。

『彼とは、俺が<ヘカテ>の捜査をしている時に偶然知り合ったんだ』

つい昔を思い出して感傷的になってしまったが、弟の言葉で現実に戻った。

『ほら、俺たち顔はそっくりだろう? 俺からすれば見覚えのない人間だし、彼に声を掛けられた時、初めは兄さんと間違えたのかと思ったんだ。けど、そうじゃなかった。いきなり「君は弟さんだろう?」って言われた時はびっくりしたよ』

うーん。別々に見て俺と弟の見分けがつくとは。さすがは<ひまわり荘の変人>。

俺は妙なところで感心していた。

ん? もしかして、弟の方が賢そうに見えたとか?
……そうかも。

『兄さん、俺が警察官だってこと、彼に話してあったんだね』

ああ。話した。俺の双子の弟は、俺とは違ってデキがいいんだと自慢した。
だけど、相手がただの記録映像に過ぎないにしろ、面と向かって本人にそれを白状するのは恥ずかしい。

俺、兄バカ全開。

『俺が何について捜査しているのかをすぐに見抜いて、協力を申し出てくれたよ。兄さんが言ってた通り、彼はとても頭の回転の早い人だ』

そう、あいつは頭の回転が早い。常に人の十歩先を読んでいる。
それなのに、何で人より十歩遅れてるような俺みたいなのに囲碁の相手をさせるんだろう。変な奴。実力は大人と子供の腕相撲みたいなもので、俺の方が絶対的に弱い。てか、勝負にならない。

それなのに、あいつはすぐに勝たず、わざと勝負を長引かせる。別に俺をバカにしてるわけではないらしい。本人に言わせると、俺の石の進めかたが人より変わってて、面白いんだそうだ。まあいいけど。対局(というのもおこがましいが)が終わった後は碁盤オセロで遊んでくれるから……オセロでも負けるけどさ。

『最初の出会い以来、俺たちは何度も会って<ヘカテ>について話し合ったよ。誰にも知られるわけには行かないから、毎回接触には苦労した。』

「俺だけ仲間ハズレかよ……」

俺はいじけて、つい恨み言を呟いてしまった。うわ、我ながら大人気ない。

『兄さんに彼との関係を話さなかったのは、<ヘカテ>組織に関わらせたくなかったから。その点、彼も同意見だったよ』

彼、兄さんのこと気に入ってたからね。
弟はにっこりと笑った。

はあ。……まあ、俺もあいつのことは気に入ってるけどさ。
──色んな意味で上層部に位置する人間。確かに。

あいつの家は、昨日今日の金持ちじゃない。戦前から続く、なんちゃらかんちゃら……。覚えてないけど、とにかく上流階級だ。本来なら、ごく一般庶民の俺なんか、絶対お近づきになれない種類の人間なのに、何でだろう? 気がついたら、互いにとって一番親しい友人になっていた。

やっぱりあれだ。あのボロアパートが曲者だ。

日に焼けて毛羽立った畳に、古道具屋で見つけたという今時珍しい丸いちゃぶ台。あるだけマシのぺったんこの座布団。そこには、お世辞にもお坊ちゃまとか御曹司とか、そういったものを思い起こさせるようなものは何も無かった。

西日対策か、カーテンだけは完全遮光の良品を使っていたようだが、そんなにあからさまに高そうなものに見えなかったし。

本人は「メトロン星人の気分になってみたかった」とか言っていたが、昔のテレビ番組が色んな媒体で見られるようになったからとはいえ、いいトシした大人が昭和レトロはないだろう。俺より四つか五つは年上なのに。

ま、そんなんだから、俺はあいつが金持ちボンボンだということをすっかり忘れていた。というか、全く頭になかった。

そんな俺があいつのバックグラウンドを思い出したのは、会社をリストラされて離婚して、住む所はどうしようとぼーっとしていたとき。自分の持ちビルを一軒、格安で貸してやろうと申し出てくれた、あの時だった。本当に有り難かった。

ちょっと、いや、かなり変わったやつだけど、元々各界に豊富な人脈を持っているから、それを駆使して陰ながら弟の捜査に協力することも可能だったんだろうな。

『実はさ、』

弟の声に、俺の意識はまたモニターに引き戻された。

『俺が生きてた頃から、兄さんの周囲がきな臭くなってきてたんだ』

真剣な弟の顔。声が届くわけでもないのに俺はつい訊ねていた。

「なんだよ、それ」

『兄さんは全然気がつかなかったみたいだけど、何度か怪我させられそうになってたんだよ』

「マジかよ……」

俺は呟いていた。

『もちろん、俺のせいだけどね。俺に脅しをかけても効かなかったものだから、一番身近な人間を襲って思い知らせようって魂胆だったんだろう。でも、それは予測出来てたからさ』

「予測?」

『何しろ、相手は危険な組織だからね。色んなケースを考えなきゃならなかったから』

弟は一瞬辛そうな表情を見せた。

『だから彼とも相談して、彼の方から兄さんに護衛をつけてもらうことにした。とても優秀な人たちだよ。本当を言うと、兄さんは何度か拉致されそうにもなってるんだけど、そんなこと全然気づかずに普通に暮らしてただろう? 護衛の人たちがどれだけ有能かの証明だよ。まあ……』

くくっと弟は楽しそうに笑った。

『兄さんがそういうことにニブイっていうのが、一番大きいんだけどね』

「ほっとけ!」

俺は唸った。智晴と同じこと言いやがる。さすが弟同盟を結んでいただけのことはある、って、芙蓉と葵も俺のこと鈍いって言ってたような……?

考えるのはやめよう。
何か情けなくなってくる。

『でも義姉さんは鋭くてねぇ……』

溜息交じりの弟の声に、俺は驚いてモニターを見直した。
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