第345話 芒の神様 24 終

文字数 2,361文字

慄きながらたずねると、眼の前の地味な男前は、ちょっと不貞腐れたように息を吐いた。

「形代を。わかりやすく言えば、人形(ヒトガタ)。呪術的にその人の代わりになるもの。神社の行事の夏越の祓だの、大祓だので使われる、紙で作られたあの人の形」

きみにもたまに持たせることがあるから、知っていますよね、と真久部さん。

「あの子の茅場に行くときは、必ず身につけているんです。それだけは、伯父も忘れてはいけないと真顔になるくらいだし。あの伯父がですよ?」

「……」

何でも面白がっちゃう愉快犯、いつも平気で甥っ子を振り回してるあの人が、真顔で注意……うん、事態の危険度がうかがえる。

「形代は毎回、帰りには無くなっているんです。きっと僕の影、身代わりとなって、あの子と一緒に遊んでいるんでしょうね。だから本当に、絶対に、今まで一度も忘れていったことはないんだよ。だというのに……」

僕がもう少ししっかりしていれば、あの石に触れて本当に全く何もないわけがないと、想像くらいついたはずなのに、と悔しがる。

「あのホテルのオーナー一族には、もっとキツい障りがあったようだから、指輪を無くすくらいどうってことなかったのかもしれないけれどねぇ……」

「……」

「石はね、動かそうと、誰かが触れるたび、一族が悪夢を見るんだそうです。みんな同じ夢で── 一族の長となる人ともなると、心臓が止まりそうになるくらい、恐ろしい結末を見せられるのだそうです。それまで、どれだけ魘されても目が覚めないのだとか……。子供たちは、大人たちに比べると夢の初めのあたりで目が覚めるそうですが、それでも引きつけを起こすくらいには、怖いものだったようです」

子供にも容赦ない障りだったんですね、と真久部さんは淡々と語る。

「夢以外にもいろいろ、もっとシャレにならないことがあったそうだけど、一族と関係のない人間の場合は、本当にただ、小さな物を無くすくらいで済むんだとか……彼もまあ、麻痺してたのかもしれないけれど、石を動かそうとした人に何かなかったか、僕は聞いたのにね。どんな小さな、良いことでも悪いことでも、とにかく、少しでも引っかかることがあれば教えてほしいとあれだけ言っていたのに」

せめてボルトを無くした人の話くらい、聞かせておいてくれるべきだったと思いませんか、と静かな怒りを強く握った手にまとう。

「……」

俺は何も言えない。重要説明義務、って何にでもあると思うけど、何を重要と思うか、どこまで説明するべきか、認識の差はあるかもしれない。わざとなのか、うっかりなのか──ボルト消失の件は、わざとの気がする。

「知っていたら、何でも屋さんを紹介なんてしなかったですよ。あの一族とは何の関係もない人だし、もし石を動かせなくても蹴ったり叩いたりしない。仮に何か無くしたとしても、きっと無くしたことも気づかないようなものだったでしょうけど。それでも──ああ、何も知らないからこそ、石は何でも屋さんのことが、よけいに気に障らなかったのかも……」

考え込んでいる。真久部さんが俺のことを大事にしてくれてるのはわかったから、俺は話をちょっとだけずらせてみた。

「あの石と、薄のあの子って、何か関係があったりするんですか?」

地味な男前の、黒褐色と榛色のオッドアイが軽く見開かれた。

「考えたこともなかったですね。でも、ありませんよ。たぶん、あの子のほうが先です。石は──きっと、あの一族の誰かがどこかから運んできたんでしょう。あのあたりの地質と明らかに違う」

一族の繁栄のために、きっと何かしたんでしょうね、と言う。

「良からぬことをね」

「あはは……」

笑っておく。

「えっと、今回の真久部さんの不注意……自己嫌悪の元って、それだったんですね。形代を無くしたばかりに、薄のあの子の夢に巻き込まれそうになって、道がわからなくなって──」

ここまで落ち込んだ真久部さんって、なかなか無いもんなぁ。以前、伯父さんの悪戯(?)を詫びてくれたときも暗かったけど──。

「……あの子や、伯父や両親を悲しませることに、うっかりなっていたかもしれない、ということは、確かに大きいです。──どうしてあのとき、野点の後で、せめて形代を確認しておかなかったのか、と」

自分の不注意、油断、不明、いろんなことが悔しくて情けなくて、本当に自分が嫌になるんですが、と続ける。

「一番はね、僕の命の掛かっている形代が、レシートクーポンなんかと同じ扱いだった、ということなんです……。あの石からすれば、同じ小さな薄い紙だし、似たようなものなのかもしれないけれど、でも」

それこそが、人の価値観など関知しない存在による等価交換の結果なのだと、理解は出来る。でも、分かりたくない──。そう呟いて、がっくり首を垂れる

「……」

俺に、掛ける言葉はなかった。


 ボ………ン ボー……ン……
   ぽー……ぼー……
  …… …… …… …………
    ……ォーン…… ォーン…………


古時計たちが、店主を気遣うかのように控えめに正時を告げる。
いつもの……、いや、いつもよりちょっとだけジメッっとしている、慈恩堂の午後だった。













……村人たちに疎まれるのは、もういい。あれは鬼の子だと、聞こえよがしに蔑まれるが、鬼の子ならば、もっと頑丈なからだでいただろう。この身は長く生きられまい。日にあたることもできないのだから。ああ、自分が死ねば、母は楽になれるだろうか。こんな自分を産み、育て、慈しんでくれた母。母にはしあわせになってもらいたい。

ああ、だけど、友だちがほしかったな、いっしょに遊んでくれる友だちがほしかった。どこかにいないかなぁ、この白い髪も赤い目も、怖がらないやさしい子──。

そんな子がいたら、いくつでも笹舟つくってあげる。小石でお手玉つくってあげる。


ひとりで遊ぶのはさびしい。
さびしい……。
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