第62話 貴重な人材 7 終
文字数 3,759文字
その声に、怖い気分が霧散してホッとした。やれやれというように小さく溜息をついた店主が、立て掛けてあったギターを取ってくれる。
「あ、あなたがこちらの店主の真久部さんですね。お世話になりました」
店番の何でも屋さんから聞きました、と葛原さんは頭を下げる。
「いいえ、とんでもない。物と人との縁を繋ぐのがこの仕事ですから……お役に立ったようですね」
人のよさそうな笑みを浮かべながら受け答えする店主、完璧外面モードだ。──いや、何時でも人はよさそうなんだけど。俺に怖い話をして楽しむときすら。
「十数年かかって見つけられなかったものが、道を訊ねに偶然立ち寄った店で見つかるなんて……こんな幸運ありません。あのギター、元は盗まれたものなんですが、多分、色んな人の間を転々としてたと思うんです。誰も見向きもしないほど痛んでしまっていたのに、仕入れてくださって……、ありがとうございました」
お陰で、甥の形見に会うことが出来ました、と言う葛原さんに、店主は首を振って見せた。
「結果的にお手伝いになっただけですよ。私は、見つけて持ってきた。漆葉さんは、あなたを呼んだ。あなたは来て、道が分からなくなってなんとなくこの店に入った」
今日ここで出会うために。全てがそのように動いたのだ、と店主は言う。
「こういう商売をやっていると、時折、不思議なことが起こります。あのギターを仕入れたのはつい最近で──、少しなら私も修理出来なくもないので、そのうちみすぼらしくない程度に手を入れようかと思っていたところでした。元はいいものですのでね。ですが、その状態のままでも欲しいという人が出てくるとは思わなかったんですよ──さっき何でも屋さんから聞いたんですが、漆葉さんは、今日でなければ修理を請けないとおっしゃったんですね?」
台風が来てるのに、延期させてはもらえなかったんじゃないですか? と店主は訊ねる。
「そうなんです。──どうして分かったんですか?」
「この店の店番をするのが、今日だったからですよ──」
何でも屋さんが。
そう言って、俺を指さす。な、なんで?
「私は私で、今日は店にいることが出来ませんでした。理由はあなたが漆葉さんに呼ばれたのと同じで、今日でなければ時間を空けられないと、相手先に言われたからです。何でも屋さんがいなければ、店は臨時休業にするところでした」
うちの店で店番を務めることが出来るのは、この人だけなんですよ、と困ったように微笑む。他の人では続かないのだと。やめて! 葛原さんがすごく不思議そうな顔してる!
「なかなかこの店と相性の合う人がいなくて……店というか、置いてある商品ですね。相性というのも変なんですが、それが合わない人だと半日も経たずに逃げてしまいます。怖いんだそうです。でも、この人は保っている。怖いのは嫌いのようですが、意地悪はされないようですから」
何 に意地悪されないのか、それを店主は言わなかったが、葛原さん、何だか分かったように頷いてる。
「甥のギターを探して、私も何百軒とこういった古物を扱う店を回ったから分かります……。そういうの、ありますよね」
「分かってくださいますか」
店主、うれしそうだ……。俺は分かりたくないから分からないぞ。考えない、考えない。慈恩堂では、それが一番大事。
「相性とか、波長とか、おかしな言い方ですけど、そういうのがあるんです。相性が合っても波長が合わないとか、波長が合っても相性が……とか。こういう仕事をしていると、頭ではなく、肌で感じるんです。うちの店にこの人がいるととても収まりがいい。でも、滅多に店番を引き受けてくれないんです。他にもお仕事がありますからね」
何でも屋の名前のとおり、と残念そうに店主は言う。
「今回も、引き受けてもらえなければ店は休みにするつもりだったんですが、予定を調整して今日の日中を空けてくださった。早めにお願いしておいて良かったです──私は、この店をあまり休みたくないんですよ。何かを求めている人がふらっとやってきて、求めているものと出会う。そういう場を、出来るだけ開けておきたいんです」
店主の言葉に、俺は密かに息を吐いた。そうなんだよな、この人、変わってるけど、ちょっと俺をからかって喜んだりするけど。こういうところが真摯だな、と思うからさ。手伝えるときは手伝おうかとか、思っちゃうんだよなぁ。──そのわりに、俺が店番してても客は来なかったけどさ。今日までは。
「私、こう見えて、両親はまだ健在なんです」
いきなり話が変わったんで、へ? と思っていると、店主はさらに続ける。
「一人っ子で兄弟もおりません。親戚も、まあいません。そういう意味で、私は今まで親しい人の死に出合ったことが無いんです。だけど、何でも屋さんは数年前に弟さんを亡くされたと聞きました。言葉少なでしたが、今も深く悲しんでいらっしゃるように感じます」
「……」
俺は思わず視線を逸らせていた。そんなに、かな……。そうなのかな。時々思い出すだけなんだけど。店主、何気に鋭いからなぁ。
そんな俺に、店主は頭を下げた。
「すみません、何でも屋さん。こんなこと言うつもりはなかったんです……ただ、今回はその悲しみが共鳴したんじゃないかと、思うんです」
親しい人を失った深い悲しみ。もう一度会いたいと願う切ない心。
「葛原さんが甥御さんの形見を探していたように、甥御さんに大切にされていたあのギターも、叔父である葛原さんに会いたかったと思うんです。黄泉路に旅立った人とはもう会えないけれど、残った物 であるならば、せめて……」
一度口を噤んで、店主はまた語りだす。
「先ほども言いましたように、この店で私以外に店番が出来るのは、何でも屋さんしかいません。だから、この人が店にいるその日でないと、葛原さん、あなたはここに導かれることはなかったでしょう。今でも亡き人に会いたいと願う何でも屋さんの気持ち、持ち主と親しかった人のところに戻りたいという物 の気持ち。深いところで共鳴するふたつの心の振動を感じて、あなたはここに来たんです。無意識のうちに」
俺も、葛原さんも何も言えなかった。ただ黙って目を見交わしている。あの不思議な出来事を知らないはずなのに、店主はどうしてこんなに見てきたように紐解いて見せるんだろう、真実に限りなく近く。
微かに笑って店主は言った。
「貴重な人材なんですよ、何でも屋さんは。日常の中で不思議に出会っても、気づかないか気づかないふりで、さらっと流してしまえるあたり、大物だと私は思っているんですよ」
店主の評価に唖然としていると、葛原さんが吹き出した。何それひどい。
「──この人と約束したから言いませんけど、今日体験したことからすると、確かに何でも屋さんは大物かもしれません」
橋渡しをしてくれました、と微笑む。ちょっと! 葛原さん、そんな言い方したら何か あったって店主に教えるようなもん! 意味ありげに店主が俺を流し見る。その、分かってますよ、という顔が嫌だ。
「ああ、そうだ」
目を白黒させる俺に、口を滑らせたことをちょっとだけ申しわけなさそうにしてみせると、葛原さんはギターを示した。
「漆葉さんに言われたんです。慈恩堂さんにお礼をしておけと」
「お礼? お代を頂いたんなら、そんな必要は」
「仮にも職業ギター弾きならば、お礼に何曲か弾いてこいと。それがこのギターと甥のギター、二本まとめて修理する条件だとおっしゃられて」
この一本だけのはずが、修理に苦労すること請け合いのボロボロのがさらに一本加わりましたからね、と苦笑いする。
「それでなくても、私もお礼がしたかったので……お金では購いきれないご恩です。ですから──」
聞いて、いただけませんか?
その申し出に、店主はにっこりと頷いた。
ギター・コンサート・イン慈恩堂。観客はたった二人だけ。店の土間に椅子を並べて、店主と一緒に葛原さんのギターを聴く。もの悲しい『アランフェス交響曲』第二楽章。
帳場の畳の縁に座って弾く葛原さん、その音の向こうに、もうひとつギターの音が重なって聞こえるような気がする。二重奏……? ああ、きっと大介くんが一緒に弾いてるんだと、自然にそう思った。隣で、店主の笑みが深まるのが気配で分かった。きっとこの不思議 は、人と物との縁を繋ぐ仕事をしている彼にとってのトロフィーであり、ご褒美なんだろう。
っていうか、店主、視えてるのかな……? 何がとは言わないが。
今日の教訓は、幽霊だからって足が無いとは限らないってことだ。普通の人と変わらなかった。そのせいもあるんだろうか。怖がりの俺なのに、不思議なほど怖いという気持が湧いてこない。気のせいだと、気の迷いだと、いつものようにごまかす必要は感じなかった。
俺にはもう、その姿は視えない。だけど、今このひと時、葛原さんの隣には大介くんがいる。それでいいじゃないかと、思えた。
店主には、絶対そうと認めないけどな!
「あ、あなたがこちらの店主の真久部さんですね。お世話になりました」
店番の何でも屋さんから聞きました、と葛原さんは頭を下げる。
「いいえ、とんでもない。物と人との縁を繋ぐのがこの仕事ですから……お役に立ったようですね」
人のよさそうな笑みを浮かべながら受け答えする店主、完璧外面モードだ。──いや、何時でも人はよさそうなんだけど。俺に怖い話をして楽しむときすら。
「十数年かかって見つけられなかったものが、道を訊ねに偶然立ち寄った店で見つかるなんて……こんな幸運ありません。あのギター、元は盗まれたものなんですが、多分、色んな人の間を転々としてたと思うんです。誰も見向きもしないほど痛んでしまっていたのに、仕入れてくださって……、ありがとうございました」
お陰で、甥の形見に会うことが出来ました、と言う葛原さんに、店主は首を振って見せた。
「結果的にお手伝いになっただけですよ。私は、見つけて持ってきた。漆葉さんは、あなたを呼んだ。あなたは来て、道が分からなくなってなんとなくこの店に入った」
今日ここで出会うために。全てがそのように動いたのだ、と店主は言う。
「こういう商売をやっていると、時折、不思議なことが起こります。あのギターを仕入れたのはつい最近で──、少しなら私も修理出来なくもないので、そのうちみすぼらしくない程度に手を入れようかと思っていたところでした。元はいいものですのでね。ですが、その状態のままでも欲しいという人が出てくるとは思わなかったんですよ──さっき何でも屋さんから聞いたんですが、漆葉さんは、今日でなければ修理を請けないとおっしゃったんですね?」
台風が来てるのに、延期させてはもらえなかったんじゃないですか? と店主は訊ねる。
「そうなんです。──どうして分かったんですか?」
「この店の店番をするのが、今日だったからですよ──」
何でも屋さんが。
そう言って、俺を指さす。な、なんで?
「私は私で、今日は店にいることが出来ませんでした。理由はあなたが漆葉さんに呼ばれたのと同じで、今日でなければ時間を空けられないと、相手先に言われたからです。何でも屋さんがいなければ、店は臨時休業にするところでした」
うちの店で店番を務めることが出来るのは、この人だけなんですよ、と困ったように微笑む。他の人では続かないのだと。やめて! 葛原さんがすごく不思議そうな顔してる!
「なかなかこの店と相性の合う人がいなくて……店というか、置いてある商品ですね。相性というのも変なんですが、それが合わない人だと半日も経たずに逃げてしまいます。怖いんだそうです。でも、この人は保っている。怖いのは嫌いのようですが、意地悪はされないようですから」
「甥のギターを探して、私も何百軒とこういった古物を扱う店を回ったから分かります……。そういうの、ありますよね」
「分かってくださいますか」
店主、うれしそうだ……。俺は分かりたくないから分からないぞ。考えない、考えない。慈恩堂では、それが一番大事。
「相性とか、波長とか、おかしな言い方ですけど、そういうのがあるんです。相性が合っても波長が合わないとか、波長が合っても相性が……とか。こういう仕事をしていると、頭ではなく、肌で感じるんです。うちの店にこの人がいるととても収まりがいい。でも、滅多に店番を引き受けてくれないんです。他にもお仕事がありますからね」
何でも屋の名前のとおり、と残念そうに店主は言う。
「今回も、引き受けてもらえなければ店は休みにするつもりだったんですが、予定を調整して今日の日中を空けてくださった。早めにお願いしておいて良かったです──私は、この店をあまり休みたくないんですよ。何かを求めている人がふらっとやってきて、求めているものと出会う。そういう場を、出来るだけ開けておきたいんです」
店主の言葉に、俺は密かに息を吐いた。そうなんだよな、この人、変わってるけど、ちょっと俺をからかって喜んだりするけど。こういうところが真摯だな、と思うからさ。手伝えるときは手伝おうかとか、思っちゃうんだよなぁ。──そのわりに、俺が店番してても客は来なかったけどさ。今日までは。
「私、こう見えて、両親はまだ健在なんです」
いきなり話が変わったんで、へ? と思っていると、店主はさらに続ける。
「一人っ子で兄弟もおりません。親戚も、まあいません。そういう意味で、私は今まで親しい人の死に出合ったことが無いんです。だけど、何でも屋さんは数年前に弟さんを亡くされたと聞きました。言葉少なでしたが、今も深く悲しんでいらっしゃるように感じます」
「……」
俺は思わず視線を逸らせていた。そんなに、かな……。そうなのかな。時々思い出すだけなんだけど。店主、何気に鋭いからなぁ。
そんな俺に、店主は頭を下げた。
「すみません、何でも屋さん。こんなこと言うつもりはなかったんです……ただ、今回はその悲しみが共鳴したんじゃないかと、思うんです」
親しい人を失った深い悲しみ。もう一度会いたいと願う切ない心。
「葛原さんが甥御さんの形見を探していたように、甥御さんに大切にされていたあのギターも、叔父である葛原さんに会いたかったと思うんです。黄泉路に旅立った人とはもう会えないけれど、
一度口を噤んで、店主はまた語りだす。
「先ほども言いましたように、この店で私以外に店番が出来るのは、何でも屋さんしかいません。だから、この人が店にいるその日でないと、葛原さん、あなたはここに導かれることはなかったでしょう。今でも亡き人に会いたいと願う何でも屋さんの気持ち、持ち主と親しかった人のところに戻りたいという
俺も、葛原さんも何も言えなかった。ただ黙って目を見交わしている。あの不思議な出来事を知らないはずなのに、店主はどうしてこんなに見てきたように紐解いて見せるんだろう、真実に限りなく近く。
微かに笑って店主は言った。
「貴重な人材なんですよ、何でも屋さんは。日常の中で不思議に出会っても、気づかないか気づかないふりで、さらっと流してしまえるあたり、大物だと私は思っているんですよ」
店主の評価に唖然としていると、葛原さんが吹き出した。何それひどい。
「──この人と約束したから言いませんけど、今日体験したことからすると、確かに何でも屋さんは大物かもしれません」
橋渡しをしてくれました、と微笑む。ちょっと! 葛原さん、そんな言い方したら
「ああ、そうだ」
目を白黒させる俺に、口を滑らせたことをちょっとだけ申しわけなさそうにしてみせると、葛原さんはギターを示した。
「漆葉さんに言われたんです。慈恩堂さんにお礼をしておけと」
「お礼? お代を頂いたんなら、そんな必要は」
「仮にも職業ギター弾きならば、お礼に何曲か弾いてこいと。それがこのギターと甥のギター、二本まとめて修理する条件だとおっしゃられて」
この一本だけのはずが、修理に苦労すること請け合いのボロボロのがさらに一本加わりましたからね、と苦笑いする。
「それでなくても、私もお礼がしたかったので……お金では購いきれないご恩です。ですから──」
聞いて、いただけませんか?
その申し出に、店主はにっこりと頷いた。
ギター・コンサート・イン慈恩堂。観客はたった二人だけ。店の土間に椅子を並べて、店主と一緒に葛原さんのギターを聴く。もの悲しい『アランフェス交響曲』第二楽章。
帳場の畳の縁に座って弾く葛原さん、その音の向こうに、もうひとつギターの音が重なって聞こえるような気がする。二重奏……? ああ、きっと大介くんが一緒に弾いてるんだと、自然にそう思った。隣で、店主の笑みが深まるのが気配で分かった。きっと
っていうか、店主、視えてるのかな……? 何がとは言わないが。
今日の教訓は、幽霊だからって足が無いとは限らないってことだ。普通の人と変わらなかった。そのせいもあるんだろうか。怖がりの俺なのに、不思議なほど怖いという気持が湧いてこない。気のせいだと、気の迷いだと、いつものようにごまかす必要は感じなかった。
俺にはもう、その姿は視えない。だけど、今このひと時、葛原さんの隣には大介くんがいる。それでいいじゃないかと、思えた。
店主には、絶対そうと認めないけどな!