第113話 お盆の出来事 8 終

文字数 2,508文字

──あ、あれあれ。本当だ。
──ああ。----警部補にそっくりだな。
── 一卵性の双子らしいぞ。

──さっきの、警察病院直行の被疑者、オトしたの、彼らしいよ。
──現場に急行したやつら、手も出せなかったってさ。
──逮捕術のお手本みたいだったんだって? 見てみたかったなぁ。
──なぁなぁ、頼んでみないか? 模範試合。

ひそひそ、ひそひそ。
警察署の皆さん、女子高生のようなひそひそ話はやめてください。

いや、だからさ。
あれは俺じゃなかったんだって! 死んだ弟だったんだってば!

──どれほどそう叫びたかったことか。

事情聴取では、力いっぱい主張した。

「女の子を助けようと必死でした」
「無我夢中で何も覚えていません。火事場の馬鹿力です。」

……本当のことなんか、言えるか。

ってゆーか、誰が信じるんだ、そんなこと。

聴取が終わって帰りがけ、待機中だといういかにも猛者な警官の皆さんに道場に誘われた。必死で固辞したが……。いやいや皆さん、俺には模範演技とか出来ませんから。受け身すら上手く取れません。多分。

とにかく、俺は逃げるように帰って来たのだった。何も悪いことなんかしてないのに……! 

「はあ……」

俺は窓を開けたまま、ボロソファに身体を沈めた。ブラインド金具に引っ掛けた風鈴が、ちりん、と澄んだ音を立てる。

街灯の明かりのせいで真っ暗にならない部屋の中、俺はコンビニ袋から缶ビールを二本取り出した。

「ほら、お前の分」

プルトップを開けて、テーブルの向かいに置く。それからもう一本を開け、ごくごくと喉を鳴らした。

「ぷはー、うめぇ!」

この一杯のために生きている! と言いたくなるくらい、一日の仕事を終えた後のビールは美味い。胃がきゅーっとなる。あ、腹へってたんだ、俺。今日は奮発して幕の内弁当を買ったんだった。

弁当のパックをコンビニ袋から取り出し、蓋を開ける。割り箸は二膳入れてもらった。一膳を割って向かいのビール缶に添え、もう一膳も割って自分で持つ。

「あそこのコンビニの弁当、結構マシなんだよ。この時間だとたいてい売り切れてるんだけど、今日は運が良かった。あ、そうそう」

俺は立ち上がり、洗って冷蔵庫に入れておいたプチトマトと取り皿を持って戻ってきた。皿の上に三つばかり、真っ赤に熟したまん丸トマトを載せる。

「これ、上の屋上で育てたプチトマト。小さいけど、甘くてなかなかイケるんだ」

話しかけても、応えは無い。
当たり前だけど。

だけどいいんだ。きっと弟はそこにいる。

「今日はありがとうな。何度も助けてくれて」

俺はそう言って何も無い空間に向かってビール缶を掲げて見せ、残りを飲み干した。












八月十六日。

伝さんの夕方の散歩を済ませ、高田さんちの祐介くんを塾までお迎えに行く前に、三日前に迎え火を焚いた屋上で、俺は送り火を焚いた。

来年、また帰って来いよ。

薄く立ち上る煙の行方を目で追いながら、俺は心で呟いた。

十四日、十五日には、もう何も事件は起こらなかった。十三日のあれは、きっと特別だったんだろう。この三日間、ごく平穏に何でも屋としての一日を過ごせた。いつもの通りに。

今日も残りあと数時間。きっともう何も起こらないだろう。あんなこと、そうそうあるもんじゃない。ちなみに、あの少女拉致未遂犯はやはりドラッグの常用者だったそうだ。

それにしても、最近の塾は盆も正月も無いんだな。十四、十五日はさすがにあの事件の煽りを受けて臨時の休みになったが、変質者対策強化に警備会社を入れたとかで、今日から夏期講習再開だ。小学生から夏期講習……世も末のような気がする。

ま、いいか。
あの塾では、学年を超えた子供遊びを教えているそうだし。

夏休み限定の、ほんの三十分ほどの時間だそうだが、年上の子が年下の子の面倒を見ることを覚えるというのは、良いことだと俺は思う。学年が上のお兄ちゃんお姉ちゃんに遊んでもらった子は、自分がその学年になった時、自然と下の子の面倒を見るだろう。

そういえば、ヨリコ・パパもヨリコちゃんが小学生になったらあの塾に入れたいとか言ってたな。小学一年生で塾なんて早すぎると思うけど……。

ヨリコ・パパといえば。
すっかり伝さんに懐いてしまって……。

あれから連日伝さんの夕方の散歩を待つようになった、娘と一緒に。彼らが待っているのは公園の中だから、俺と伝さんが来るまでの間、ブランコとかシーソーとかしててそれなりに父子の有意義な時間を過ごしているようだ。

今日も胸をぴん、と張った伝さんが俺を従えて(?)現れると、もう大興奮状態。抱きつくわ、頬擦りするわ、撫でるわ。そりゃもう、娘が呆れるくらいに。

それほどに超大型犬種・グレートデンの伝さんに慣れたヨリコ・パパだが、他の犬は相変わらずダメらしい。それがたとえ掌に乗りそうなほど小さなチワワでも、愛らしいトイ・プードルでも。立ち竦むくらい怖いのだそうだ。

理由を問うと、「No reason!」という答が返ってきた……。あんたはコカ・〇ーラの回しものか、ヨリコ・パパ。

ま、伝さんは彼の命の恩人だし。会社が盆休みの間は来るだろう。もうすぐ旅行から帰ってくる吉井さんに「伝さんのファンが出来ました」って伝えよう。吉井さんも喜ぶだろうな。

吉井さん、あの家のブロック塀が崩れた話には驚くだろうなぁ。後から交番に顔を出して聞いてみたら、やはり土台の老朽化が原因だったらしい。

……今日はビル風が穏やかだ。たまに突風は吹くけれど、この前キティちゃん柄のパンツを飛ばされた時ほどではない。送り火の煙に乗っていく弟たちも、道中が楽だろう。

「さて、お迎え行くか」

よっこいしょと俺は立ち上がった。祐介くんが待っている。





あの日。色んなことがあって、疲れて、晩飯の幕の内弁当を食べてビールを飲み干して……気がついたら朝だったあの日。

弟の分のビールが減っていたかどうかは、誰にも教えない。




<俺>のお盆 完
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