第7話 元義弟
文字数 2,116文字
『夏至のあの日、芙蓉を殺したのは、お前か?』
いきなりの電話は、それだけ言って切れた。もちろん非通知だ。俺は茫然としていた。
やっぱり俺か? 俺が水色と赤色のマンボウを繋いでいるのか? だが、高山葵も高山芙蓉も、俺は知らない。昨日<笑い仮面>こと高山・父に会うまで、彼らのことなど見た事も聞いた事も、名前を目にすることすらなかったのだ。
あの夏至の日、いや、その前夜からの俺の行動。その中に<二つのマンボウの謎>を解く鍵があるのだ。間違いない、多分。だが、俺は何も覚えていないのだ。どうすりゃいいんだ。考えてみれば高山も変だ。なんで俺みたいな何でも屋なんかに行方不明の息子探しなんか依頼するんだ?
シンジのカノジョ、るりちゃんの働くクラブで息子の行方不明を嘆いていたというが、情にもろいるりちゃんにそれを話したのは偶然か? まさか、るりちゃんのカレシがシンジで、シンジの知り合いが俺だと知っていたんじゃあるまいな?
だとしたら、狙いは何だ? 俺が知らない女の死体の隣で目覚め、ここに逃げ帰ったすぐ翌日だ、シンジがこの話を持ってきたのは。ということは、るりちゃんのいるクラブ<夜の夢>に高山が現れたのは、俺がここに戻って死んだように眠っていた、まさにその夜ということになる。
高山が店の常連なら良い。だが、そうでないならやはり恣意的なものを感じる。
高山の目的は俺か? もしそうなら、それは何故だ? テレビでも新聞でも、あの女の死体が発見されたという報道はされていない。場所は高級ホテルだ。俺が逃げたままになっていたとしたら、発見されないのはおかしい。
あれは一体何だったんだ? これは何かの陰謀か? だったら何の陰謀だ? 俺とは関係ないだろう。──まさか、せっかく見つけた迷いペットが、食あたりか何かで死んだとかで逆恨み?
俺が糖蜜の上で溺れる蟻のようにぐるぐるもがき考え込んでいると、ドアがコココココッと叩かれた。コココココッ、コココココッ。こんなキツツキのようなドアの叩き方をするヤツは、ひとりしかいない。
「もう、早く開けてくださいよ」
入れとも言っていないのに、小さくドアを開けた俺を押し込むように中に入ってきた男が拗ねたように唇を尖らせた。かわいくない。
「あいかわらずですねぇ。ちゃんと食べてますか? ののかちゃんが心配してましたよ?」
品よく色を抜いた髪をさらりとかき上げる。手首には、高そうな腕時計。
「あ、これ? Sinnの新しいやつなんです。日本ではまだ発売されてません」
男──元妻の弟──はハリウッド俳優のように白い大きな歯を見せてにっこりと笑う。未発売ならなんで今ここにあるんだ、とは俺は言わない。言えばいかに購入したかの自慢話が滔々と始まってしまう。……俺はこいつが苦手だった。
「何しに来たんだ、智晴……」
元妻の弟、智晴は、欧米人のように大袈裟に肩をすくめた。
「用がなければ来てはいけませんか?」
「いけませんね」
俺はぷいっと横を向いた。
いつも無意味に気障っちいこの男が、俺は苦手だ。できるなら顔を見たくない。それなのに、こいつがしょっちゅう家に遊びに来ていたので、娘のののかとも生まれた時から仲が良い。
リストラされて離婚して、俺が何でも屋稼業を始めたら、なぜかこっちにも訪ねてくるようになった。ITなんとかだかネットトレーディングだかで稼いでいて、いつも羽振りが良い。要領良くすいすい世の中渡っているようなこいつがどうして俺にかまってくるのか、それがよく分からない。
「そんなつれないことを言わないでくださいよ、義兄さん」
「何が義兄さんだ。お前の姉とはもう別れたっつーの」
冷たく言う俺に、智晴はニヤリと悪戯な目を輝かせた。
「でも、僕はののかの叔父さんだし。ということは、やっぱりあなたの義弟じゃありませんか」
「……で、今日は何の用なんだ?」
俺は強引に話題を変えた。断じて言い負かされたからではない。早く追っ払ってしまいたいのだ。智晴はふっと笑いやがった。厭味なヤツだ。
「ののかちゃんの代理で来たんですよ、今日は。次の面会日は来月でしょう?」
そうだ。可愛いののかに来月まで会えないんだ。俺はどんよりと落ち込む。よけいに暑い。殺人の理由を、太陽のせいにしたやつの気分がわかるような気がしてしまう。
と、俺の目の前に魔法のようにワインが現れた。智晴のヤツ、一体どこに隠し持っていたんだ。
「これ、ののかちゃんからパパへ」
にっこりと微笑む智晴に、俺は噛みつく。
「な、なんでののかがワインなんか。お前、俺をバカにしてるのか智晴?」
「何言ってるんですか。誕生日でしょ、今日? これはののかちゃんからパパへの誕生日プレゼント。ののかちゃんが選んで、ののかちゃんが買ったんですよ。うれしいでしょう? 僕がネットでのお買い物の仕方教えてあげて、最初に買ったのがパパへの贈り物ですからね」
俺は惚けたようにその高そうなワインを見つめた。ラベルには、太陽の下でワイングラスを乾杯するようにかかげる男の絵が描かれている。