第203話 冬の金魚は眠ってる

文字数 2,121文字

どじょっこだの、ふなっこだのがまだ夜明けを知らないこの季節。
池の金魚も静かに眠ってる。

ひょうたん型の池は自然石で作ってあるようで、まるで岩場の水溜りのようにゴツゴツしてる。わりあい深いし、二畳ほどと個人宅の庭にしてはけっこう大きい池だと思うのに、透明な水の底、岩陰に眠る赤い金魚の数は少ない。流線型の、俺の中指くらいの長さのやつが三匹くらい、同じ場所で同じ方を向いてじっとしてる。その隣の陰に三匹、少し離れてもう二匹。

ひときわ大きいのが一匹、菖蒲と……睡蓮かな? 沈めてある植木鉢の間で眠ってる。体長三十センチくらいありそう。ここのヌシってところだな。池を覆うように枝を張り出す橘の枝からひとつ実が落ちて、ぽちゃんと波紋が立ったのにも全く気づかないようで、ぴくりとも動かない。  

魚って、こんなふうに冬眠してるのかぁ、と動かない金魚たちを興味深く眺めていると、この家のご主人が縁側から現れた。ガラス戸を開けて、庭履きを履いて出てくる。

「お待たせしたね、何でも屋さん。お疲れさまでした」

「いえいえ」

俺は本日の依頼主、水無瀬さんに笑顔を向けた。今日は朝からここんちの小さな蔵の掃除というか、風を通すのをやってたんだ。

水無瀬家はこの地に古くからある旧家らしく、蔵の棚には骨董古道具の入っていると思しい木箱がいっぱいあった。開けたのは何十年ぶりということだから、埃だらけ。でも中はわりに整理されてたんで、それほど乱雑な印象はなかった。窓と入り口を開け放ってハタキをかけまくり、箒で掃き出す、というのを何度か繰り返したら、けっこうきれいになってすっきり。

「金魚見せていただいてました。魚って、冬はこんなふうに眠ってるんですね」

自然の池はこれほど水が透明じゃないから、冬眠中の魚を初めて見ました、と言うと、水無瀬さんは白い眉を揺らせてくしゃっと笑う。

「人にはよく、錦鯉とかもっと派手な魚を飼えばいいのに、と言われるんだがね。儂は金魚が好きなんじゃよ。赤くてちょろちょろしてて、可愛いじゃないか」

「俺も好きです! これ、和金ですよね。一匹だけすごく大きいのがいますねぇ」

「ああ……」

弱い冬の日差しのせいか、表情にかすかな翳が混じる。

「それは、皿から逃げた金魚じゃ」

「え?」

水無瀬さんはほろ苦い笑みを見せた。

「本体の皿は行方不明でな……」

「……」

そんなこと言いそうに見えないのに、いきなりファンタジーな話になってびっくりしていると、老人はふと息を吐き、言葉を続けた。

「昔、盗まれたんじゃよ。うちの家宝だったんじゃがな。──興味があるなら、そうだな……この話は慈恩堂さんにでも聞いてみるといいよ。じゃあ、これは約束の仕事料」

封筒を差し出された。一応中身を確認させてもらったら、最初に告げた金額より多い。

「これ多いですよ」

返そうとすると、眼で止められる。

「あんたの誠実な仕事ぶりにな──。うちの蔵はちと難しくて、普通はなかなか他人に任せられんのじゃが……慈恩堂さんの言うとおり、あんたは大丈夫だったよ、何でも屋さん」

取っておいてくれ、と言われて、俺は喜ぶより困惑した。意味わからないし……それに、三倍も入ってるんだよ?

それじゃああんまり申しわけないから、頼み込んで樋掃除もさせてもらった。蔵の中に長梯子が入ってて、良かった。









昼下がりの古美術雑貨取扱店慈恩堂。ドアを開けると、今日も古時計たちが勝手気ままに時を刻んでる。


チッチッチッチッ……
カッチ……カッチ……カッチ……
チッチチーチーチッチ チッチチー……


……なんか、ジャマイカあたりのリズムを刻んでるのがいるな。昔、友人に連れて行かれたライブハウスで聞いたことがある。

「こんにちは!」

ドアベルの音が完全に消える前に、気を取り直して声を掛ける。古時計のことは無視。こんなん気にしてたらこの店に入れない。

「いらっしゃい、何でも屋さん。昨日の水無瀬さんのお仕事、上手くいったようですね」

帳場(レジ)の前からにっこり笑顔を向けてくれるのは、地味な男前、店主の真久部さん。──今日もやっぱりどこかが微妙に胡散臭い。

「はい……。新規客のご紹介、ありがとうございます。でも、仕事料をたくさん頂いてしまって……」

いつものように、通路から一段上がった帳場の畳エリアの縁に座ると、真久部さんがお茶を淹れてくれる。ありがたく頂きながら、昨日からのどうにも腑に落ちない気持ちを口にした。

「蔵の中の、埃を払っただけですよ? 大掃除ってわけでもない。それなのに提示した仕事料の三倍もつけてくれて……こんなにもらえないって言っても笑うだけで──」

何でだろう? って考えるうちに、怖い考えになってきちゃったんだよなぁ……。入っちゃいけない開かずの蔵だったとか? 慈恩堂みたいなアヤシイところは滅多にないと思ってたから油断しちゃったけど、真久部さんの知り合いっていうあたりで察しないといけなかったのかも……。

「まさか……何か危険(・・)な現場だったんですか、あそこ……?」

帳場に座り直して自分もお茶を飲んでる真久部さんが、ニヤリと笑った。

「知りたいですか?」

「……っ」

紹介してもらったからって、俺の馬鹿。このヒトにこんな相談したら、喜ばれてしまうだけなのに……!
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