第77話 <笑い仮面>は疑心暗鬼体質。
文字数 4,478文字
「君の身に危険が迫っていたこともあったしね、高山の自縄自縛のせいで」
君は気づいてないからいいけど、ガードの者たちは大変だったんだよ~、と友人は付け加えた。
げげ。
俺、そんなに危なかった? ──芙蓉たちにも言われたけど、やっぱり実感がない……。
「俺、“葵の失踪”の件で、高山に呼ばれて自宅に行ったことがあるんだけど──」
「ああ、あれね……」
友人は、両手を首の後ろで組んで上体を反らせ、天井を見上げた。
「すっごい遠回しなやり方で君に接触してきたんだったよね。君の知り合いのフリーター、シンジくんだったっけ?」
俺は頷いた。
そう。高山は最初、シンジの彼女のるりちゃんに近づいたんだ。彼女の勤めるクラブ<夜の夢>に現れて。
──そこのお客の息子がひと月前から行方知れずで~、警察は頼りにならないし、かといって胡散臭いところに頼むのも不安だし、ってぼやいてたっていうから、そうだよ、アンタるりちゃんに感謝してよ? るりちゃんがアンタのことをそのお客に推薦してくれたんすからね──
ああ、シンジのあの間延びした口調が懐かしい。って、ほんの数日前のことなのに、もう何ヶ月も会ってないような気がするのは何でだろう。
「シンジくんの彼女は、るりって子? その子からシンジくん、シンジくんから君へ、ってふうに話が行くように画策したんだよね~」
伝言ゲームみたいだよねぇ。そう言って、友人は苦笑する。
「でも、あれはあれで彼なりの理由があったんだよ。だって、君を見つけたことを、高山はしばらく隠しておきたかったからね、組織に」
俺は心の中でぽん、と膝を打った。
そういうことか。
「芙蓉の持ち出した情報を、取り返すまではっ、てことだな?」
うんうん、と友人は頷く。こんなとこまで大ボケでなくて良かった~、って、それ俺のこと?
いいけど。どうせ俺は色々鈍いよ。
でも、こんなオヤジがいじけたって可愛くも何とも無いので、オトナらしく流しておくことにする。
「で、まあ、君を自分のテリトリーのひとつに誘い込んだのは良かったんだけど、高山は気づいてしまったんだ、君を護衛している者たちの存在に。だからあの時、高山は君をそのまま解放したんだよ」
「……」
芙蓉たちの推測通りだ。それにしても……。
「テリトリーのひとつって、ああいうのをそんなに沢山持ってるのか……」
豪華セキュリティに警備員付きのリッチなマンション。その最上階。フロア全部が高山の持ち物だって話だったけど。
俺がその財力に驚いていると、反応するのはそこか、とか友人はぼやいていた。ん?
「自分の身が危なかった、ってとこにびっくりして欲しかったよ」
「え? あ……」
それは確かに……。すまん、友人よ。芙蓉たちにそのことを指摘されたとき、頭の中がまるでどっかの宇宙にぶっ飛ぶくらいに驚いて、驚きすぎて、なんかいろいろ麻痺してるみたいなんだ。
「ごめん、もう何に驚いたらいいのかわからなくなってて」
あはは、と引き攣り笑いをしていると、友人は、無理もないか、と苦笑した。
「まあ、だけど。あのマンションの部屋は、高山の持ち物のうちでも表向きのものに属するから、そこに君を連れて行ったってことは、待ち合わせの段階で、彼は君の護衛に気づいていたってことなんだろうねぇ」
あそこからだと、裏用の部屋の方が近かったはずなんだ、と友人は言う。そこも芙蓉たちの睨んだとおりなんだけど……その表向きとか裏用とか、どういうこと? 用途別?
どんな用途だ。怖い。
……詳しく聞くのはよそう。
高山と待ち合わせたのは、彼に似合わないたこ焼き屋。
あのたこ焼きはとても美味かったのに、怖い思い出の味になってしまった……。
「高山も必死だったと思うよ。芙蓉の持ち出した情報、それはつまり、さっき言ったように<ヘカテ>の流通経路だ。そんなものが彼のところから洩れたと、組織に知られたら──」
友人はそこで言葉を切った。
そうだよな。<ヘカテ>を追っていた俺の弟だって殺されたんだから。
「高山も消されることになったんだろうな……」
友人は何も言わなかったが、否定もしなかった。
「彼は、君と息子たちが共謀してるんじゃないかと考えていたようだからね。そういう意味で、怯えていたと思う」
あの<笑い仮面>が怯え……?
いやいや、人間、見た目じゃ分からない。にこにこしてるからっていつもハッピーだとは限らないし、悲愴な顔をしているからってそう物凄く不幸な目に遭ったとは限らない。「野球中継が延長になったせいで、その次のドラマ録画が途中で切れた」程度でも、死にそうなほど暗くなるやつはいる。
本当に辛いことがあって、負の感情が極まった時、人は却って表情を無くすと思う。
空白の表情。つまり、無表情。
高山の<笑い仮面>は、もしかしてその無表情の代わりなのかな、とふと考えてしまった。あの男には、過去一体何があったんだろう。
いやいや、過去なんかどうでもいいや。今現在が一番大切なんだ!
心の中でそんなふうに結論をつけていると、友人が言葉を続けた。
「そう、怯えていたから、彼は君にあれを渡したんだよねぇ」
あれ? アレ。あれって何だ?
高山に何かもらったっけ? たこ焼きは奢ってもらったが。
「もう。忘れっぽいなぁ」
友人は呆れている……というか、呆れを通り越したような顔をしている。
何で?
「赤い石を抱いたマンボウのピアス」
そう言われて、おれは「あっ!」と声を出していた。芙蓉にデコピンされた後、怒涛のような出来事が続いたもんだから、すっかり頭から吹っ飛んでた。そりゃ呆れもするわな。はは……。
──鏡に映るのは兄さんの姿であり、俺の姿でもあるんだ。忘れないで。
弟の微笑みの残像。薄れて消えて、いつの間にか現れたマンボウが、藍色の海の彼方へ消えていく──。
「……その様子じゃ、やっぱり気づいてないんだろうけど」
ついぼうっとしていると、友人が話しかけてきた。
「あのピアスには、発信機が仕掛けられてたんだよ」
「……うん、知ってる」
無意識に額をさすりながら答えると。
「え!」
珍しく驚いた顔で、友人はまじまじと俺を見た。
「君、気づいてたの?」
見つめられて居心地が悪くなり、俺は車椅子の中で尻をもぞもぞさせた。
「俺は、全然……。気づいたのは智晴だよ」
「そっか。そうだよねぇ。びっくりしたよ」
ふううう、と友人は息を吐き出す。案外鋭いところがあるのかと思ったけど、そっかぁそうだよねぇ、などとひとりうなずきながら──失礼な!
「俺だってびっくりしたさ……。葵の大学に聞き込みに行った時も、<サンフィッシュ>ってバーに行った時も、それに、芙蓉親子と葵が隠れていたホテルに出かけた時も、間違いなく高山につけられていたんだって知ってさ」
「……うん」
「でも俺はそんなふうに無防備だったけど、あんたの付けてくれた護衛がいたんだよな? 見守ってくれていたらしい葵たちが言うには、ものすごく有能で──」
「もちろん、選りすぐりの者たちだからねぇ」
友人はゆったりと微笑んでみせる。
「本人に危険を教えることはできないし、覚らせるわけにもいかない。そんな対象を護衛するには力量がいる。それでも難しかっただろうけど、いい経験になったんじゃないかな」
「そういうもんなのか──?」
「うん。そういうもんなの」
「……」
人材育成に役立ってくれてありがとう、なんて友人はお道化てくれるけど、でもさ。
「迷惑掛けたと思うんだ、俺、その人たちに。知らなかったとはいえ、あの赤いマンボウを受け取ってしまったもんだから、
スッケスケって、と友人は笑う。
「まあね。でもそれが彼らの仕事だから。そうだね、あの発信機にはGPS機能が付いてたから、確かに高山には君の居所がスケスケだったと思うよ」
いやだね~、見えすぎちゃって、君の動向にいつもドッキドキだったと思うよ~なんてゆるく言うけれども。
「そのせいで、俺、芙蓉たちまで危険にさらしてしまってさ……あいつらのスイートルームにいきなりアブナイやつらが踏み込んできそうになったのは、俺のせいだろ?」
デコピンでおあいこ。芙蓉はそう言ってくれたけど──。
「あー、高山の双子の宿泊していた部屋は、GPSが効かないんだよ。あのホテル、<特別客室>のあるフロアは数階ぶん、すべて遮蔽されてるから」
「しゃへい?」
「そう、遮蔽。だから盗聴器なんかも役に立たない」
「つまり……部屋までは特定されなかったってこと?」
「うん。そうだね。だから、ホテルスタッフを装って探すつもりだったんだと思うよ」
「……」
少しだけ、ホッとした。ホッとしたら疑問が湧いた。それだと電波とかがダメってことだよな。なら、どうやって……。
「<風見鶏>はどうやって俺に携帯電話をかけてくることが出来たんだ?」
アンテナはどうだったっけ。覚えてない。俺は悩んだ。
「しごくまっとうな質問だけど」
そう言うと、友人は何故かくすっと笑った。
「彼はまっとうでない手段を持ってるからね」
何じゃ、そりゃ!
俺は信じられない思いで友人の楽しそうな顔を見た。
もう、友人と<風見鶏>はやっぱり知り合いだったんだとか、そういうのはこの際どうでもいい。ただ、俺は声を大にして言いたい。
あんたら、一体何者なんだよ?
何と言っていいやら言葉を失う俺に、話を戻すけど、と友人は言う。
「まあだからさ、ホテルまでは高山も突き止めることが出来たんだよ。それでよけいに怯えた、というか、震え上がったんじゃないかな?」
「え……、どうして?」
「君はもう忘れた? 芙蓉が“死体”になって君を脅かした理由」
「あ」
そうだった。芙蓉たちは、あのホテルのどこかの部屋で、高山たちの組織が何かの取り引きをするのを邪魔したかったんだ。そのために騒動を起こそうとして、俺を騙した──というか、道化にしようとした。
“見知らぬ女の死体”にびびった俺が、まさに「声も無く」逃げてしまったから、その企みは失敗したんだけれども。
「もしかして、高山たちの組織、つまり、ドラッグ<ヘカテ>の組織は、取り引きにはいつもあのホテルを使っていた、とか──?」
友人は俺の言葉に頷いた。
「そう。さっきも言ったとおり、盗聴の心配のない部屋を確保出来るホテルだからね」
「その当のホテルに俺が入って行ったものだから、高山としては、俺が何かを掴んだとか何かをするとか、そういう心配をしたってわけなんだな? 疑心暗鬼体質だから」
「うん。まあ、そういうこと」
疑心暗鬼体質って、言い得て妙だねぇ、とか笑っている。