第66話 男前な元妻 情けない俺

文字数 3,110文字

結局、俺がぐるぐるしているうちに元妻が結論を出してくれたってことか……。

リストラで、今思えば鬱になりかけていた俺には、自分の身の危険どころか家族の身の安全、弟の陥っている危機、そういう荷物を背負うことなど出来ないと、彼女はそう判断したんだ。

元妻は正しかったのかもしれない。いや、正しかったんだ。

なんて男前な女。

自分の情けなさを認めるのはキツい。けど、気づいたからには認めなきゃならない。でなきゃ、俺は庇護されるだけの子供になってしまう。

男はいつまでもガキだっていうけど、ガキのままでいるのは情けないし──悔しい。彼女の娘の父親に、ふさわしい男にならなきゃな。

『義姉さんは、離婚後上手い具合に組織から身を隠した。ののかのために兄さんと連絡を取る時も、細心の注意を払っていたよ。自分たちの居所を押さえられないようにね。彼からの護衛は相変わらずついていたけど、あの人の周到さには、ガードの人たちも舌を巻いてた』

「……」

『義姉さんは、まず自分とののかの身の安全を最優先することにしたんだよ。少なくともあの当時、色んな意味でそれが一番兄さんのためになることだったから』

弟の言葉に、俺は項垂れる。俺の重荷にならないように、考えてくれたということか。

『兄さんから、ひいては俺から離れてからは、義姉さんとののかの危険は減った。智晴くんはそういう事情は知らなかったはずだけど、彼は元々危機管理能力に長けてる人だったから、あんまり心配はいらなかったな。一応、彼にも護衛はついてたけどね』

弟は微笑んだ。

『普段から用心深い人だったんで、ガードは楽みたいだよ。無意識に、本能レベルで危険を避けてる感じだな』

さすが智晴。弟にここまで言わせるとは。
俺は不謹慎にも感心してしまった。まあ、智晴にはちょっと得体の知れない部分がある。

『独りになった兄さんについては、彼が一計を案じた。いくらハローワークに足を運んでも一向に仕事にありつけないことを利用して、組織から兄さんの身柄を隠すことに成功したんだ』

「身柄を隠すって……」

俺は呟いていた。どういうことだ?

『会社にしろ、何にしろ、どこかの団体・組織に所属するということは、人的ネットワークに組み入れられるということだろう? 存在が広く知られるということだ。それでは不味いんだよ』

だから、彼は兄さんを<スタンドアローン>にする作戦に出たんだ。
弟はそう言った。

「……すたんどあろーんて、何だ?」

よく分からん。

『スタンドアローンというのは、この場合、ネットワークに繋がってないパソコンのこと。彼の作戦は人的ネットワークから兄さんを切り離すというものだった。ねえ、兄さん。兄さんに何でも屋を勧めたのは誰?』

悪戯っぽく弟は訊ねてくる。

『テナントの入ってないボロビルを貸してくれたのは?』

ふふ、と弟は笑っている。

「あいつだ……」

俺は無意識に答えていた。

『分かっただろう、兄さん? さり気なく、けれど周到に彼は兄さんを「表舞台」から隠した。仕事からも住んでる場所からも兄さんの居場所を辿れないよう、リストラ後の兄さんのあらゆる痕跡を消して回った。それはもう、警察官の俺から見ても憎らしいくらい見事な手際だったよ』

「……」

俺は絶句した。

リストラ、離婚、と続いて自分の明日がどっちにあるのか全く分からなくなっていた時、あいつが手を差しのべてくれた。

あの頃のことを思い出そうとすると、今でも何だか水の中での出来事のように現実感が無い。言われるままに妻と娘と暮らした家を出て、今のボロビルの一室に入った。

バブル時代、狭い土地に無理やりのように建てられ、内装と外装が不完全なまま捨て置かれたビルは、全体的に薄っぺらくていびつな形をしている。売った方が損になるからと言って、あいつは破格の安値で俺にあのビル、というか、ビルの一室を貸してくれている。

そう、そこを事務所にして、何でも屋をやってみてはどうかと俺に提案したのは、あいつだ。再就職を目指して何度もハローワークに通ったのに、面接という面接から落とされ続け、精神的に疲れ果てていた俺は、それもいいかと単純に思ったのだった。

──君は犬猫に好かれる質だし、大学時代は皆が敬遠するような作業も楽しそうにやっていた。だからきっと、何でも屋をやれば成功するよ。

あいつはそんなふうに言ったっけ。

すべて計算していたんだろうか? 「成功」とまではいかなくても、あいつの提供してくれたボロビルは、「何でも屋」をやるにはこれ以上内無いくらい良い立地条件を備えていると思う。改めて考えてみれば。

裏通りのさらに裏通りの向こうとはいえ駅や繁華街から遠くはないし、少し足を伸ばせば古くからの住宅地が広がっている。結構広い公園だってある。

入る依頼は、屋根によじ登っての樋掃除に、どぶ浚い、ペット探し etc. 住宅地は高齢者も多いので、電球を取り替えるなどの細々した仕事も入る。今頃の季節だと、庭の草むしりなどもよく頼まれる。

人間関係が希薄なこの時代、俺のような何でも屋でも、必要とされる場面が意外とある。ある意味、隙間産業(?)といえるかもしれない。

ん? そういえば、俺、こっちに引っ越してきてからは、あの界隈から外に出ていないような気がする。それもあいつの思惑通りなんだろうか?

もしかして、あのボロビルを買ったのだって俺のためだったりして。……俺、あいつに世話になりっ放し?

『だけどね、兄さん。兄さんに対する彼の好意は確かに本物だけれど、ある意味、ギブ・アンド・テイクではあるんだよ。俺と彼の利害関係はほぼ一致してた。だから、あんまり兄さんが彼に対して負い目を感じることはないんだ』

「まあ、いいけどさ……」

俺は何となく脱力してしまった。

大学時代、俺が<ひまわり荘の変人>と命名したあいつ。そして弟。

俺って、こいつらの掌の上で転がされていたんだなぁ、結局のところ。別にいいけどさ、転がされてたって。弄ばれたわけじゃなし。どっちかというと、大切にされていたみたいな。掌中の玉?

俺、焼酎は芋が好きだなぁ。関係ないけど。

『さて、と。俺からの説明はこんなとこかな』

弟は言った。

『危険なデータ、情報は、全て俺たちの手を離れた。鍵の役割を果たした兄さんも、もう狙われることはないはずだ』

「……俺は用済みってことか」

ちょっとだけ、憎まれ口を叩いてみる。最初から最後まで、俺には何も知らさないままで、そのくせ、俺ごと俺の家族を守ってくれた弟。

自分自身のことも、守って欲しかった。

『<ヴァルハラ>への鍵の役目、ご苦労様。それと、了解も取らずにこんな形で兄さんを巻き込んでてごめん。<ヴァルハラ>の特殊なセキュリティ上、俺も彼も、生体遺伝子情報以上に良い鍵を思いつけなかったんだ。許してほしい』

「いいよ、もう。そんなことは……」

『俺は、まだもう少し<ヘカテ>組織の情報収集に努めたいと思う。身内──警察内部にも組織と通じている者がいるし、政財界にもね、組織に深く関わっている人間がいる。そんなわけだから、より説得力のある証拠を、少しでも多く集めないといけない』

「もう止めろよ……!」

弟は数年前に死んでいる。ここにいるのは幻だ。けれど、俺は言わずにはいられなかった。

「何でお前だけがそんな危ないことをしなきゃならないんだ? あいつはお前にはガードをつけてくれなかったのかよ?! なあ!」
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