第11話 双子のきょうだい 6 終
文字数 4,035文字
がくっ!
頬杖が外れて、危うく帳場の天板で額を打つところだった。顎が先に当たりそうなものだけど、何故かおデコなんだよなぁ。どうでもいいけど。
あー、また居眠りしてたかな、俺。客が来ないからといって、こんなことではイカン。気を引き締めなければ! とはいえ、ここで店番するとどうしてかいつも居眠ってしまう。丸石さんちの自転車屋とかで電話番してても全然眠くならないのに。
ここには、魔が棲んでいる。
睡魔という魔が。
なぁんてな。
などと、今は亡き長さん演じる<和久さん>みたいな台詞を呟いた時。
「おじさん」
子供の声がした。姿は見えない。だが、学習(?)した俺は、今度はラジオのせいになんかせずに天板に手をついて伸び上がり、帳場の向こうをのぞいた。
「あれ? きみ、たち……」
見覚えのある顔が、ふたつ。昼前くらいにここに来たあの男の子と同じ。二人、仲良く手を繋いでる。
と、いうことは。
「兄ちゃんに会えたのか。良かったね」
こくん、と片方の子がうなずく。じゃあ、こっちが。
「えっと、オメガくん、だったかな?」
「うん。兄ちゃんはね、アルファっていうんだよ」
う……! 兄ちゃんの名前もやっぱり変わってる。ニックネーム、かな? いくら何でも、その名前で出生届は出さないだろう。と、思いたい。
「アルファくんとオメガくんか。そっか、対の名前なんだね」
「うん。ぼくたち、いつもいっしょだから」
弟のオメガくんが答える。兄ちゃんのアルファくんは、小さなくちびるをちょっとだけ開いて、にこにこ笑ってる。
「無事な姿見せてくれて、おじさんはうれしいけど、どうしてここに来たの? またお家の人が心配するよ」
そうだよ。アルファくんは悪い奴らに誘拐されてたんだから。で、慈恩堂店主に保護されて──あれ? 彼は、今日この子を親元に帰したって言ってなかったか?
「真久部さんは? まさか、君たちだけでここに来たわけじゃないよね?」
「まくべより、ぼくたちのほうがはしるのはやいもん」
……どこをどう走ってきたというのか、まだ四、五歳の子供が。
何かがおかしい。おかしいんだけど、寝起きのせいか、頭がぼーっとしてる。それでも、何とか言葉を捻り出していた。
「だけど、アルファくんは今日やっとお家に帰れたばかりだよね? ダメだよ。勝手に出てきたら」
「だいじょうぶ。からだはあっちにあるから」
オメガくんの言葉に、俺はこんがらがっていた。
「からだ、あっち?」
「そうだよ。だから、ながくはいられないけど、おじさんにおれいいいたかったんだ。兄ちゃんもおじさんにあってみたいっていうから、ふたりできたの」
「え? おじさん、何もできなかったけど……」
俺、ただ焦って慌ててただけだと思うけどなぁ。
「おじさん、ぼくのはなしちゃんときいてくれて、とってもしんぱいしてくれて、ぼく、うれしかったんだ。だって、おじさんいがいのだれも、ぼくのこえがきこえなかったみたいだから」
「そ、そうなのかい?」
「うん。ぼく、まくべのみせもおじさんもきにいったよ。おじさんのにおい、ちゃんとおぼえたから、また兄ちゃんとあそびにくるね」
弟の言葉に、アルファくんもにこにこ頷いている。ああ、これくらいの子供はかわいいなぁ。思わず目尻が下がる。
それはともかくとして、この子たちの家の連絡先も聞かなきゃいけないし、とりあえず座らせてお菓子でもあげようかと思い、ほんの一瞬ふたりから眼を離した。
そう、本当に瞬きするくらいの間だった。なのに、ふと顔を上げると、双子の兄弟は忽然とその姿を消していたのだった。
あれ、あの子たちどこ行った?
アルファくん! オメガくん!
身を乗り出して店内に視線を走らせる。二人して、隠れんぼか?
俺は帳場から降りようとして
ポッポー ポッポー
がくっ!
「あ痛っ」
鳩時計にびっくりして、飛び起きた。っていうか、飛び突っ込んで、天板で思いっきりデコ打った。目の前に星が散る。
「夢、か」
赤くなってるだろう額を擦りながら、俺は独りごちた。仕事中(一応)に居眠りしてた自分の非を棚に上げ、脅かしてくれた鳩時計を睨みつける。重なった短針と長針の角度、ちょうど六十度。
「二時か……」
ふわぁ、と欠伸。腹減った。何でこんな時間まで寝てたんだろう。せめて一時に起こして欲しかったよ、鳩時計。使えないヤツ。
「ん?」
耳の奥に蘇る鳩の声。ポッポー、ポッポー、ポッポー……十三回鳴いたの、数えてなかったっけ、俺。
……
……
んなバカな。二十四時間対応鳩時計なんて聞いたこともない。何寝ぼけてんだろ。
そういえば、何か変な夢見てたなぁ。あの男の子、今頃はもうとっくに兄ちゃんと喜びの再会してるだろうけど、俺の夢の中でも、うれしそうだったな。
「アルファと、オメガ、か」
ふと呟く。最初と最後、始まりと終焉、だったっけか。学生の頃読んだ何かの本──美術か、宗教か……哲学の本だったかな? そこに書いてあったの、思い出した。
宇宙の始めと終わり、それをひと言で表現すると、<阿吽>。阿は始まりでありアルファ、吽は終焉でありオメガ。だから、仁王像や狛犬など、寺や神社の<護り>として、対で左右に置かれるものは、口を開けた形の<阿>と、口を閉じた形の<吽>の、ただそれだけで、時間も空間も含んだ<全て>を表していると……。
──由緒正しい家柄の子でねぇ……双子の弟と一緒にずっと大切に可愛がられてたんですが、もう三日前ほど前になるのかな、不心得者に連れ出されてしまって
──アルファくんとオメガくんか。そっか、対の名前なんだね
──うん。ぼくたち、いつもいっしょだから
「あ、れ……?」
いつも一緒の双子の兄弟、アルファとオメガ。それすなわち阿吽の、全き対の存在で、片方だけではその存在の、絶対の意義に欠けるもの。
兄ちゃんのにおいがしたから、とあの子は言った。「しらないひと」に連れ去られた兄ちゃんの匂いを追いかけて、「はしって」きたのだと……。
──犯人、というか、犯人たちは、最初から売り飛ばすつもりで<あの子>を攫って行ったんです。何というか……そう、由緒正しい古いお家で、ずっと大切にされてるような、そういう<子>が、よく狙われるんです。高く売れるから
「もしかして、店主の言ってたのって<
思わず、宙を見つめてしまった俺。……でっかい鯛を抱えた恵比寿像と目が合ってしまった。
──攫われたのを、保護しただけです。見つけるのがもうちょっと遅かったら、売り飛ばされてるところでした
蘇る慈恩堂店主の言葉。あれは……あれは古美術品を盗んで売る、盗品売買組織から危機一髪で取り戻したってことなのか?
由緒正しい家でずっと大切にされていた、つまり、代々受け継がれてきた、<阿形>の狛犬を。
「ないないないないない!」
無意識に首を振っていた。振りすぎて痛い。けど、一体誰に対して否定してるんだ、俺。……多分、きっと、おそらく、自分自身に対してなんだろう。
だってさ。
だって、そうだとしたら。
あの双子の男の子たちは、ヒトじゃなくて、狛犬の精? 化身? てことになるじゃないか!
……
……
見た目が四、五歳とは、代々大切にされてきたという狛犬にしては、若作りだな!
……感想がそれか、俺。
自分自身に、脱力。凄く不思議な体験をしてしまったかもしれないというのに、そんなことでいいのか?
「いや、いやいやいや」
また独り呟く俺。端から見たら絶対アブナイ人だが、そんなことはどうでもいい。
これはつまりアレだ。「晴れ時々曇り後晴れ」みたいなもんだ! 晴れと曇りが分かちがたく入り交じった空模様のように、俺の中で夢と現実が入り交じってしまったんだ。いわば、脳内に描かれた映像と認識と現実の記憶の混線だ。
夢か現か幻か。どうやって区別をつける?
やっぱり、慈恩堂の店番仕事は、ヤバイ。油断すると睡魔に憑かれ、気づかぬうちにハッピービターバッド・トリップ。ヤクはいらない。素で飛べる。行きたくもないアナザー・ワールド、鬼が出るか、蛇が出るか。蛇? 蛇腹……。
「腹、へった……」
しょーもない連想でやっと思い出したが、昼飯時はとっくに過ぎている。忘れていたことを責めるかのように、胃が悲しげに鳴いた。
あーもう、考えてもしょうがない。店番の仕事は、今度から断ることにしよう。そうしよう。
固く決意して、用意されてた弁当を見たら。
「わあ……」
保温容器に入れられてたご飯はふっくら、煮物、焼き魚、天麩羅は熱々。
保冷容器に入れられてた刺身は元々よほど新しかったとみえ、ぴんぴんのつやつや、レタスを細かく千切ってスライスオニオンと細かく切ったトマトで和えたサラダはしゃきしゃき、胡麻豆腐、卵豆腐はひんやり、デザートの苺ゼリーはぷるんぷるん。
両手に蓋を持ったまま、しばし固まり……。
「こんな弁当食べられるなら、ちょっとくらいホラーな目見るくらい、いいかも……」
水に浮かべた泥船のように、固かったはずの決意がぼろぼろと崩れていくのを感じる俺だった。
おわり。
飯粒の一粒も、レタスのかけらすら残さず弁当を食べ終え、やたら幸せな気分で高級煎茶を啜っていた俺は、どうしてか、ふと一幅の掛け軸が気になった。画ではなく、書だけのもので、あまりに達筆すぎて読めない。
なのに、何故かその時、いきなり楷書体になったかのごとく、唐突に読めたのだ。
美味なるもの 能く人を御す
……
……
慈恩堂店主、あんた、策士だよ……。