第22話 慈恩堂の出戻り対策 

文字数 1,593文字


3月1日


午前中は古道具屋、慈恩堂にて棚卸の手伝い。
今日は気温が高かったせいか、作業してる間にじんわり汗をかいた。

毎回、入れたり出したりするだけだった文机が見当たらないので、店主の真久部さんに聞いてみると、売れたという。

「や、でもあれ……また出戻って来たりしませんか?」

そうなんだ。どっしりとした桜の材の、素人目にも良い物と分かる文机なんだが、俺が知ってるだけでも三回売れて、三回ともほぼ三日以内に買い主かその家族が返しに来る。

理由は知らない。聞いたこともない。てか、聞かない方がいいことが世の中にはたくさんある。

「今回は、大丈夫だと思いますよ」

にっこり笑う店主。

「へ、へえ。それなら良かったですね!」

晴れやかな笑顔が、何故だか恐ろしい。そのまま話を流そうとしたのに、知ってか知らずか店主は続ける。

「僕もね、あの文机にはちょっと困ってたんですよ。店に置いておいても色々あるし」

色々。いろいろ、ね。その色々について訊ねて欲しそうな空気を感じたけど、俺は空気読めないふりをする。

そんな俺に、店主は残念そうに溜息をついてみせた。

「……話甲斐のない人ですね。まあいいですけど」

だったら話すなというのに、店主はまだ続ける。めげない人だ。

「何というか、基本にね。戻ってみたらどうかと思いついたんです」

「基本、ですか……?」

何故ここで基本? 意味分からん。

「あれって、文机じゃないですか」

「はあ……」

だからそれは知ってるってば。

「ということで、今回ご購入されたお客様には、あることを試してみるようにお願いしたんです」

その<あること>というのは、「文机の上に原稿用紙を置く」というものらしかった。真っ白な新品の原稿用紙の表紙をめくり、今すぐ書き始めることが出来るようにしておくのがポイント? だという。

「もちろん万年筆も添えて。インク壷を使うタイプのをね」

「……それが、<基本>?」

「そうです。基本です。文机といえば、書き物。書き物するのは小説家。小説家が一番怖いもの、それは真っ白な原稿用紙!」

右手をぐっ!と握り、力強く語り上げる店主。
いや、書き物は小説に限ったことではないのでは? 手紙とか、家計簿とか……別にいいけどね。

「いやあ、どうして今までこんな簡単なことに気づかなかったんでしょうね。もっと早くに気づいていれば、あの文机もこんなに長い間彷徨うことがなかったものを」

ほう、と息をつき、しばし瞑目する店主。その胸には色々(・・)なことが去来しているようだが、絶対聞きたくない。

「とにかく、そんなわけで戻ってくることはないでしょう。そのうち諦めるでしょうしね」

誰が? とは思ったが、それは危険だと本能が囁くので聞かない。だから、俺は別のことを訊ねた。

「でも、そんなもん置いてたら、せっかくの文机が使えないんじゃ?」

「そこのところは問題ないです。古い町屋に改装したカフェの、ディスプレイとして置かれているだけなので」

そうですか、良かったですね~とにっこり微笑み、俺は何事もなく棚卸作業に戻ることにした。社会人にスルースキルは必須だ。多少引き攣ってたかもしれないが。




その後。

──件のカフェでは、時折、「うわあああ真っ白、真っ白怖い!」「ツンドラ、ツンドラ、真っ白ツンドラ空白地帯! ぐぅぅぅ……」などと呻く声が聞こえることがあるという。そんな時は、万年筆のインクを入れ替え、原稿用紙を改めて一枚めくっておくと、不思議なことに治まるのだそうだ。

……
……

てな、怪談もどきな噂話を聞いたけど、俺は知らない。何にも知らない。慈恩堂店主に問い質したりなんか、絶対しない。嬉々として話してくれそうだけど……、俺は平穏な日常ってやつを愛してるんだ!
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