第370話 梅の花は夜空の星 完結編 

文字数 1,777文字

「ははっ、らしくないな」

パン、と活を入れるように自分の顔を叩き、入院で伸びたのだろう髪を、ついでのようにぐしゃぐしゃとかき回す。さっきの思わぬ弱々しさを、自ら振り払うみたいに。

「しかし、寝てばかりだと夜に眠れなくて困るよ。テレビもつまらないし。あの子はこんなものを買ってくれたけど」

そう言って、ベッドの脇のテーブルに置いてあったタブレット端末を指でつつく。

「使い方がよくわからないんだ。聞いたら教えてくれるだろうけど──締め切りがどうとか言ってたし、マニュアルは、字が細かくて読むのが嫌になってしまってな」

老眼鏡を新調するか、なんとかルーペでも買おうか、なんて年寄りあるある自虐ギャグを、ただ黙って困り笑顔で聞いてるしかない俺だったけど、お? よく見たら、あれは元義弟の智晴も持ってる最新のやつと同じタイプかな? それなら触らせてもらったことがあるから、俺も少しだけ分かるかも。

「あの! それ、ちょっといいですか?」

椿さんの許可を取り、タブレットを見てみる。えーっと、たしか、こうして、それから、んーっと──。あ! いいこと思いついた!

「あのね、椿さん、これってとっても便利なもので──」

青空文庫から、教科書にも載ってるような文豪の作品を画面に出してみた。

「電子書籍ってご存知でしょう? でね、こうすると」

俺は文字の拡大の仕方を教えた。

「──ああ、よく見えるな。本とは違うから妙な感じがするが、文字がよく見えるのはいいか……」

これで少しは退屈を紛らわせることが出来るかな、とちょっと笑ってくれたけど、俺の目的はそれじゃない。今度は大手の漫画電子書籍サイトを開いて、桂木さんのペンネームで検索する。さすがの売れっ子、いっぱい作品が出て来た。それを見た椿さんが、驚きにか小さく息を飲む。

「ね? ほら、たくさんあるでしょう? しかもこれ、通常の書籍としても普通の書店に並んでるんですよ」

「……」

ずらっと整列する表紙のサムネイルを、椿さんはじっと眼で追っている。作品数が多いので、それは何ページにも渡って続いている。

「……作品傾向に節操が無いな」

ぼそっと呟く。SFホラーから爽やかスポーツ青春もの、魔法少女系まで何でも有りだもんなぁ──。

「えっとね、そういうの、引き出しの多い作家さんっていうんですよ!」

本屋のバイト女子高生からの受け売りだけど。

「青空文庫はともかく、こういうのは基本有料で、カード決済になります。えっと、今、一巻無料の試し読みが出来るのは──」

ん? 初期短編集っていうのがある。へー、デビュー作収録かぁ。

「これ、開いてみましょうか」

そう言って、漫画電子書籍の開き方を教える。椿さんは興味深そうに眺めている。

表紙絵、今とはタッチが違うなぁ。なんか、すごく繊細。今だって雑とはほど遠いんだけど、こういうの、何だろう。やっぱり初々しいっていうのかな。黒いベタをバックに描かれた白い梅の花が、まるで匂い立つような、今にもこぼれて落ちそうな……。

「……」

二人で、黙々とデビュー作を読む。椿さんの視線の動きを確認しながら、ページをめくっていく。
それは、ある少年と彼の叔父の物語だった。


季節は夏。少年は親の仕事の都合により、山奥の村に住む寡黙な叔父の許に身を寄せることになる。それが初対面だった二人のとまどいと、小さな諍いとすれ違い、和解と、最後はぎこちなくも互いに歩み寄る姿が、季節の移り変わりとともに淡々とした筆致で描かれている。

翌年の春、普段無口な叔父が少年に訥々と語りかける。

──ほら、ここから上を見てごらん。梅の花が、まるで夜空の星のようだろう。真っ白で、なぁ……。お前は何にでもなれるよ。怖がることはない。梅は何度も咲いて実を結ぶ。人も同じさ。何度でも咲いて、咲いて……なぁ……頑張れば、小さくても必ず何かの実を結ぶ。誰かの星にも、なれる……。


「──あれは、こんな山奥の、こんな立派な梅の木じゃなかった……アパートの近所の公園の、もっと貧相な木だったよ……」

呟く声が聞こえる。椿さんの心の空は、怒るのでも笑うのでもなく、あいだを取って暖かい雨を今日の天気に選んだようだ。

途中からは、椿さんはもう自分でページをめくっている。俺はその深く垂れた項に向かって黙って会釈し、そっと部屋を後にした。



桂木さんのデビュー作、そのタイトルは。
『梅の花は夜空の星』
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